読売日響・第571回定期演奏会

やっと9月、久し振りにナマのオーケストラ演奏会を聴いてきました。8月のナマ演奏は蓼科のクァルテットと真夏のレクイエムのみ、ほとんどラジオ番組だけで日々を過ごしていましたが、漸く暑さも納まって秋の音楽シーズンが始まります。
首都圏の9月はサントリーホール再開が話題ですが、何故か読響の9月定期は池袋の東京芸術劇場。ウッカリ会場を間違える所でしたが、チョッと面倒な池袋もこれで一先ず終了、と気を取り直して出掛けました。

ヴァインベルク/ヴァイオリン協奏曲ト短調作品67(日本初演)
     ~休憩~
ショスタコーヴィチ/交響曲第4番
 指揮/ヤツェク・カスプシク
 ヴァイオリン/ギドン・クレーメル
 コンサートマスター/荻原尚子
 フォアシュピーラー/長原幸太

この月の目玉は何と言ってもクレーメル、加えて今回が日本初演と言うヴァインベルグは聴き逃せません。受け取ったプログラムに目を走らせます。
今回の曲解は珍しく元チャイコフスキー博物館学芸員のマリーナ・チュルチェワ氏の執筆で、殆ど聴いたことのないヴァインベルクに関する貴重な資料となりました。この解説は読響ホームページにも掲載されていますから、PDFをダウンロードして保存しておくことをお勧めします。
噂に聞く所では、欧米ではヴァインベルク・ルネサンスが進行中とのことで、漸く日本にもその波が押し寄せてきたということ。今回は、唯一のヴァイオリン協奏曲を蘇演したクレーメルその人が演奏するということで、極めて意義の大きいコンサートと言えるでしょう。

ミェチスワフ・ヴァインベルク(1919-1996)はポーランドのワルシャワ生まれで、長年ロシアで音楽活動し、モスクワで没した作曲家。私など古い人間は「モイセイ・ヴァインベルク」という名前で知っていましたが、これはロシア風に読んだためだそうで、現在は「ミェチスワフ」が正式の呼び方。要するに同じ人物です。
チュルチェワ氏の解説によると、彼は二度も危機一髪を体験した由。一度はナチのホロコーストで危うくベラルーシへ逃れ(家族や親戚は全て殺された)、もう1回はスターリンの反ユダヤ政策の犠牲になって死刑を言い渡されたそうな。この時はスターリンが急逝したため危うい所で助かり、77年の生涯を全うしたのでした。

ショスタコーヴィチの弟子(ショスタコーヴィチより13歳年下)、と書かれることが多いヴァインベルクですが、「可愛がれ引き立てられたものの師事はしていない」。逆にショスタコーヴィチが「いくつかの作品でむしろ影響を受けてさえしている」という指摘は興味深く読みました。
「彼にとってヴァイオリンはユダヤ人の魂の声」ということもあり、ヴァインベルク入門に最も適しているのが、今回日本初演されたヴァイオリン協奏曲でしょう。

協奏曲でありながら4楽章構成。第2楽章と第3楽章は短いカデンツァを挟んで続けて演奏されます。特に第3楽章はユダヤの子守歌風のメロディーが全編を通し、クレーメルはほとんど弾きっ放し。名手入魂の演奏が120%堪能できました。
第4楽章は行進曲風に始まりますが、ここなどショスタコーヴィチとの相互関係が感じられるのではないでしょうか。これまでショスタコーヴィチのマーチ趣味はマーラー由来かと思っていましたが、案外ヴァインベルクにルーツがあるのかも知れませんね。
フィナーレのコーダは浄化された ppp で静かに終止しますが、ここでチェレスタが効果的に使われるのもショスタコーヴィチそっくり。そう言えば全体的な印象が、ショスタコーヴィチの第1ヴァイオリンに似ていると感じましたがどうでしょうか。

初体験の協奏曲に感銘を受けましたが、それ以上に衝撃的だったのがアンコール。クレーメルが曲名を告げましたが、同じヴァインベルクの24の前奏曲集から第4曲と第21曲。
特に第21曲は、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番のテーマが出てきて二度ビックリ。聴き終わった当初はヴァインベルクがオリジナルでショスタコーヴィチが引用したのかと早合点してしまいましたが、どうやらこれは逆のようです。

帰宅してNMLで確認した限りでは、24の前奏曲集は作品番号が丁度100に当たり、ロストロポーヴィチのために書かれた無伴奏チェロのための曲集。クレーメルはこれをヴァイオリン用に直して演奏したのに違いありません。前半が終わって、長原幸太氏がクレーメルが使った譜面を見て確認していましたから、突然ショスタコーヴィチが顔を出したのに驚いたのでしょう。
このアンコールから、後半のショスタコーヴィチに繋げる辺り流石クレーメル。ただじゃ終わらせません。
因みに前奏曲集、全曲を聴いてみましたが(世界初録音のナクソス盤)、ショスタコーヴィチの他にシューマンのチェロ協奏曲も引用されますし、オリジナルは知らないので具体的には判りませんがボリス・チャイコフスキーのチェロ協奏曲も引用されているとのこと。件の第21曲はチェロ協奏曲の他、同じショスタコーヴィチのチェロ・ソナタからも引用があります。
引用が多いというのもヴァインベルクとショスタコーヴィチの共通点で、後半の第4交響曲にも他人のオペラや交響曲の仄めかしがいくつも登場するのは良く知られたこと。

ヴァインベルクについてもう少し拘ると、ショスタコーヴィチは弦楽四重奏曲第10番をヴァインベルクに献呈しています。これは当時ヴァインベルクがクァルテットを9番まで書いており、それを一つ抜いたことでショスタコーヴィチが彼に献呈したということを聞いたことがあります。
しかしご承知のように、ヴァインベルクも弦楽四重奏曲を書き重ね、遂には17番まで完成。ショスタコーヴィチを抜き返したことになります。あの世で二人はどんな話をしているのでしょう。

何れにしてもショスタコーヴィチとヴァインベルクの関係は調べてみれば未だまだ面白いことが見つかりそうで、時間が出来たらヴァインベルクをもっと聴いてみたいと思います。
その意味でも、この演奏会が日本におけるヴァインベルク・ルネサンスの大事な一夜になった事は疑いない所でしょう。

そのクレーメルも客席に席を取って演奏されたのが、ショスタコーヴィチの謎多き第4交響曲。
今回の指揮者カスプシクは、ヴァインベルクと同じポーランドの指揮者で、読響には1989年以来28年振りの共演だそうな。28年前の定期ではモーツァルト(31番)やベートーヴェン(7番)を指揮したということになっていますが、残念ながら私は聴いていません(筈)。

今回は恐らく得意とする2曲。協奏曲はもちろん、メインのショスタコーヴィチも読響のパワーを最大限に引き出し、客席からの大喝采を浴びていました。
長身から腕を巧みに繰り出すその指揮振りは、同じポーランドの大先輩スクロヴァチェフスキを何処となく連想させるところがあり、同じDNAが流れているのでしょうか。これに大先輩の分析力、全体の見通しの良さが加われば、読響との関係も長く続くのでは、と思われました。

 

 

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