バッティストーニの「オテロ」

9月に入ってオーケストラの定期公演を二つ聴きましたが、10日の日曜日はオペラの演奏会形式上演を体験してきました。Bunkamura オーチャードホールが主催するヴェルディの歌劇「イアーゴ」じゃなくて「オテロ」です。
演奏者、歌手、キャストは以下の面々。

ヴェルディ/歌劇「オテロ」(演奏会形式)
 管弦楽/東京フィルハーモニー交響楽団
 指揮/アンドレア・バッティストーニ
 映像演出/ライゾマティクスリサーチ
 オテロ/フランチェスコ・アニーレ
 デズデーモナ/エレーナ・モシュク
 イアーゴ/イヴァン・インヴェラルディ
 ロドヴィーコ/ジョン・ハオ
 カッシオ/高橋達也
 エミーリア/清水華澄
 ロデリーゴ/与儀巧
 モンターノ/斉木健詞
 伝令/タン・ジュンボ
 合唱/新国立劇場合唱団(合唱指揮/冨平恭平)
 児童合唱/世田谷ジュニア合唱団(合唱指揮/掛江みどり)

もちろん私が惹かれたのはバッティストーニの指揮、ということで、必ずしもオーチャードホールの企画に誘われてではありません。その所は正直に告白しておきます。
今回の企画は8日と10日の二日間の公演でしたが、実はその間の9日には「10代のためのプレミアム・コンサート」と題してイタリア・オペラをテーマにした教育プログラムも開催されました。
バッティストーニの教育熱心な姿勢から実現したものですが、これは極めて重要なこと。クラシック音楽は全世界的に教育の現場から締め出されているのが現実であり、マエストロもそれを危機感として実感しているのでしょう。これからも続けて欲しい、いや続けなければいけないプログラムだと思慮します。

もう一つ、今回の企画には新しいことが盛り込まれていました。それは上記スタッフとして名前を挙げた「ライゾマティクスリサーチ Rhizomatiks Research」という団体との共同作業によって映像演出を取り入れたこと。
この団体、今回はプログラムにも30名弱の個人名が掲載されていて、実際には膨大な量の準備があったはず。
プロジェクト・マッピング、CG技術をオペラに取り入れる試みは、例えば先年びわ湖/神奈川県民ホールの「さまよえるオランダ人」公演などで成功しているように、最先端のテクノロジーを駆使することが今後のオペラ界の流れになっていくことは想像できます。

今回はオーチャードホールの舞台写真をスキャンした映像が基になっているようで、冒頭の嵐の場面などに効果的に変形され、アレンジされながらオペラの進行を補佐していく。プログラム誌もこのコンセプトを取り入れ、オーチャードホールのイメージをバックに、白と黒で「OTELLO」を暗示的にデザイン。公演の記録として印象に残る紙面創りです。
演奏後のカーテンコールで「ブー」が出た(私が見た10日の公演)ように、客席の反応は賛否半ばでしたが、功罪両面があると私も感じました。劇の進行や舞台装置の補完として有効である一方で、音楽そのものを邪魔してしまう危険もありそう。これは今後の課題ですし、チャレンジを永久に続けてこそ成果も大きくなると思いました。

私は以前も何処かで書きましたが、オーチャードホールは必ずしも好きなホールではありません。今回も懸念を抱きながら渋谷に出掛けたのですが、それは杞憂に終わったようです。
オーケストラのみのコンサートでは何処で聴けば満足が行くのか掴み兼ねているホールの音響、流石にパワフルな声に関しては正面からダイレクトに浴びるのが効果的で、幸い私が手に入れた1階11列目の中央ブロックでは主役たちの声量に圧倒されました。
バッティストーニの東フィルも最初から目一杯の迫力で応じ、いつもの鳴らないホールが却ってオペラのバックとしては出過ぎず、といって引っ込み過ぎず、程よいバランスに収まっているのがラッキーでしたね。

オペラですから歌手から触れると、主役の3人は何れも海外で活躍しているヴェテラン。オテロ役のアニーレは、以前にバッティストーニ/東フィル定期の「イリス」公演で大阪役を歌ったテノールですが、二日目の所為か低音部がやや擦れ気味。第1幕はこれが少し気になりましたが、第2幕からは張りの強い高音が見事に復活して安心させます。
デズデーモナのモシュクは、少しヴィブラートの勝った声質で、若干大時代的なソプラノ。最後の大アリアで「Salce」が「さぁるちぇ~」と聞こえてしまい、私はもっとピュアなデズデーモナが好みですが、客席の反応は極めて好評でした。
文句無く素晴らしかったのはイアーゴのインヴェラルディ。間違って「ヴェルディ」と読みそうになる名前ですが、公演後の印象も歌劇「イアーゴ」ではないかと思ったほど。声は安定して力強く、正に悪人イアーゴを印象付けます。

この公演では特に演出とは呼んでいませんでしたが(演出コーディネーターとして菊池裕美子の名前がクレジットされていました)、最後の最後、逃げたはずのイアーゴが客席を通って舞台に上がり、死んだオテロを蔑んだ様に見下ろして幕。
各幕の終わりは、第1幕のオテロとデズデーモナの二重唱を別にすれば、第2幕はオテロとイアーゴが復讐を誓って手を握る場面。第3幕は失神したオテロをイアーゴが睨みつける場面で、今回の演出?はこれに呼応し、敢えて原作の台本とは異なるイアーゴ対オテロで締め括ったのでしょう。

勧善懲悪系が蔓延る日本の文学界に対し、シェークスピアは時に悪を賛美すらする。今回の「オテロ」は、寧ろイアーゴを主役に据えることによってシェークスピア世界を描き、ヴェルディの肉太な音楽を強調していたようにも感じられました。

それでも主役は、やはりバッティストーニでしょう。プログラムにも態々「オテロ、もしくは二元論の」と題する特別寄稿を寄せ、オテロに新しい解釈を加えました。
来年予定されている「アイーダ」にも益々期待が高まります。

 

 

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