広上淳一「と」京都市交響楽団

台風18号(タリム TALIM)の後を追うように京都市交響楽団が東京に襲来、赤坂のサントリーホールに嵐を巻き起こしました。差し詰めハリケーン・セルゲイ/淳一とでも名付けたい猛威。
そう、2014年度、第46回サントリー音楽賞を受賞した同コンビが、9月18日にその受賞記念コンサートを開催したのでした。コンサートは大曲の2本立て。

武満徹/フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム
     ~休憩~
ラフマニノフ/交響曲第2番
 管弦楽/京都市交響楽団
 指揮/広上淳一
 打楽器/中山航介、宅間斉、福山直子、大竹秀晃、高橋篤史
 コンサートマスター/会田莉凡(客演コンサートマスター)
 フォアシュピーラー/泉原隆志

去年創立60周年を迎えた京都市交響楽団(愛称は京響)は、日本では唯一の自治体直営のオーケストラとして設立されたため、かなり長い期間に亘って楽員の士気なども停滞していたと聞いていました。
オケのメンバーは「楽員」とは呼ばれず、「職員」だったとか。その辺りの歴史は、当日配布されたプログラムの中でサントリー音楽賞の選考委員の一人でもある岡田暁生氏がユーモアを交えながら紹介されています。

同じ年に創設された日本フィルの定期会員である私は、かつて毎月行われていたマエストロサロンの席上で、ある時は井上道義マエストロから、またある時は現在の京響シェフに就任した広上淳一マエストロから、京響について直接話を聞いたことがありました。
しかし、それは昔の話。特に2008年に広上が第12代常任指揮者に就任してからの同オケの化け様は凄まじいもので、今や東京では、いや世界でも「日本に京響あり」という噂が広まってきました。

それが、今回の受賞に繋がったのは疑いもない事実で、プログラムに掲載されている同賞の過去の受賞者リストを見ると、大半が個人や団体であるのに対し、オーケストラ「と」指揮者という形で受賞されたのは、1976年度の芥川也寸志と新交響楽団、2013年度の鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパンに続く僅か3例目なのですね。
プログラムにも、また終演後の広上氏の挨拶でも触れられていたように、“今回の受賞で何よりも嬉しく感じたのは、オーケストラと共に受けられたこと”という表現になって現れたのは極めて重要で、かつ音楽の何たるかを象徴的に表しているように、私は感じました。

日フィルの正指揮者時代から広上の音楽に驚嘆し続けてきた小生は、当然ながら氏の京響シェフ就任以前から京都にも出掛け、オーケストラの成長する姿を実際に我が耳でも体験してきました。
京都コンサートホールの定期でも、当初は中々客席に音が届かないというもどかしさを覚えたものでしたが、今や嘘のようにホールを揺るがす響きを獲得。それは昨日の演奏会を聴いた東京の聴き手たちも実感できたのではないでしょうか。

今年の3月、創立60周年を記念した定期ではマーラーの第8交響曲が二日間も演奏されたのですが、チケットは発売から30分で完売。私は涙を呑んで聴けなかった一人でもあります。
最近になってこのコンサートがハイレゾで配信開始。私も早速FLAC形式でダウンロードし、J-Riverで再生して楽しんでいますが、演奏の素晴らしさはもちろん、音質の凄さは感動的ですらあります。それはもちろん演奏そのものが優れているからこそ実現するのであって、どうか多くのクラシック音楽ファンに広上/京響の今を体験していただきたいと思います。

で、昨日の演奏会。先ず作品の選択が素晴らしいじゃありませんか。
前半の武満作品は、カーネギーホールの創設100年を記念して委嘱・作曲されたもので、小澤征爾とボストン交響楽団によって初演されたもの。正に「ホール」へのオマージュが籠められており、それは世界のどのホールにに対しても当てはまるものなのです。
私はこの作品をライヴで聴くのは初めてですが、確か広上は以前にN響定期で取り上げたことがあったはずで、それをテレビ録画で見た記憶があります。

プログラムの曲目解説(白石美雪氏)によれば、初演時のソリストだった打楽器アンサンブルのネクサスが5人だったことから、5がキーナンバーになっている由。
5つの音から成るモチーフ(実際には最初の音がオクターヴ上で反復するので6音に聞こえる)、頻出する5度音程などはスコアを見なくても聴き取れます。音程や数に拘るのは武満の得意とするところ。

また「5」は曼荼羅の5色にも通じているということ。客席からクロタルを打ち鳴らしながら登場する5人は、夫々曼荼羅の5色である青・赤・黄・緑・白の衣裳を付け、舞台上の打楽器群とホール上階2箇所に設置された鈴が同じ5色のリボンで繋がれている。
英語で書かれた作品のタイトルは From Me Flows What You Call Time ということで大岡信の詩の一節から採られたもの。5色が意味する水・火・大地・風・空気が、自然と人、人と人との繋がりを意味するのかもしれません。それは音楽と人、演奏家とホール、奏で手と聴き手、と言うことでもありましょう。

作品は序奏に相当する「微風/独奏者たちの登場」で始まり、以下10(5×2)の部分で構成され、ソリストの即興演奏やカデンツァを挟みながら進行。「予感」の部分に登場する弦楽合奏のコラールは、京響の分厚くも暖かい、ビッシリと詰まった質感が素晴らしく見事。
広上も単なる現代作品の紹介以上に踏み込んだ指揮で、例えば冒頭のフルート・ソロにしても、途中のカデンツァにしても、音楽を体と表情で感じながら奏者の即興に任せていく。普通、現代作品でこれ程共感的な指揮姿を見ることはありません。

後半のラフマニノフの凄かったこと。聴くまでも、見るまでもありませんが、今回も完全に打ちのめされました。
広上にとってラフマニノフの第2交響曲は「勝負曲」。日フィル時代には東京でも横浜でも聴いて感銘を受けましたが、確か松本でサイトウキネンを振った時も取り上げたと記憶していますし、京都での演奏では某アメリカの高名な批評家が偶々来日していて舌を巻いた、という噂を聞いたこともあります。

前半も後半も長大な2曲(ラフマニノフの第1楽章提示部は繰り返し実行)にも拘わらず退屈感は皆無。あっという間の2時間半でしたが、改めて京響の実力を東京のファンも実感できたのではないでしょうか。
今回はゲスト・コンマスと思われる会田莉凡(あいだ・りぼん)チャンの見事なコンマス振りにも大注目。押し出しも容姿も存在感充分で、彼女が古都を代表するオケのリーダーに就いたとしても、私は驚きませんね。

広上氏の挨拶に続いてアンコール。モーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスをチャイコフスキーが管弦楽にアレンジしたもので、正式にはチャイコフスキーの管弦楽組曲第4番「モーツァルティアーナ」の第3曲。祈りの音楽です。

現在の京響は広上/高関/下野の3人体制。日本の優れた指揮者を独り占めにしている感がありますが、望みたいのは他に前例のない「東京定期」の実現でしょう。年に5~6回、サントリーホールを会場とし、3人の指揮者にプラスアルファーで定期化してくれれば、私は即会員になりますね。岡田氏の一文を拝読して強く、そう思いました。
差し当たっては、10月の定期に出掛けましょう。盟友ベルキンとのショスタコーヴィチ、ツィクルスにまで発展するのかブラームスの交響曲第1番を現地で聴いてきます。その模様は当欄でもレポートする予定。

 

 

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