日本フィル・第330回横浜定期演奏会

このコンサート、感想を書くのは遠慮しようと思いましたが、新しいシーズンのスタートでもあり、記録の意味もあって簡単にレポートしておくことにしました。(簡単には書けなかったけれど)

メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲
     ~休憩~
ドヴォルザーク/スラヴ舞曲第1番、第10番
スメタナ/交響詩「モルダウ」
チャイコフスキー/荘厳序曲「1812年」
 指揮/小林研一郎
 ヴァイオリン/木嶋真優
 コンサートマスター/千葉清加
 フォアシュピーラー/齋藤政和
 ソロ・チェロ/辻本玲

みなとみらいホールの横浜定期、このプログラムは定期というよりは名曲コンサートの趣で、会員なっていればこそ出掛けた回でもありました。とても単券では手が出ません。
恒例のプレトークは小宮正安氏の担当で、特に後半の3人は国民楽派と呼ぶのかロマン派と呼ぶべきか、というテーマ。いや、メンデルスゾーンこそ国民楽派ではないか、という話題にも発展していました。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、通称「メンコン」は、私などはロマン派の衣裳を纏った古典派の作品と考えていましたが、今回の木嶋/小林はコテコテのロマン派としての表現。
第1楽章の第2主題になると極端にテンポが落ちるし、第2楽章も私が聴いた中では最もゆっくりした速度で綿々と歌い上げる。何とかフィナーレだけは快速調を取り戻しましたが、これほどロマンを漂わせた演奏は稀でしょう。

このテンポが木嶋の主張なのか、あるいは小林のスタイルに敢えて合わせたのかは知りませんが、来年6月に同じ横浜定期でインキネン/川久保賜紀が取り上げるので、比較の意味でも聴いておく価値はありました。
ところでメンコン、前日に新日フィルの定期でも竹澤恭子が弾いたそうで、それを聴いた知人は古典派の作品の様にガッチリしたスタイルだったとのこと。メンデルスゾーンはロマン派か国民楽派か、はてまた古典派かという論点は、演奏家にも解釈の上で重要になっているのでしょうね。

後半は短い作品が並んでいるので早く終わるな、と考えていたのは大きな間違い。コバケンは夫々独自の解釈を披露しながら、一種のレクチャー・コンサートと化しました。
特にモルダウは要所要所で演奏実例を示し、河の流れのモチーフをダヴィンチ・コードに擬えての解説。初めての人には色々参考になった事でしょう。

私が面白く感じたのは、急流が滝になって砕ける所のコントラバスの扱い。具体的には321小節からですが、ここでマエストロは“日本フィルの皆さんはこのように演奏します”と告げ、コントラバスだけがただ「ロ音」を fff で刻むのではなく、楽器の胴体部分に弓をぶつけて恰も流木がぶつかるようなノイズを出す。
もちろんこれは「日本フィルの皆さんが演奏する」のではなく、小林マエストロがそのように演奏するように要求しているわけで、いわゆるコバケン・スペシャル。他の指揮者は絶対にこんなことはしませんから念のため。

最後の1812年の実例は冒頭の聖歌だけでしたが、実際の本番ではコバケン・スペシャル満載。一つはその聖歌が、チャイコフスキーの指示ではチェロ4本とヴィオラ2本のみなのに対し、コバケン版では徐々にプルトを増し、聖歌の頂点ではチェロとヴィオラの全員で合奏するように変更されているという具合。
これによって聖歌が徐々に歌い広がって立体的に膨れ上がっていくのは事実で、これを改竄と呼ぶ人もありましょうが、効果抜群であるのは間違いありません。

一体に1812年序曲を定期で取り上げるのは珍しいことで、流石に今回もホールで大砲をぶっ放すことはありませんでした。(消防法が煩いので実際上無理)
このスペクタクル、最後の帝政ロシア国家を別のメロディーに置き換える何とか版は論外としても、かつて録音でも冒頭を合唱団に歌わせたり(カラヤン)、実際の大砲と教会の鐘を別途収録したものと組み合わせたり(ドラティ)、シンセサイザーで代用したり(デュトワ)と様々な工夫がなされてきました。
コバケンの実演での解決策は、大砲は舞台上手に置かれた大太鼓とは別に下手にも大太鼓を置き、これを大砲よろしく思い切りひっぱたく。鐘は喉自慢用のチャイムではなく、本物の釣り鐘(一つだけ)をアットランダムに叩きまくる、というものでした。

アンコールはドヴォルザークのユーモレスクでしたが、これまた独自の解釈を解説付きで。何でも人の一生を辿るような解釈で、作品そのものとは正反対のストーリー付けでしょ。普通なら2分で終わるものが、10分も(まさか!)掛けて濃厚に演奏されるアンコール。全部が終わったら演奏時間2時間20分をオーバーしていましたっけ。

とは言え、ドヴォルザークが想像もしなかったような解釈でも、コバケンがやると、そういう作品になってしまう所が凄い。恐らく世界を見渡しても彼のような指揮者はおらず、その意味では「絶滅危惧種」であり、全て彼流に塗り替えてしまうのは「人間国宝級」でもある。
そんなことを話していたら、コバケンの熱烈なファンという方から“そんな言い方はないでしょ”とクレームを付けられましたが、いえいえ私は批判しているのではなく、感心しているのですヨ。これからもコバケン流解釈で会場を沸かせてくださいナ。

 

 

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