サルビアホール 第82回クァルテット・シリーズ

9月、秋の音楽シーズンも本格的にスタートしたようです。私にとってサルビアホールのクァルテット・シリーズは最早生活の一部。新しいシーズンが始まって、気分もスッカリ秋に改まりました。
秋/冬シーズンのサルビア、何と年内には3シーズン、9回もの例会が行われる予定で、例年以上に忙しい秋となりそうです。

昨日の9月26日、その皮切りとしてシーズン25の第1回、ロンドンからいま話題のピリオド系クァルテットが来日し、名手ホープリッチが復元・制作したバセット・クラリネットとの共演が実現しました。

ハイドン/弦楽四重奏曲第37(45)番ハ長調作品50-2
ハイドン/弦楽四重奏曲第44(59)番ホ長調作品54-3
     ~休憩~
モーツァルト/クラリネット五重奏曲イ長調K.581
 ロンドン・ハイドン・クァルテット The London Haydn Quartet
 クラリネット/エリック・ホープリッチ Eric Hoeprich

正直に告白すれば、私はピリオド系の演奏は苦手で、この団体も初体験。事前にネットを含めて様々な情報収集から始めました。最初に手が伸びたのは、幸松辞典。
氏によると当クァルテットは、成立年は不明(今回のプログラムでは2000年に結成されたとのこと)。2005年頃から活動を始めたメンバーの名前を見ると、ファースト以外は全て入れ替わっているようです。今回の来日(クァルテットとしては初来日か?)メンバーを紹介すると、
ファーストはキャサリン・マンソン Catherine Manson 、セカンドがマイゲル・グレヴィッチ Michael Gurevich 、ヴィオラはジョン・クロカット John Crockatt 、チェロがジョナサン・マンソン Jonathan Manson という面々。

ここから先は彼らのホームページで確認しましょう。

http://www.londonhaydnquartet.co.uk/

団体名が示すように、ハイドンのピリオド演奏の理想を追求するために結成されたということで、夫々が古楽畑で錚々たる活動歴を持ち、そのエッセンスを結集してハイドンの弦楽四重奏曲全曲を目指しているということでしょう。その情熱はホームページでキャサリンが熱く語っています。
その全曲演奏は既に達成しているそうですし、ハイペリオン・レーベルへの録音も作品9からスタートし、作品番号順に録り進み、現時点では作品55まで完了。今回の日本ツアーを終えた後、今年の12月には作品64全曲を録音する予定だそうな。
要するに、いまハイドンのクァルテットを聴くならザ・ロンドン・ハイドンQを真っ先に聴くべし、ということでしょうか。

サンプル映像が見られるように、彼らの座る位置はオーソドックス。舞台下手からファースト→セカンド→ヴィオラ→チェロの順に並び、後半のクラリネットはチェロの更に右、つまり舞台上手に位置していました。(彼等の同曲のCDは若干配置が異なる様に聴こえますが・・・)
もちろんピリオド系ですからガット弦でしょうし、弓はバロック・ボウ。チェロは膝で抱え込むように演奏します。ガット弦は音程が狂いやすいので、特にチェロは楽章間でも頻繁にチューニングをやり直していました。

弓がモダン・ボウより短いことから生ずる効果は絶大なもので、長い弓では困難な速いパッセージも楽々と通過。これがハイドンの音楽によりスタイリッシュな響きを作り出していきます。これこそが彼らの目指してきたことであるのはもちろんです。
その意味でも、演奏会の冒頭に作品50-2を持ってきたことは大正解だと思いました。

俗にプロシア・セットと呼ばれる作品50は、ハイドンが試みた様々な実験に満ちた曲集で、この日演奏された50-2は冒頭の第1楽章が「Vivace」と表記されていることに注目すべきでしょう。私の手元にある何種類かのモダン楽器による演奏は、4分の3拍子のヴィヴァーチェとは程遠いメヌエットのようなテンポで、何故ハイドンが第1楽章をいきなりヴィヴァーチェで始めたのか理解できませんでした。
しかし彼らは、決してプレストのような高速ではないものの、1小節を一つの単位としてカウントしていく「Vivace」で、経過句や展開部に出る細かい音のパッセージも自然と謳うような滑らかさが生まれてくるのです。
第3楽章メヌエットが3度下降をモチーフとし、逆にトリオでその転回型、3度上行で答えるのもハイドンの機知。トリオをチェロが「ドシラソファミレド」で支えるのも笑い所でしょう。

ハイドン愛を表明しているだけあって、ハイドンが付した反復記号は全て実行するというのも彼らの特質で、それは後半のモーツァルトでも徹底していました。
とかくハイドンは後のベートーヴェン、バルトーク、ショスタコーヴィチなどと共に演奏する際の「前座」に置かれる傾向があって、反復などは極力省略されがちですが、彼らは一つ一つをハイドンが練り上げた「大作」として演奏して行く。その姿勢に先ず感動の拍手を贈りました。

圧巻は、やはり2曲目、作品54-3の第2楽章でしょう。この傑作 Largo cantabile はシンプルな3部形式ですが、特に中間部はファーストの細かい装飾音、そして中間部後半ではチェロの繊細なパッセージも加わって見事な音絵巻を描き出します。
キャサリンの素晴らしいテクニック、ジョナサンの朗々たる響きに、客席も息を呑んで聴き入りました。
作品50では実験のための実験を楽しんでいたハイドン、たった1年後の曲集である作品54ではより深い、音楽的な進化を感じさせるような演奏に、ロンドン・ハイドン・クァルテットの神髄を見た思い。彼らの作品64以降の演奏を是非聴いてみたい、これは次回以降の楽しみに取っておきましょう。

後半のモーツァルトは、何と言ってもホープリッチ自身が再現製作したというバセット・クラリネットが見もの聴きモノ。事前のチラシに掲載された写真でそれとなく想像はしていましたが、何でも1794年、ラトビアのリガで行われたシュタッドラーのコンサート・プログラムに載っている図版とウィーン・モデルを基に再現したのだとか。
現代の黒いマホガニーとは異なり、如何にも木製の古楽器という風貌で、筒先が現代のものの様に下を向いておらず、蛇が鎌首を擡げているように横に直角に曲がっているのに気が付きます。
現代のクラリネットの高音は下に向かい、これが舞台の床面と反射して独特な鋭い音になるのですが、恐らくこの楽器は高い音も低い音も正面に向かい、耳を刺激するような要素が少ないものと思われます。

このクラリネットとピリオド弦楽器が醸し出すモーツァルトの世界は、“エッ、こんな曲だっけ”と思わせるほどに典雅で温かみのある別世界。現代クラリネットのために手直しされた版に替わり、今回はオリジナル版で演奏されたことによる新鮮さ(特に第3楽章メヌエットの第2トリオ後半のパッセージ)も印象的でした。
終楽章の変奏曲でテーマを2本のヴァイオリンが歌い出す、そのリズムの軽やかで嬉々としていること。私の思い込みでは、古楽はノンビブラートでアグレッシヴ、尖がった演奏と言う先入観がありましたが、この日鶴見に響いたピリオド楽器はそれとは正反対の音楽的に成熟した新世代の古楽器演奏でした。これなら納得です。

盛大な拍手に応え、モーツァルトの第2楽章 Larghetto がアンコールされました。正に白鳥の歌の静謐な世界。演奏が終わり、長い沈黙の後に起きるジワッとした拍手が、また良い。

ロンドン・ハイドン・クァルテットの今回の日本ツアー、昨日の鶴見が皮切りで、このあと銀座のヤマハホール、芝の浜離宮、名古屋の宗次、最後は西宮で終わるようです。
夫々の会場でのプログラムは各自確認して頂くとして、ホープリッチのクラリネットはもちろん、古楽器とか現代楽器とかの区別はさて置いて、ハイドン演奏の面白さこそ聴き所と言えるでしょう。

 

 

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