第366回・鵠沼サロンコンサート

10月の鵠沼は、前回とは打って変わったバロック音楽。私は普段バロックの演奏会には縁がありませんが、毎回質の高い音楽が聴けるサロン、プロデューサーの耳を頼りに出掛けてきました。
ストラスブール音楽院で教授を務めるリュートの権威、今村泰典氏が中心となって結成したフォンス・ムジケの多彩なプログラムです。

モンテヴェルディ/主をほめたたえよ
メールラ/子守歌による宗教的カンツォネッタ「今や眠りの時」
ボノンチーニ/チェロと通奏低音のためのソナタ イ短調
ランベール/貴女のつれなさが日ごと Vos mespris
ド・ヴィゼー/前奏曲とサラバンド「ラ・デュ・オー・メニル」ト長調
ランベール/春の甘味な魅惑 Doux charmes du printemps
ランベール/恋しいひとの影よ Ombre de mon amant
     ~休憩~
J・S・バッハ/無伴奏チェロ組曲第3番~プレリュード、サラバンド、ブーレー
ストロッツィ/もいあなたがそう望むなら、私はそれで構わない
ストロッツィ/恋するエラクレイト「恋する人たちよ聞いておくれ」
ストロッツィ/わが涙
 フォンス・ムジケ Fons Musicae
 ソプラノ/ドロテー・ルクレール Dorothee Leclair
 バロック・チェロ/レア・ラヘル・バーダ Lea Rahel Bader
 テオルボ/今村泰典

サロンのアーカイヴを検索すると、今村氏が鵠沼サロンコンサートに登場するのは今回が5回目。最初は1994年のリュート・リサイタルで、そのあと1996年、1998年と2年おきに出演し、1998年はフォン・ムジケとしての演奏会でした。しかしその時は今回のメンバーではなく、カウンター=テナーの名歌手ベルタンとの共演だったようです。
震災の年の秋にはリコーダー奏者とのデュオで、この時が現在の会場であるレスプリ・フランセでの会。氏が“私は2度目です”と挨拶されていたのは、このサロン会場では2度目と言うことでしょう。

さてフォンス・ムジケ、ラテン語で「音楽の泉」という意味だそうですが、メンバーや各人の経歴についてはホームページを見た方が早いし、正確です。

http://www.yasunoriimamura.com/FONS%20MUSICAE/PAGE%20JAP%20FM/1-FM-Som-jap.htm

冒頭、平井プロデューサーが“今回のツアーはチェンバロも加わっていたのですが、ここにチェンバロを持ち込むと費用が嵩むので、その方には帰っていただいて今日は3人です”と、至極尤もな内輪話から。サロンの打ち解けた雰囲気が伝わります。
バロック音楽にも演奏者にも殆ど知識がないので簡単な感想に纏めると、これはもう空間も時代もタイムスリップしたような体験でしたね。本来バロックの時代には今日のような演奏会という形態は無かったでしょうし、一般大衆がこのような形で音楽だけを楽しむという習慣も存在しなかったと思います。いわば架空の音楽会、という新たなる楽しみでもあったと思いますがどうでしょうか。

冒頭のモンテヴェルディ、最初からルクレールの強靭な声が真っ直ぐに突き刺し、ノン・ヴィブラートの澄み切った歌声に魅了されます。私は元々バロックだけではなく、声楽で強いヴィブラートが掛かった声は大の苦手で、例は不適切ながら日本の演歌などは最初から受け付けません。ですからルクレールのノン・ヴィブラートに徹したバロック声楽の世界には文句なく感動しました。
バーダの弾くバロック・チェロ。もちろん膝で挟んでの演奏ですが、奏者と聴き手が同じ床面なので、楽器の響きが足の裏を振動し、それが骨を伝わって体全体に共鳴する。この感触はオーディオではとても体験できないし、舞台の高い一般的なホールでも無理でしょう。サロンならではの迫力に驚かされました。「バロック音楽はサロンで聴くべし」。

今回は7人の作曲家の作品が取り上げられましたが、私が知っているのはモンテヴェルディとバッハだけ。メールラとボノンチーニは音楽史上の知識があるだけで、他の3人はそういう作曲家がいることすら知りませんでした。ということは、収穫が大きかったということでもあります。
演奏された順に少し触れておくと、最初の2曲は宗教音楽。モンテヴェルディには Laudate Dominum というタイトルの作品が少なくとも2曲あり、今回のは後で出版された S287 だと思います。(間違っていたらごめんなさい)
次のメールラ Tarquinio Merula (1594/95-1665) はクレモナ出身の多作家で、当時はカンツォネッタという曲種はソナタと明確に区別されていたわけではなく、単なる合奏曲と見てよさそう。今回歌われたのは、キリストが将来の受難に備えて今はお休みなさい、という暗喩が含まれているのだそうな。

ここでソプラノは一休み。ボノンチーニ Giovanni Battista Bononcini (1670-1747) のソナタがチェロとテオルボの二重奏で演奏されます。ボノンチーニという名前の作曲家は二人いますが、ジョヴァンニ・バッティスタはジョヴァンニ・マリアの息子で27歳までボローニャで活動し、その後イギリスに移ってヘンデルのライヴァルと目されていた人。このソナタはアンダンテ→アレグロ→グラツィオーソ→メヌエットの4つの部分から成り、最後にグラツィオーソに戻るという構成。

再びソプラノが加わり、ランベール Michel Lambert (1610-1696) の歌曲。私は初めてその名を耳にする作曲家で、このあと歌われる3曲とも恋の歌だそうです。どれも前奏部が結構長い歌で、幸いどの作品もペトルッチで楽譜をダウンロードできました。
最初の Vos mespris (結構有名な作品で、ユーチューブなどでも聴くことができます)に続いて、今村氏のソロでド・ヴィゼー Robert de Visee (ca.1650-1725) の作品がテオルボのソロで。帰宅して色々調べた中で最も苦労したのがド・ヴィセー。当時のテオルボの名奏者だったようで、リュートやテオルボのための作品が多数残されています。今回演奏された「ラ・デュ・オー・メニル」La Du haut Mesnil というのがどういう意味なのか、今でも調べが付いていません。譜面もテオルボ・ソロの作品集と言うものが手に入りますが、該当するものかどうか判明しませんでした。

この作品の後で、今村氏が楽器についての解説。テオルボはリュート属の楽器で、中東のウードという楽器が起源だそうな。これが東洋ではピファに、西洋ではリュートに進化し、ピファが日本に入って琵琶となったという歴史があるそうです。
楽器に張られた弦の本数は時代によって変遷があり、今回は最も進化した形の14弦(コースと呼んでいました)。単弦と復弦の2タイプがあり、複弦は共鳴してしまうことから余り強い音では弾けないとのこと。素人考えとは逆、というのが面白く感じました。もちろん今回は14コースの単弦。
ということで、ランベールの佳曲が2曲続けて歌われ、前半が終了。

後半はバッハの名曲から、三つの楽章。今回はバロック・チェロ奏者も出演していましたが、敢えてテオルボのソロという新趣向でのバッハとなりました。プログラム本編で私が知っているのはこの曲だけ。
最後は3人が揃い、ストロッツィ Barbara Strozzi (1619-1677) の歌曲が3曲。この作曲家も初めて聴いた人で、ヴェネツィア楽派の女性作曲家だそうな。最初の歌(Se volete cosi me ne contento 作品6)はいきなりソプラノから入るチョッとコミカルな印象の作品で、“Se volete cosi”という文言が繰り返しモチーフの様に扱われて印象に残ります。
2曲目の恋するエラクレイト(l’Eraclito Amoroso “Udite Amanti 作品2)は、一転してドラマティックな作品。表題はカンタータのタイトルでしょうか、これもダウンロードできる楽譜では作品2の4番目に位置しているようです。
最後の Lagrime mie 。これも後で調べてみたところによると、「エウテルペの遊戯」作品7という曲集に含まれているもののようで、現代譜に直した譜面がペトルッチに掲載されています。冒頭テオルボが長い前奏を奏し、ソプラノが下降音型で「涙」が落ちるのを描写していく。美しい歌で最後が締め括られました。特に最後のストロッツィの3曲は、聴き慣れていない耳にも名演奏だったと断言できます。

当然ながらアンコールがありましたが、これが全く意外なもの。今村氏が“会場の l’Esprit Francais”に相応しいもの、としか曲名を告げませんでしたが、歌い始めて直ぐに客席から拍手。私ももちろん気が付きましたよ、そう、ジョゼフ・コズマ作曲の名歌「枯葉」が歌われたのでした。
この編成によるシャンソンは格別な味わいで、流石のソプラノも極く軽いヴィブラートをかけ、それがチェロとユニゾンで歌われる所は思わずゾクゾクッ、としましたね。
時空を超越したバロックの、音楽の世界を味わった一夜でした。

 

 

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