サルビアホール 第86回クァルテット・シリーズ

フィンランド作品を並べて独立100年を祝ったテンペラQに続き、鶴見サルビアホールのシーズン26の2回目は「ドイツ音楽の伝統を継承する本格派」ヘンシェル・クァルテットの登場です。
ヘンシェルQのサルビアは2014年10月、2016年5月に続いて3度目、前2回と同じ、ドイツ音楽の古典作品に現代モノを組み合わせた以下のプログラムでした。

モーツァルト/弦楽四重奏曲第19番ハ長調 K.465 「不協和音」
ウェーベルン/弦楽四重奏のための緩徐楽章
     ~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調作品131
 ヘンシェル・クァルテット

今回のヘンシェル、これまでセカンドを務めていたダニエル・ベルがオーケストラ活動に専念するということで、カタリン・デサーガ Catalin Desaga に代わっていました。去年のエク・ドイツ・ツアーに参加された方はご存知でしょうが、2016年のゼーリゲンシュタット「小さな弦楽器音楽祭」でベルのピンチヒッターを務めたデサーガ、その直後にヘンシェルQのホームページで発表されたように、正式にセカンドに就任。このメンバーでは今回が日本初登場ですが、既に1年半ほどアンサンブルを組み立ててきた仲間たちです。今回のコンサートでも、初めて聴かれた方からも“最初からメンバーだったみたい”との感想が聞かれたほど、完璧に同化していました。4人のアイ・コンタクトも大きな見もの。

ヘンシェルは晴海、赤坂、ゼーリゲンシュタット、鶴見で何度も聴いてきましたし、その特質も繰り返し紹介してきました。屋上屋を架すことにもなりましょうが、ヘンシェルの演奏が如何にドイツ的であるかを、今回のプログラムから例を引いておきましょう。

先ずはモーツァルト。第3楽章のメヌエットはファーストの弾く山型のモチーフに続き、4人がフォルテのユニゾンで合いの手を打ちます。この合いの手、3拍目から始まりますが、その第3拍にはアクセントを置きません。3拍子はあくまでも第1拍に強拍があるからで、最初のフォルテを強く弾き過ぎると、アーティキュレーションが不自然になるからです。
指摘が細かすぎるかもしれませんが、フォルテの合いの手「シ・ド・レ・ミ・ファ」がドとファに力点があることで、6小節後の sf が活きてくるのですね。何でもないことのようで、この辺りがゲルマン民族には生まれた時から体に染みついているリズム感覚なのでしょう。我々日本人には、一から教えないと理解できない感覚と言えましょうか。譬えは飛びますが、「ハッピー・バースデイ」の歌がアウフタクトの3拍めから始まることを体で覚えていないと、フレーズが何となく不自然になってしまう、と言えば解って貰えるでしょうか。

同じことはベートーヴェンでも。作品131の第4楽章に当たるのでしょうか、途中で4分の9拍子、Adagio ma non troppo e semplice では第1拍めが休符となり、2拍目からスタッカートが付された4分音符がスラーで繋がれていく。ここなどは一音一音がクッキリと弾き分けられながらも、全体がレガートで大きなフレーズを創る。
第1楽章の冒頭、ファーストのクリストフ・ヘンシェルはフーガ主題を一音づつ意識して弾き分けながら、フレーズ全体にレガートを掛ける。この呼吸が上に挙げた4分の9拍子にも通じ、如何にもドイツ的で、理屈ではなく頭で考え出された結論でもないのでしょう。冒頭を単にスラーで繋がれた旋律として演奏してしまうと、耳には快くともベートーヴェンにはならない。

二つの大曲の間にはウェーベルンの若書き作品が取り上げられましたが、何ともロマンティックな楽章で、12音技法のイメージが付き纏うウェーベルンというより、殆どリヒャルト・シュトラウスの世界です。
ウェーベルンには弦楽四重奏のための作品が6曲あり、半分の3曲は作品番号も付せられているイメージ通りのウェーベルン。一方3曲ある若い頃の作品は後期ロマン派の音楽と評して間違いなく、作品番号は無く、譜面もチョッと努力しないと手に入りません。元来新しい作品に共感しているヘンシェルも見事な演奏で聴き手を圧倒しました。これほど美しいメロディーを紡いだウェーベルンが、何故成長してからは作品28を書くまでに至ったのか、考えてみる価値はありそうです。それが20世紀だったのでしょうか。

ということで、些か細部に拘った感想になってしまいましたが、これも細かなニュアンスに間近で接することができるサルビアホールならではのこと。もっと大きな空間で聴いたのでは大雑把な感想になってしまうでしょう。
新体制のヘンシェル、サントリーホールでベートーヴェン全曲演奏に挑んだころに比べ、音楽的にも技術的にもより安定してきたように感じました。改めて弦楽四重奏には熟成に掛ける時間と経験が必要だと思います。ある一時のコンサートの印象だけで団体を評価するのは危険で、10年、20年と言う歳月を経て如何に成長、深化していくかを体験して初めて、そのクァルテットの真価が判るのだと思慮します。

ベートーヴェン最後の大作の後ではアンコール不要と考えていましたが、もしあればベートーヴェンのカヴァティーナでしょうか。休憩時の雑談でそんな話題が出ましたが、彼らは本当に作品130の第5楽章をアンコールしてしまいました。涙なしには聴けないカヴァティーナ。実際に感極まった聴き手もチラホラ見受けられました。

 

 

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