読売日響・第573回定期演奏会

11月にメシアンの超大作を取り上げた読響、12月は一息と思いきや、今年最後の定期演奏会もマーラーの超大作が続きました。今シーズンから首席客演指揮者に就任したマイスター、肩書を持つ身としては初登場の定期でもあります。

マーラー/交響曲第3番
 指揮/コルネリウス・マイスター
 メゾ・ソプラノ/藤村実穂子
 女声合唱/新国立劇場合唱団
 児童合唱/TOKYO FM少年合唱団、フレーベル少年合唱団
 合唱指揮/三澤洋史
 コンサートマスター/長原幸太

ふと頭を過ったのは、鳥たちに説教する聖フランチェスコが出てきたばかり、ここは同じマーラーでも第2交響曲の方が面白かったのじゃ、ということ。マーラーには魚に説教する聖アントニウスというのが出てきますからね。
冗談はさて置き、マーラーの交響曲の中でも最も長大な印象があるのが第3番。定期が終われば毎年恒例の第9連続公演が待っている読響、演奏する側はもちろんのこと、熱心に通っているファンもハードな日々が続きます。

私がマイスターを聴くのは二度目で、去年の定期初登場もハイドンとマーラーの第6交響曲を並べたプログラム。よほどマーラーに執心している指揮者なんでしょう。マーラー・ファンには受けるタイプでしょうが、さしてマーラー好きでもなく、膨大なオーケストラ作品が些か体に堪えるようになってきた老骨にとっては敬遠したくなる指揮者でもあります。ここは覚悟して出掛けました。

セカンドとヴィオラを入れ替えるのは第6の時と同じ、マイスターの独自な考えによるものでしょう。極めて長大な第1楽章が終了した所で、P席の合唱団とメゾ・ソプラノ(指揮者の真ん前)が入場します。歌手にとって負担を極力避け、音楽的にも継続性を重視した方法でしょう。少年合唱団の左端には、二つの団体の指導者と思しき女性2人が控えていたのが目に付きました。
第3楽章で登場する遠方からのポスト・ホルン、首席トランペットの長谷川潤が担当しましたが、P席後方の通路で吹いたようで、その場面では扉を開き、客席からは奏者の姿は見えませんでした。

今回の立役者は、何と言ってもメゾの藤村実穂子。その深々とした声質、歌詞を見事に表現した歌唱力に圧倒されます。歌っている姿はもちろん、そうでない時の表情も作品に合わせて変化し、彼女の姿を見ているだけでマーラーの世界に惹き込まれてしまいました。定期はこの1回だけ、また短い二つの楽章だけで出番が終わってしまうのは真に残念なことではあります。

歌が入る二つの楽章に続くのが、第3交響曲の白眉でもある第6楽章のフィナーレ。この楽章、来年が生誕100年となるレナード・バーンスタインの追悼演奏会(ニューヨーク・フィル)でズービン・メータが、“Good by, Lenny”と呼びかけて演奏したシーンが忘れられません。マーラーが初めて書いた本格的なアダージョで(確かマーラーはこの楽章から書き始め、徐々に構想が拡大していったはず)、「ベートーヴェン以降、最高のアダージョ楽章」とも評されてきたこのアダージョ、流石にマーラーが苦手な私も感動無しには聴けません。
逆に言えば、このフィナーレが無かったら第3交響曲って何なのか? ブラームスからの引用は単なるパクリじゃなく、何か意味するところがある筈だし、ポストホルンとヴァイオリン・ソロの辛味で何故にリスト(ホタ・アラゴネーズ)が引用されるのか? 私にとっては相変わらず謎の多い大作で、今回の演奏でも答えは見出されませんでした。

マイスターという指揮者についても同じ。前回と今回、二度ともマーラーの大作で、正直なところ、マーラーばかり聴かされたのでは判断のしようもありません。オーケストラは「新世代の読響の顔」として高く評価しているようですが、未だ私にはマイスターならではの「何か」が見えて、聴こえてきません。言葉は不適切かもしれませんが、可もなく不可もなし、と言う印象です。
彼本人のホームページ、今回手渡された来期のシーズン・プログラムを見ても、特技は「逆立ち」とのこと。次の登場もマーラーの第2交響曲が選ばれていますし、定期では彼の二本柱の一つでもあるリヒャルト・シュトラウス・プロ。折角多彩なレパートリーを誇っている指揮者ですから、もう少し多彩なプログラムを聴かせてもらいたいところですね。

 

 

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