サルビアホール 第90回クァルテット・シリーズ
2017年も大分押し詰まってきました。私が1年間で通うコンサートはほんの一握り、九牛の一毛に過ぎませんが、その中で最も物議を醸しそうな音楽シーンが昨日、鶴見サルビアホールで行われたクァルテット・アロドとの出会いだったことは間違いなさそうです。シーズン27、男性系3団体のトリとして登場した彼らは、サルビア初登場、多分初来日でしょうし、アタイールの新作の日本初演も含めて初物尽くしの一夜でした。
モーツァルト/弦楽四重奏曲第15番ニ短調K.421
アタイール/弦楽四重奏のための「アスル(午後の礼拝)」
~休憩~
メンデルスゾーン/弦楽四重奏曲第4番ホ短調作品44-2
クァルテット・アロド Quartour Arod
先にメンバーの紹介から。Qアロドは2013年に結成されたばかりのフランスの団体で、ファーストがジョルダン・ヴィクトリア Jordan Victoria 、セカンドはアレクサンドル・ヴ Alexandre Vu 、ヴィラをコレンティン・アパレイリー Corentin Apparailly 、チェロがサミー・ラシド Samy Rachid という面々。2016年のミュンヘン国際コンクールで優勝し、大きな注目を集めた若手。現在エリザベート王妃音楽院のアーティスト・イン・レジデンスとしてアルテミスQの下で研鑽を積んでいるということですから、これからの団体と見て間違いないでしょう。鶴見は、その日本デビュー。ここに細々と書くより、彼らのホームページをご覧ください。
衣裳提供がパリの Blandin & Delloye という辺りが如何にもフランス的ですが、イケメンの4人、風貌からはパリジャンを連想するのは難しいかも。
今回のツアーは13日の鶴見、本日14日に銀座の王子ホール、そして明日15日が京都の村田ホールという3公演のみのようで、未だ迷っている方は、怖いもの見たさ・聴きたさに出掛けて見られることをお勧めします。第一印象は、“なんだ、こいつら”。良い意味も悪い意味も含めてですが・・・。
ところで団体の名、アロドについて。これはロード・オブ・ザ・リングという人気シリーズに出てくる馬の名前とのことだそうですが、その辺りからして旧世代の人間にとってはピンと来ません。尤も馬好きの私には馴染みが無いわけでもなく、現実のアロド Arod はアロドQがデビューした頃に英国で走っていた馬で、アラブの王族が所有し、イギリスのGⅡ戦とGⅢ戦に勝ち、サセックス・ステークスという最高格の大レースで2着したこともある結構強いサラブレッドでした。この話はクラシック音楽には無関係なので、興味ない方は右から左でサッサと忘れるように。
さてパリジャンのアロド、ブランド物の黒い衣装で颯爽と登場。並びはオーソドックスで、左からファースト→セカンド→ヴィオラ→チェロの順。立って演奏などはせず、椅子に座って紙の譜面。タブレットじゃありませんでした。
しかし冒頭、モーツァルトが鳴り出すと、これは衝撃以外の何物でもありません。全くモーツァルトらしくないモーツァルトで、私も長年クラシック音楽に親しんできましたが、こんなモーツァルトは初体験です。いや、これ、本当にモーツァルトなんでしょうか?
何処がどう違うか、というと説明は難しいですね。無理にこじつければ、モーツァルトなどの古典派音楽では、形式が基本、ですよね。ソナタ形式とか三部形式と言う形の中でテーマが形作られ、変容し、発展していく。その造形美を楽しむことに音楽鑑賞の神髄がある。しかしアロドは、どうやらそうは考えていない。
彼らは先ず演奏する作品にストーリーを組み立てる(らしい)。古典的な形式などは後から付いてくるもので、全てはアロドが描いて行く物語に従う。馬こそ主役で、御者はあくまでも添え物なのです。もちろん譜面を変えたり、強弱記号を無視するわけではありませんが、何とも言えぬ違和感がある。だから単純なメヌエットでも、繰り返しは同じことを繰り返さない。K.421はつい先日ウィハンQで聴いたばかりですが、あちらが伝統に則った演奏だったのに対し、こちらは敢えて伝統の衣裳を脱ぎ捨てる。
狐につままれたようなモーツァルトが終わり、続いて新作の日本初演。作曲家アタイール Benjamin Attahir (1989-) についても、もちろん作品についても何の知識もないまま出掛けましたが、ネット上ではこんなサイトを見つけました。一つは出版社であるサラベール社のホームページ↓
http://www.durand-salabert-eschig.com/en-GB/Composers/A/Attahir-Benjamin.aspx
もう一つは同社のニュースレターから、新作アスルとアロドQへのインタヴューをまとめたもの↓
http://www.durand-salabert-eschig.com/en-GB/News/2017/09/Attahir-Arod/
サルビアホールで渡された曲目解説では、この項のみ木幡一誠氏が書かれたものでした。要約すると、アタイールはトゥールーズ生まれのフランス人作曲家で、幼時からヴァイオリンを学んだ由。日本でも既に作品が演奏されたことがあるようですが、私は今回初めて体験しました。アスルはQアロドのために書かれ、今年10月2日にパリで初演されたばかり。題名 Al Asr がムスリムであることから判るように、アタイールが「目下取り組んでいるサラート(イスラムの祈り)」をめぐる連作の一部で、キリスト教的な世界と、ヘブライ文化に根差す様々な要素の出会いと対話がテーマ、とのこと。
午後の礼拝というタイトルから想像するような静かな音楽と思うと大間違いで、2つの文化は激しく対立し、軋み、狂乱の世界に突入していきます。
スコアを見ていないので耳だけの感想ですが、作品はかなり長い。普通の弦楽四重奏曲のような多楽章構成ではないものの、様々な表情の部分に分かれ、複数の要素が単一楽章に纏められているよう。
誰でも気が付くのが、恐らく最後のパートとして置かれているであろうフーガで、セカンド→チェロ→ファースト→ヴィオラの順に打ち付ける様なモチーフが受け渡されて行く所が最大の聴きモノでしょう。最後は真にかっこよく、ジャン・ジャン・ジャンで締め。客席も大興奮の様子で、現代作品の初演でこれほど盛り上がるのは珍しい光景じゃないでしょうか。4人も3回、舞台に呼び返されていました。
このシンフォニックな音楽、最終的には弦楽四重奏曲と同じ「アスル」というタイトルでまとめられる、様々な編成による5つの曲からなる連作の3番目に位置する予定だそうで、既に初演されている第1曲「Al Fair」はオーケストラ作品。Qアロドの演奏が単なる四重奏の枠を大幅にはみ出しているように感じられたのは、そうした作品の性格によるものでしょう。
前半が終了、息苦しくなって思わずホワイエに出て深呼吸。この休憩、彼方此方で感想を言い合う輪が出来ていて、Qアロドを大絶賛する賛成派、違和感に包まれた反対派に分かれて侃々諤々の議論になっていました。
私は、モーツァルトでも告白したように反対派でしたが、若い世代は興奮気味。口角泡を飛ばして彼らの高度なテクニック、圧倒的な迫力、型破りな解釈を褒めちぎっています。この議論、休憩終了のベルが鳴るまで続き、後半開演ギリギリまでホワイエでの声高な会話がホールにも侵入してきたほどでした。
後半は、アロドQが録音した初CDにも含まれているメンデルスゾーン。この録音はNMLでも配信されているので事前に聴いてきましたが、実際に聴いた鶴見では、更にエスカレートしたストーリーに基く解釈。
私の古い概念では、メンデルスゾーンは古典的な本質にロマン派の衣裳を纏った作曲家なのですが、アロドはこの伝統を根本から覆し、ピカピカの衣裳で登場します。室内楽ホールでの演奏と言うより大ホール、いやアリーナのような公開スペースでの演奏こそ相応しいようなメンデルスゾーンで、アンコール(チェロのサミーが何とか日本語で紹介)に演奏された作品81のカプリッチョも同じ。確かに第4番のフィナーレは Presto agitato ですが、彼らのメンデルスゾーンはまるでケンカを売っているような印象を持ってしまいました。
室内楽、弦楽四重奏という領域を遥かに超えた、シンフォニックなスタイルは、普段はオーケストラに通い、たまには室内楽も覗いてみようか、という聴き手にはピッタリかも。
当然ながら、ここには保守と革新、伝統は守るべきか壊すものか、という問題が出てきてしまいます。これはクラシック音楽の世界に留まらず、日本の伝統芸能にも当てはまること。
確かに、古典は伝統の中に胡坐をかいていては、いずれ廃れるのは必定。時折新しい血や視点を加えていくことで、新たな伝統が生まれていく。これは正論でしょうが、要はバランスか。歌舞伎に新しい風を取り入れるべく創作されたスーパー歌舞伎に対して歌舞伎に関心が無かったファンが熱狂したのに対し、保守的観客は拒否反応を示した。私はアロドの演奏に、それと似たような感想を持ってしまいました。
型破りなメンデルスゾーンを終え、彼らを何度も舞台に呼び戻す賛成派の拍手喝采が、最後は保守・隠居組の反対を完全に制圧してしまった、そんな衝撃のQアロド日本デビュー。銀座と京都、残る2公演の客席での反応を知りたいところです。
以上、Qアロドは未だ若く、これからの演奏家たち。初見でもサラッと弾いてしまう能力は十分でしょうが、Qアロドの考えるモーツァルト、メンデルスゾーンを創り上げるにはそれなりの準備が必要でしょう。従ってホームページを見れば分かるように、レパートリーは未だ限られています。今回のモーツァルトは、他に第1番とK.387に不協和音が加わるだけだし、ベートーヴェンも4曲だけ。ショスタコーヴィチに至っては未だ8番1曲しか公開では演奏していないようですね。
次は何時、何処で、何を演奏するのか。不思議な魅力を湛えたクァルテットではあります。
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