読売日響・第575回定期演奏会

このところ室内楽ばかりに足が向いていたメリーウイロウですが、昨日は今月最初のオーケストラ演奏会を聴いてきました。読売日本交響楽団の2月定期です。私にとっては今年最初の読響定期。
実は1月定期、もう一つの会員である日本フィルの横浜定期と重なってしまい、パス。ギリギリまで選択に迷っていたのですが、読響を名曲シリーズに振り替えてしまいました。読響さんごめんなさい。

代わりに出掛けたサントリーの1月名曲。前半でイザベル・ファウストがブラームスの協奏曲を弾きましたが、彼女が選んだカデンツァが何とブゾーニ版というサプライズ。大いに興味をそそられたのですが、後半のベートーヴェン第5などが如何にも軽い演奏で私には満足できず、感想は敢えてスルーしました。もちろん個人的な備忘録は残してありますが、公開する積りはありません。改めて定期演奏会を優先すべき、と後悔した次第。
ということで、2月は期待のカリスマ、テミルカーノフを堪能してきました。次のプログラム。

チャイコフスキー/幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」
ラフマニノフ/パガニーニの主題による狂詩曲
     ~休憩~
ラヴェル/組曲「クープランの墓」
レスピーギ/交響詩「ローマの松」
 指揮/ユーリ・テミルカーノフ
 ピアノ/ニコライ・ルガンスキー
 コンサートマスター/長原幸太

これまで何度も素晴らしい演奏を繰り広げてくれた読響名誉指揮者のテミルカーノフ、今回の定期は後半にマエストロとしては珍しいラテン系の作品が並んでいるのが聴きモノでしょう。最初は選ばれた4曲に何か繋がりでもあるのかと色々考えましたが、見当たりません。会場で手渡されたプログラム誌を繰っていると、来日直前のインタヴュー記事に目が留まりました。
読売新聞モスクワ支局長・花田吉雄氏の記事によると、今年はテミルカーノフが80歳を迎える記念の年。マエストロは “自分が好きな作品しか指揮しない年齢になっている” と明言し、海外公演ではロシアの楽曲を演奏することが求められるので、ロシアのクラシックを演奏する、とも。レスピーギやブラームスを演奏する機会があるときは、いつでも喜んで演奏する、と語っていました。

要するに、今回の定期は(他のシリーズも含めて)本人が好きな作品を並べたということで、それ以上勘繰る必要はありません。そう言えば先年、主兵のサンクト・ペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団を率いてロンドンのプロムスに客演した時にもエルガー(エニグマ変奏曲)を選択。不思議に思ったコメンテイターがインタヴューで理由を聞いていましたが、純粋に素晴らしい作品で大好きだから、ということでしたっけ。そのエルガーもチャンと読響で指揮していますよね。

前半はお国モノでもあり、もちろんマエストロが気に入っているロシアの名曲2曲。最初のチャイコフスキーは、ダンテの神曲に含まれるストーリーを作曲者がワーグナー(指環)の影響下で交響詩風に描いた幻想曲。序奏と3部形式の主部から成るやや長大な作品で、主調はホ短調と見て良いのでしょう。特に Allegro vivo の主部が長く、テミルカーノフはここに大胆なカットを施すのが特徴。この結果全体はスッキリとコンパクトに纏まり、中間部のフランチェスカとパオロの愛の場面が引き立ってきます。
チャイコフスキー自身は後に、一時の刺激で書いたものの、迫力の無いつまらない作品と自虐的になっていますから、こうしたカットが却って効果を挙げるのでしょう。昨今は何もかもオリジナルでなければダメ、という風潮がありますが、演奏現場の経験と良識はもっと尊重されるべき、というのが私の意見です。
ところでテミルカーノフ、最後の最後であっと驚く裏技を繰り出したように見えますが、瞬時の事で確信が持てません。テレビ収録があったようですから、いずれ確認できてから紹介しようと思います。

続いては、マエストロ自身が指名したというルガンスキーを迎えてのラフマニノフ。私がルガンスキーを初めて聴いたのは10年近く前、札幌交響楽団の定期で同じラフマニノフの第2協奏曲でしたが、ラプソディーでもその時の感動を思い出しました。今回が読響との初共演。
完璧なテクニックと、豊かな音楽性。テミルカーノフが指名するだけのことはあり、確か上記プロムス客演の際も、マエストロとラフマニノフ第2を弾いてロンドンの聴衆から大喝采を浴びていました。私が体験した札幌とロンドンに続き、東京のファンの拍手に応えたアンコールは、やはりラフマニノフの前奏曲集作品32から、ト長調の第5番。札幌の時は同じ曲集の第12番がアンコールされていました。

そして、個人的にはより楽しみな後半。ラヴェルの小編成に対し、レスピーギの大編成という対照の妙も聴き所でしょう。
そのラヴェル、2管編成にホルン2本、トランペット1本とハープ、打楽器が全く使われていないという古典派の作曲家もビックリな薄手のオーケストレーションながら、恰も打楽器が使われているような錯覚を聴き手に与えるのがラヴェルならでは。どの楽章もピチカートが効果的に使われるので、トライアングルが響くようだし、低弦の持続音は大太鼓のトレモロのようにさえ聴こえてくるのでした。
透明で濁りの無い読響サウンド、カンブルランの功績とも言える小回りの利く軽やかさも獲得したオケの特性を、テミルカーノフが巧みに引き出した結果でもありましょう。個人的な感想では、このラヴェルこそ当夜の白眉だったと思います。

さて「クープランの墓」、プログラムの曲目解説で柴辻純子氏も触れておられましたが、「墓」と訳されているトンボー Tombeau には故人を称える、偲ぶ、という意味があり、タイトルの Le Tombeau de Couperin はそろそろ見直した方が良いかも。フランスの古典音楽に敬意を表したと考えられるタイトルで、これこそがラヴェルの本質。解説の適切な指摘には大いに共感しました。

締めは大音響がホールを埋め尽くすレスピーギ。ボルゲーゼ荘の松が終わるとトランペット首席の長谷川潤が密かに舞台を降り、出来るだけ遠くからと書かれたグレゴリア聖歌を舞台裏で吹奏。「出来るだけ」という指示に従うため、舞台と裏手を結ぶ扉を半開きにする工夫も見られました。もちろんトランペットがかき消されないように舞台上の弦楽器も可能な限りのピアニシモ。
ジャニコロの松ではクラリネット首席・金子平のソロが美しく、ややデジタル風に聴こえはしたものの、ナイチンゲールの声もホール一杯に響いて雰囲気を盛り上げます。

最後のアッピア街道。本来ならレスピーギが指定したブッチーネ Buccine という楽器についての紹介があっても良いのですが、現在では定石通りにトランペット4、トロンボーン2のバンダがP席奥、オルガンの両隣に立ってステレオ効果を最大限に発揮。マニアックな聞き手は、チェロが第4弦を低く調弦するシーンも見逃さなかったでしょう。
若い指揮者なら大熱演、大袈裟に指揮棒を振り回してクライマックスを演出するフィナーレですが、テミルカーノフは左手でスコアを捲り、右手も僅かにヒラヒラさせるだけで読響猛者軍団は大音響を轟かせます。正にカリスマ、円熟の頂点にある巨匠の至芸を堪能し尽しました。大袈裟なリアクションは苦手のようで、マエストロは早々と長原コンマスの手を引いてお開きに。もうチョッと、という腹八分で終えるのも老巨匠の人柄でしょうか。

最後に一言、最初に紹介したマエストロのインタヴューの中に、100年前のロシア革命についての見解が記されていました。マエストロは革命がロシアにとっては悲劇だった、という意見で、“ドイツ人は第2次大戦に反省しましたが、我々はこの共産主義時代について反省していません。だから我々は、どの方向に進むべきかをはっきりわからずにいるのです。我々はまだ過去に引きずられています” と。
何とも含蓄に富んだ言葉じゃありませんか。心して読むべし。

 

 

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