アラウンド・モーツァルト VOL.3
クァルテット・エクセルシオが展開する4つのシリーズの一つ、晴海トリトンの第一生命ホールで行われるアラウンド・モーツァルト・シリーズの第3回が3月11日の日曜日に開催されました。定期・ラボ・旅とは一味違ったクァルテットの楽しみです。
フンメル/弦楽四重奏曲第2番ト長調作品30-2より第1楽章
モーツァルト/弦楽四重奏曲第22番変ロ長調K.589「プロイセン王第2番」
~休憩~
モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」K.492(弦楽四重奏版)より
マチネーで楽しむモーツァルト、漸く春が感じられる気候とあって三々五々集う人たちの顔も穏やか。彼方此方で近況を語り合う場が生まれるうちに開演時間となります。
モーツァルト作品を中心に、その時代に広く目を向けながら楽しみを深めるという本シリーズ、3回目はモーツァルトの愛弟子フンメルの珍しいクァルテットからスタートし、弦楽四重奏の演奏会としては極めてレアなオペラ抜粋というのが聴き所でしょう。どちらかと言うと敷居が高い印象のクァルテット、今回はオペラの楽しい世界に遊ぶ、という特別な一刻でもありました。
ほとんど予習も無いまま出掛けましたが、冒頭フンメルの弦楽四重奏曲を聴く機会は滅多にありません。手元に音盤も無く、NMLにも配信が無いので、ペトルッチでダウンロードしたスコアを頼りに楽しみます。
作品30という弦楽四重奏曲のセットは3曲で構成され、今回紹介された第2番の第1楽章は、絵に描いたようなソナタ形式。それでも、再現部になるとチェロにト音記号が登場してハイ・ポジションになるなど、次に演奏されるプロイセン王第2番を意識したような書法になるのが面白い所でしょう。作曲の経緯などは判りませんが、これを機会にフンメルを見直す動きがあっても良いのかも。
ところでフンメルと言えば、師モーツァルト作品を紹介したことでも知られており、交響曲やオペラを室内楽や器楽曲にアレンジしたことでも名前が知られています。そのカタログを見ると、後半で演奏されるフィガロの序曲もピアノ・ソロにアレンジしたものもあります。フィガロ弦楽四重奏版はフンメルのアレンジではありませんが、その意味でも今回の選曲には筋が通っている、と思いました。
フンメルが終わるとメンバーはそのまま着座。モーツァルトがチェロを弾くプロイセン王を意識したとも言われている変ロ長調を楽しみます。大友チェロが珍しく燕尾服着用だったのは「チェロが主役だぞ」という主張なのかな、とも思いましたが、実は後半への伏線だったんですね。
15分の休憩を挟んで、その後半。春カラーを纏った3人の女性に続いて登場したチェロは、何と17~18世紀風のカツラ装着。なるほどフィガロね、アルマヴィーヴァ伯爵の積りね、と妙に納得。演奏が始まる前に、会場の彼方此方から笑い声が聞こえてきます。そんな和やかな雰囲気に包まれて、お馴染みの序曲がスタート。
このあとは全4幕からの良い所採り。演奏されたナンバーを一々書き出す余裕はありませんが、思わず歌いたくなるような名曲・アリアの正にオン・パレード。一気に歌劇全曲を通して演奏してしまったエクに、開場からは何時になく大声援と盛大な拍手が沸き起こります。フィガロをクァルテットで? という懸念もありましたが、これは大成功でしたね。それにしてもカツラを付けたまま弾き通すって、相当大変なんじゃないか。燕尾服も汗びっしょりだったのでは、と想像します。
ところで今回の弦楽四重奏版。勝手な想像ですが、ネットやCDも無かったモーツァルト当時は、オペラを鑑賞できた人は一部のエリートでしょうし、実際の舞台上演に接する機会もそう多くはなかったはず。世間で噂になっているオペラを実際に体験できるのは、今回のような編曲版の譜面を家庭で楽しんだり、近くのサロンで聴けることがとても重要な手段だったと思慮します。大掛かりなオペラやシンフォニーは、こうした形で一般大衆にも浸透していったに違いなく、今回の試みは当時のそうした一般的な音楽体験を再現する、という意味でも重要な機会でした。正にアラウンド・モーツァルト、その企画に大拍手です。
そんなことを思いながらフィガロに笑い、泣きましたが、無名だった若きシューベルトも当時、今回のような譜面を自ら弾いたり、楽人の集まりでモーツァルトのオペラを知ったであろうことにも思い当たります。そうしたアリアの一つが、ウッカリ自作に紛れ込んだとしても不思議じゃありませんよね。最近知った若きシューベルトの生き様、そんな秘話とも結び付くモーツァルトのアレンジではありました。クラシック音楽って、奥が深いなあ~。
さてエクによるアラウンド・モーツァルト・シリーズ、今回で一区切りと言うことですが、モーツァルトを巡るネタに尽きるということはありません。何処かのホール、あるいは好事家たちがシリーズを引き継いでくれませんかね。サリエリにしてもフンメルにしても、もちろんモーツァルトも、遠い彼方からエクの活動を見守っているに違いないのです。
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