読売日響・第576回定期演奏会
3月16日に行われた読売日響の3月定期、本番4日前の消印が入った葉書が手元に届き、指揮者の変更を知りました。本来はハンガリーの若手指揮者ヘンリク・ナナシが読響初登場の予定でしたが急病で体調を崩し、ドクターストップがかかって来日できなくなったのだそうです。ピンチヒッターに立ったのは、ドイツを中心にヨーロッパで活躍するステファン・ブルニエ。プログラムに変更はなく、以下の作品が予定通り演奏されました。
モーツァルト(ブゾーニ編)/歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲
ブゾーニ/ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35a
~休憩~
R.シュトラウス/交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」
指揮/ステファン・ブルニエ
ヴァイオリン/ルノー・カプソン
コンサートマスター/日下紗矢子
私は当初予定のナナシという指揮者にも不案内でしたから、ここは純粋に作品を楽しみましょう。とは言っても代役を引き受けたブルニエという人も気になりましたので、早速ネットでググることにしました。これが本人、というかマネジメントから公表されているホームページです。
https://www.sulivansweetland.co.uk/stefan-blunier-1/
ニュース欄で直ぐに判りましたが、彼は3月9日から12日までの4日間、N響の中国地方公演(倉敷、広島、山口、益田)を振っていて、この期間中に読響からの要請があったのでしょう。上記ホームページでは、読響との公演は3月14日に公式発表されていますね。13日に東京に戻って直ぐに読響と三日間のリハーサル、という慌ただしい舞台裏の光景が想像できます。
読響のシーズン最後でもある3月は、ブゾーニに焦点が当っているようで、プログラム誌にもブゾーニ研究の第一人者・畑野小百合氏による「フェルッチョ・ブゾーニの夢」という特別寄稿が掲載されていました。彼の斬新さを紹介するタイムリーな読み物です。
ブゾーニと言えば、私は敢えて感想を書きませんでしたが、1月読響の名曲シリーズで演奏されたブラームスのヴァイオリン協奏曲でイザベル・ファウストが弾いたのが、ブゾーニ作のカデンツァでしたっけ。このところ読響はブゾーニに縁があるようですな。
プログラムの最初は、モーツァルトの有名な序曲をブゾーニが演奏会用終結部を書き加えたもの。実はこの版、以前にスクロヴァチェフスキが読響で取り上げたことがあり、当時私もミクシィなるSNSコミュニティーの中で作品解説の真似事をしていて、余計ないたづら書きをしたことを思い出しました。トロンボーンを3本追加し、オペラの中のメロディーを追加して2分ほど長くしてある、などということを書きましたっけ、ね。ということで、私にとっては懐かしく、恥ずかしくもあるブゾーニ版でした。
続いて、これが今回の最大の聴きモノ、と言ってしまっていいでしょうか。カプソンが弾く珍しいブゾーニのヴァイオリン協奏曲です。
ところでブゾーニ、余り書かれることは無いようですが、正式な洗礼名は Ferruccio Dante Michelangiolo Benvenuto Busoni って言うんですね。クラリネットとピアノを演奏した音楽家の父親が壮大な名前を付けたんでしょうが、息子はその期待に応えて先輩の大作曲家の作品の紹介に熱心、もちろん当時の現代音楽の紹介にも積極的に関わってきたことも、畑野氏のエッセイで知ることが出来ました。
何故か余り取り上げられないヴァイオリン協奏曲は、ブゾーニの比較的若い30歳頃の作品。未だ古典派やロマン派の作品を演奏したり、研究・編曲していた頃に書かれたようです。ヴァイオリン協奏曲と言えはベートーヴェンとブラームス、特にブラームスに私淑していたブゾーニはヴァイオリン協奏曲にもカデンツァを書き、それが先日読響でも取り上げられたことは既に書きました。
ニ長調という調はヴァイオリンが最も輝かしく鳴り渡る調性ですが、ブゾーニがこの調でヴァイオリン協奏曲を書いたのは、もちろんベートーヴェン、ブラームスに敬意を表したからでもありましょう。チャイコフスキーもニ長調ですしね。
そういう先入観を持って聴くのは良くないのかもしれませんが、単一楽章とは言いながら通常の3楽章制として聴こえるブゾーニ、第3楽章相当の Allegro impetuoso のリズムは、もうベートーヴェンの第3楽章と同じでしょ。その前の第2楽章に当たる quasi andante ではオーボエのソロが登場し、ヴァイオリン・ソロと絡む。あれれ、これってブラームスですよね。チョッと進んで Poco agitato ではブルッフそっくりのメロディーも出たりして。
別に先入観は持たずとも、最初にクラリネットが吹く「ド・ソ・ラ・ミ」という4度下降のモチーフが作品全体に何度も出てきますが、これはパルジファルの鐘のモチーフですよね。あとは最初にファゴットで出、クラリネットからホルンへと次々に現れるのは単なる「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」。これもヴァイオリン協奏曲の基本テーマのようで、ブゾーニが音楽の基本や先人大作曲達へのオマージュを捧げているようにも聴こえてきました。
カプソンのソロ、これはもう大変な名演で、透き通っていながらパワフルなソロ。スリムな体から繰り出す自信に満ち溢れた表現は、ブゾーニの再評価にも通ずると確信しました。これを切っ掛けに、“初めて聴いたけどカッコイイじゃん。僕も、私も演奏してみたい”と感じたソリストたちがいたらシメたもの。この定期がブゾーニ・ルネッサンスの前夜になることを切望します。
喝采に応えてカプソンのアンコールは、グルックの精霊の踊り。何でもクライスラーがヴァイオリンとピアノ伴奏用にアレンジしたものだそうですが、この夜はカプソンが無伴奏で弾きました。クライスラーも、ブゾーニより9つ年下で先輩作曲家の名曲の名アレンジャーとして活躍した所が共通していますね。本編もアンコール(ピアノ伴奏盤で)もカプソンは録音しており、どちらもNMLで聴くことができます。
休憩を挟んでは、リヒャルト・シュトラウスの人気交響詩。今回もプログラム表記は「かく語りき」となっていましたが、専門家ならずとも、我々聴くだけファンの間でも“今どき、語りき、ってどういう意味よ”と話題になることがあります。オケによっては「ツァラトゥストラはこう語った」と書く所もあるようですが、オールド・ファンはやっぱり「語りき」でしょ。
オーケストラの定期演奏会でこの曲が初めて演奏されたのは、何と1968年N響をカイルベルトが指揮した時。私はこれを実際に聴きましたが、上野の東京文化会館にはオルガンが無く、ハーモニウムのような代用品が使われていたのを覚えています。この時はどういう表記だったのか記録も手元にありませんが、「かく語りき」は、やはりニーチェの著作「Also Sprach Zarathustra」を邦訳したであろう明治?の文人から始まったのでしょうか。
そんな詮索はさて置き、堂々たるパイプ・オルガンの超低音から始まるツァラ、1968年がたった半世紀前の事件だったとは想像もできないほど、圧倒的な音量がサントリーホール一杯に響き渡ります。元々ブルニエはロマン派後期の作品を得意にしているようで、練達な指揮振りで初顔合わせの読響を見事にリードしていました。
未だ50代半ばの若手?ながら巨漢のブルニエ、その体躯にしては指揮台上を右に左に良く動き、長めの指揮棒を派手に振るスタイル。その姿は、上記ホームページで検索できるボン・ベートーヴェン管の中国公演の映像(ベートーヴェンの第8とエグモント序曲)でも確認できます。この1週間でN響と読響という日本の二枚看板にデビューし(以前に大阪センチュリーに客演したこともあります)、一気に認知度を上げたんじゃないでしょうか。今後は度々来日し、日本食ダイエットを体験した方が良いのじゃないかな、と老婆心ながら思いました。
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