日本フィル・第605回東京定期演奏会

日本フィルの11月定期を聴いてきました。日本フィルの聴きどころという記事にあんなことを書きましたが、本音を言えば、私はマーラーもメシアンも苦手な作曲家。さてどうなりますか・・・。
メシアン/七つの俳諧
     ~休憩~
マーラー/交響曲第5番
 指揮/沼尻竜典
 ピアノ/永野英樹
 コンサートマスター/扇谷泰朋
 フォアシュピーラー/江口由香
どちらから行きましょうか。やはりメシアンですかね。少し長くなります。書く前から長くなることは覚悟していますから、時間も興味もない方はここから先は読まないように。時間の無駄です。
     *****
さて、
大雑把な感想に纏めてしまうと、この作品は日本が題材であり、副題に「日本的印象」 esquisses Japonaises と書かれているにもかかわらず、私には全く日本的な音楽とは聴こえないということでしょうか。
これは先月の三善作品が西洋音楽の作曲技法を駆使して作られているにもかかわらず、何処をとっても日本の作品であることが伝わってくるのと好対照でしょう。
例えばメシアンの第4楽章、ここは雅楽というタイトルですが、それは Gagaku であって雅楽ではない。
ではつまらなかったのか、楽しめなかったのかというと、そうでもありません。マエストロサロンで沼尻氏本人の解説を聞いたこともありますし、自分でも結構時間をかけてスコアを眺めていましたからね。やはり予習というのは大事だし、いくら“難しいことを考えず、自分の感性で楽しめばよいのです”、と言われても限界というものはあります。
今後のために「七つの俳諧」のポイントを纏めておきましょうか。
まず作品の構成がシンメトリックに出来ていて、その意味では単純で判り易いことを挙げねばなりますまい。
7曲のうち最初と最後は序奏とコーダ。実は同じ音楽で、両方とも37小節で出来ているのです。
更にリズムに注目。序奏ではピアノが「正行リズム」 rythme droit 、管楽器は「逆行リズム」 rythme retrograde で書かれているのに対し、コーダではピアノが逆行、管楽器が正行というシンメトリー。
これをベースにしてインドのいくつかのリズムが使われています。曰く、Shakti, simhavikrama など。
何故、日本が題材の音楽にインドのリズムが使われるのでしょうか? これは謎。
作品の丁度真ん中(第4曲)に、上記の雅楽が置かれています。8人のヴァイオリンが笙を、オーボエ、コールアングレ、トランペットが篳篥(ひちりき)を模しているのですが、ヴァイオリンには「いらいらと」 charme irritant などというメシアンの感想がそのまま記されています。
これらに挟まれた第2曲と第3曲、第5曲と第6曲はセットになり、これも左右対称に置かれている。即ち、前者は奈良公園の石灯籠と山中湖の鳥、後者が宮島の鳥居と軽井沢の鳥。
このセットも、人間の宗教的営みから生まれた人工物と、人間の手が入らない自然との組み合わせというシンメトリー。
奈良公園はクラリネット群(2本のクラリネットとバスクラリネット)、8人のヴァイオリン、マリンバのソロ、ピアノが主役。クロタルと鐘の2種類の打楽器はリズムの強調だけに使われるという、比較的色彩感の薄い音楽。
対して宮島は、ヴァイオリンにはグレーと金、赤、オレンジが、ピアノには青、青白い緑と銀が、トランペットには薄紫、紫がかった緋色などと、様々な色彩感覚が指示されているシンメトリー。
おまけにですね、この楽章全44小節は丁度半分の22小節ずつに分けられ、前半と後半は同じ音楽。ただし、両者には8分音符一つ分のズレが設定されているため、演奏者の微妙な感覚(弾き難さ)の違いを態と取り込んでいるという計算。
二つの鳥の音楽は、全部で25種類の鳥が選ばれています。折角だから全部書いちゃうと、
ミソサザイ、アカハラ、アオジ、オオルリ、キビタキ、ホオアカ、ヒバリ、クロツグミ、ウグイス、ホトトギス、サンコウチョウ、メジロ、ビンズイ、オオヨシキリ、コマドリ、ノジコ、イワヒバリ、センダイムシクイ、ホオジロ、ノビタキ、ジュウイチ、フクロウ、ルリビタキ、コムクドリ、イカル。
これで25ありますかね。
よほど鳥マニアでもない限り、こんなの全て聞き分けられっこないですよね。いや、鳥の鳴き声に詳しい人だって、“え、これがホトトギス?”っていう感覚だと思います。
ですから、別に聞き分ける必要はないでしょう。
ただ目安として、やっぱり一番馴染みのあるウグイスには注目しました。これ、トランペット(この日は橋本洋の名人芸)が担当するのですが、日本人の感覚ではウグイス=トランペットという感覚にはなりません。
それは置いといて、山中湖ではウグイスが“ほー、ほけきょ”と一度鳴くとピアノの第1カデンツァ(キビタキ)が始まり、二度鳴くと第2カデンツァ(前半ホオアカ、後半ヒバリ)が、三度鳴くと第3カデンツァ(クロツグミ)が始まるという仕掛けになっているワケ。
軽井沢もウグイスが主役です。スタートは管楽器全員の“ほー、ほけきょ”。
二つのカデンツァ(第1はビンズイ、第2はオオヨシキリ)を挟み、最後は同じウグイスでもいわゆる谷渡り、“けきょ、けきょ”という歌が次第にリタルダンドして“けきょ、け、きょ、・・け、・・・きょ・・・”ってな具合で終わる。
軽井沢だけに出るフクロウ。バスクラリネットとバスーンが微かに鳴くのですが、これは注意していても判りませんでした。大ホールのナマ演奏では限界があります。
くだくだと書いてきましたが、要するにこの難曲だって構成を頭に入れておけば、結構楽しめるんです。
この日のピアニスト永野英樹は、名古屋出身の藝大卒。パリ在住で、かのアンサンブル・アンテルコンタンポラン(ブーレーズが主催している現代音楽専門の団体)のピアニストを務めている超人。
飄々たる風貌ながら、そのテクニックは完璧。ただキチンと弾くだけじゃなく、アンサンブルの縦線まで寸分の狂いもなく沼尻の棒に合わせる。
また沼尻は正に「水を得た魚」。指揮という超絶技巧を駆使して、メシアンの独特な世界を紹介してくれました。
オーケストラのメンバーも含め、それこそ鳥人、いや超人たちの名妓を楽しみました。
やっとマーラーに来ましたね。
ここではトランペットが首席の星野究に替わり、ホルンは日本フィルの、いや日本国の至宝とも言うべき福川伸陽が受け持ちます。
特に第3楽章のコルノ・オブリガートでは、その場に立って名妓を披露。客席を唸らせました。
日本のオーケストラのホルン奏者たちのレヴェルは極めて高いものになりましたが、ぴか一と言えるのが福川。とにかく安定度は抜群ですし、様々に変化させる音色の見事なこと。マーラーの無理難題も安心し切って聴いていられますね。
沼尻の指揮も立派でした。いや、私は初めてマーラーの意図が判ったような気がしました。
例えばワルターやバーンスタインのような主情的なアプローチではなく、どんなに熱い響きをオーケストラに要求していても、頭脳は常に明晰そのもの。
いくつもの音楽情報が同時に鳴らされる瞬間、それを整理して食べ易い形で聴き手に提供するのでなく、食材をありのまま、それが内包する意味を同時に、かつ説得力あるやり方で示す。
アイロニカルでありながら、実は誠心誠意に満ちたマーラー。
沼尻の世代に至って漸くマーラーの音楽が正しく理解され演奏される時代になったのだ、これが私の結論ですな。
いつもは何処かで退屈、辟易するマーラーの第5。最初から最後まで興味津々、緊張の連続で聴き通せたのは初めてのことでした。
この日はいつも以上に集音マイクが林立。単なる記録ではなく、商業用CDとして販売する計画の由。この日だけでなく、ゲネプロ、二日目の演奏も全て収録し、この日もあったどうしても避けられない技術上のミスを修正した上で市場に出てくると思われます。
遠方で聴かれない方、都合でパスされた方、新人類・沼尻の斬新なマーラーに、是非耳を傾けてみて下さい。

 

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