第372回・鵠沼サロンコンサート

清明も末候となった4月17日、鵠沼で行われるサロンコンサートの例会を聴いてきました。今年はソメイヨシノが1週間以上早く満開となってすっかり葉桜。八重桜も僅かに花を残すのみで、藤がそろそろ見頃を迎えている首都圏です。
この日は朝から曇天、出掛ける頃には雨も降りだして、鵠沼海岸直行と決め込みました。4月はサロンにフォルテピアノを持ち込み、フランスから金子陽子を迎えてのリサイタルです。以下のプログラム。

J・S・バッハ/幻想曲とフーガイ短調BWV904
ハイドン/アリエッタと12の変奏曲変ホ長調
J・S・バッハ/パルティータ第6番ホ短調BWV830
     ~休憩~
ハイドン・ピアノ・ソナタ第54番ト長調作品37-1
シューベルト/楽興の時第2番変イ長調D.780-2
ハイドン/ピアノ・ソナタ第62番変ホ長調作品82

私が彼女を聴くのは2年前、レジス・パスキエとのリサイタル以来となる2度目。あの時も朝から雨で、鎌倉文学館でバラの撮影会で苦労したことを思い出しました。ヒョッとして金子女史は雨・・・?
今回の来日は、チェロ奏者クリストフ・コワンがオリジナル楽器を使ってシューベルトのアルペジォーネ・ソナタを演奏する共演者として全国を回る途次とのこと。プログラムにシューベルトが入っているのはそのためでもありましょう。

今回のサロンは彼女の演奏も楽しみながら、何と言ってもフォルテピアノを眼前で見、聴くことに興味津々。開演1時間弱前にレスプリ・フランスの門を叩き、早速に楽器との対面を果たします。
使用楽器はモーツァルトも愛奏したというアントン・ヴァルター・モデルを、ポール・マクナルティー Paul McNulty が2002年に製作したコピーとのこと。この楽器を扱う専門店から搬入し、会場で改めて調律していました。楽器はもちろん金子氏が選んだそうで、フランスから空輸してきたわけじゃありません。フォルテピアノの発明、歴史についてはウィキペディアで予習。このページの最初に掲載されている写真が、今回のヴァルター・モデルと同じタイプのようです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E

一見して分かるように、現代のコンサート・グランドとは鍵盤の色が真逆。これでショパンの作品10-5を弾けば「白鍵のエチュード」ということになりますな。
もう一つ気が付くのは、足踏み式のペダルが無いこと。後半のプログラムが始まる前に平井プロデューサーが解説されましたが、このモデルでは音を伸ばしたり切ったりするペダルに相当する仕掛けが鍵盤の裏、というか下方に付けられ、それを奏者が膝で押し上げるようにして操作する仕組み。ペダルを押し上げると楽器内部の装置が上下してコトコトと音を立てる。最初はこれが煩わしくも感じられるのですが、慣れてくると一種の味わいにも思えてくるのが不思議ですね。

リサイタルは、曲間に金子氏が簡単にトークを挟む形で進行します。もちろん楽器や作品に関する紹介もありますが、ガーディナーのバッハに関する大著をフランス語版で読み始めた、とか、エステルハーザへの旅行の際のエピソードなどを交えた肩の凝らないもの。自然にピアノという楽器の進化と、作曲家たちのフォルテピアノに向き合った姿が思い浮かべられました。

改めてフォルテピアノの歴史を復習すると、クリストフォリのピアノ発明は1709年頃のこと。バッハがジルバーマンのピアノを初めて見たのが1726年ですから、1722年に発表された平均率集はピアノフォルテを想定していたのではありません。
冒頭に演奏された幻想曲とフーガBWV904はライプチヒ時代、1725年の作ですから、当時はチェンバロで弾かれたのでしょう。パルティータも同じライプチヒ時代、1725年から1731年にかけての作品だそうで、前半の最後に演奏された第6番は、あるいはバッハの頭にフォルテピアノの音色が過ったかも。尤も上記ウィキペディアによれば、バッハは1736年にジルバーマン製のフォルテピアノを批判したそうですから、弾いてみたものの感心しなかった、ということかな?

それでも金子はバッハ作品をフォルテピアノで弾くことに意義を見出して実践し、この夜の演奏が現時点での答えであるとのこと。死が身近に存在していた時代の信仰の在り方にも想いを馳せているようでした。
パルティータの演奏を終えて拍手に応え、この曲の最後は完全終止せず疑問符が付けられているのです、との暗示も投げ掛けてくれました。

一方のハイドン、今回選ばれた3曲は作曲家の三つの時代を代表するもので、前半のアリエッタは1774年以前の作品。後半に弾かれた54番は1784年、62番は1794/95年ですから、ほぼ10年間隔で作曲された3曲と言うことになりましょう。ハイドンもまたヴァルター・ピアノを使っていたと思われますが、晩年に訪れたロンドンではブロードウッド・ピアノが出現しており、62番はブロードウッドを想定していたのかも。こうして時代はベートーヴェンのピアノ・ソナタへと移っていくのです。

ハイドンの2曲の間に挿入されたシューベルト。金子が訪れたウィーンのシューベルトの家にはヴァルター・ピアノの絵が飾られていたそうで、今回の演目に選ばれました。
これまでフォルテピアノと言えば発展途上の楽器、音は古めかしくアクションも稚拙と言う先入観に捉われていましたが、今回のようなサロンの場で聴いてみて初めて楽器の真価に触れることができます。明らかに舞台の高いコンサートホール向きの楽器じゃありませんね。
レンガを一つづつ積み重ねたようなバッハ、生き馬の目を抜くような才気煥発のハイドン、時折ぞっとするような地獄の淵を覗かせるシューベルト。フォルテピアノでも、いやこの楽器だからこそ聴こえてくる世界がここにありました。5オクターヴ(バッハは4オクターヴ)の範囲でも名曲は生まれる、そんな当たり前の事実を改めて確認した次第。アンコールは、シューベルトの「ハンガリーのメロディー」ロ短調D.817でした。

休憩中も、コンサートが終わった後も多くの聴き手が楽器を覗き込んだり、写真に収めたり。間近で見るフォルテピアノに大いに盛り上がった一夜でした。

 

 

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