読売日響・第577回定期演奏会

読響の2018/19シーズンが始まりました。4月定期は常任指揮者カンブルランが登場しますが、公表されているようにカンブルランにとっては常任指揮者としての最後のシーズンになります。「9年間の想いを胸に」とプログラム誌にも紹介されたように、我々もカンブルランとの残り1年をジックリと味わっていきましょう。
ポストを退任する指揮者が最後に伝えるメッセージとして選ばれることが多いのが、マーラーの第9。これを来年3月の最後の定期ではなく4月に、しかもアイヴズとの組み合わせで披露する辺りは、さすがに曲者カンブルランじゃありませんか。

アイヴズ/ニューイングランドの三つの場所
     ~休憩~
マーラー/交響曲第9番
 指揮/シルヴァン・カンブルラン
 コンサートマスター/小森谷巧

その前に。
アイヴズとマーラーと言えば、私はどうしても一人の人物を思い浮かべてしまいます。そう、今年生誕100年を迎えるレナード・バーンスタイン。アイヴズというアメリカの天才、いや風変わりな作曲家の名前と作品を知ったのは、未だ中学生か高校生だった頃にテレビに噛り付いたバーンスタインのヤング・ピープルズ・コンサートで、でしたっけ。あの時レニーは第2交響曲のフィナーレを演奏し、同郷の先輩アイヴズを紹介してくれたのです。最後の強烈な不協和音を “ライオンが吠える” と比喩していたのを覚えていますが、それからアイヴズに夢中になったのは我が青春時代の思い出。

未だグスタフ・マーラーが一般的には知られていなかった頃に、ニューヨークで積極的に取り上げていたのもバーンスタイン。ウィーンでのマーラー・ルネサンスはその後の事で、私はその前からバーンスタインが次々に発表するマーラーの交響曲に夢中になっていました。そして全9曲がLP十何枚かに纏められて全集となった時、親を口説き落としてゲットし、銀座から拙宅まで何度も休みながら持ち重りのするセットを運んだこともよく覚えています。もちろん第9は、私にとっては高名なワルター盤ではなく、バーンスタイン盤がバイブルでした。
そんなわけで、今回のプログラムを見た時に真っ先に思い浮かべたのは、これは隠れバーンスタイン・プログラムだな、ということ。マエストロ・カンブルランには申し訳ないけれど、この夜もレニーを想像しながら聴いてしまいました。

で、アイヴズ。彼の作品を初めて耳にした方はさぞ驚かれたと思いますが、このごちゃ混ぜというか混沌感こそがアイヴズの真骨頂。極めつけは第4交響曲になるでしょうか。ナマで聴く機会は滅多に無いので、少し深入りしておきましょう。
作品はタイトルの通りニューイングランドの三つの場所を選んでエッセイ風に描いたものですが、いわゆる絵葉書的な音楽じゃありまん。選ばれた3箇所は、1.ボストン・コモンのセント=ゴードンズ 2.コネティカット州レディングのパトナム将軍の兵営 3.ストックブリッジのフーサトニック川
解説にも書かれていましたが、アイヴズとマーラーには「軍楽や俗謡のたぐいを闖入」させますが、特にマーチ風の音楽が目立つ第2曲では英国の行進曲が、懐かしさを漂わせる第3曲にはフォスターを連想させるようなメロディーらしきものが聴こえてきます。しかし全ては混沌の中に埋没し、聴き手は面食らう。妄想が現実に引き戻される瞬間か。

プログラムでは紹介されていませんでしたが、実はこの作品には4つの「版」が存在します。即ち、
①オリジナルのフル・オーケストラ版 1914年作曲
②室内管弦楽用に再編した版 この時に改訂を施した1929年改訂稿
③室内管弦楽版に若干の楽器(主に金管を補充)を加えた版 1935年出版
④オリジナルのフル・オーケストラ版に1929年の改定を追加したもの
つまりフル・オーケストラにオリジナルと改訂稿、室内オケに2種類の版があるのですが、今回はもちろん④による演奏でした。私はアイヴズに夢中になっていた頃に事情も知らず③を1590円で入手したのですが、この版の存在価値は4種の中で最も薄くなっています。因みに④はアカデミアでは7800円で入手できるようで、この値段の格差が情報の進歩と言うことになるのでしょう。もし③が見たいという方がおられましたら、いつでもお貸ししますよ。

カンブルランは現代作品(アイヴズを現代と呼ぶのには抵抗がありましょうが、作品は現代でも新しいと思います)を得意にしているだけあって、大変に見事なもの。私には後半のマーラーをも凌ぐ名演と聴こえました。

そしてマーラー。カンブルランはヴァイオリンを左右に振り分ける対向配置を採用しましたが、第9交響曲では必須でしょう。第1楽章で第1主題が第2ヴァイオリンから第1ヴァイオリンに受け継がれていく空間的な移動とか、第4楽章冒頭で両ヴァイオリンがユニゾンでテーマを弾き出す際の空間的な厚みなど、カンブルランは作品のツボを的確に捉えていることがこの一事を以ても良く判りました。
亡き子を偲ぶ歌からの引用があること、全曲の最後に「ersterbend」(死に絶えて)とマーラーが書き込んだことからも、どうしても第9は死と結び付けて聴いてしまいます。全曲のクライマックスは最後の1ページ、弦楽器だけの弱音世界にあることは明らかで、この日のチェロ首席富岡廉太郎の絶妙な ppp が聴く者に深い感動を与えてくれました。

最後は読響の儀式にもなっている熱烈な拍手と大歓声。私もその半分は故バーンスタインに捧げていました。偉大な啓蒙家であったバーンスタインがいなかったら、アイヴズもマーラーも世に知られるにはもっと時間が掛かったかもしれません。

 

 

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