第373回・鵠沼サロンコンサート
5月の鵠沼は、珍しくもヴィオラ・ダ・ガンバのリサイタルが行われました。イタリアの古楽界を代表する名ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者のヴィットリオ・ギエルミ Vittorio Ghielmi 氏を迎え、ガンバの代表的な作品を並べたソロ・リサイタルです。
コンサートにはタイトルも付されていて、「人間の声、天使の声」~ヴィオラ・ダ・ガンバ黄金期の音楽 “Les voix Humaines, les voix des Anges” というもの。
平井プロデューサーによれば、全く同じタイトル、曲目のコンサートが5月12日に近江楽堂で開催され、折角ギエルミが来日してリサイタルは1回だけと言うのはモッタイナイ、鵠沼でもどうですか、ということで実現した由。12日のチケットは発売と同時に完売し、実際に聴かれた方が演奏に感激、何人かは鵠沼にもリピートしてこられていたそうです。そのプログラムがこちら。
マレ/プレリュード ホ短調(ヴィオル曲集第2巻より)
マレ/アルマンド ホ短調(ヴィオル曲集第2巻より)
マレ/スペイン風サラバンド ホ短調(ヴィオル曲集第2巻より)
マレ/冗談 嬰へ短調(異国趣味による組曲 ヴィオル曲集第4巻より)
マレ/人間の声 ニ長調(ヴィオル曲集第2巻より)
マレ/ミュゼット(ヴィオル曲集第4巻より)
マレ/アラベスク(異国趣味による組曲 ヴィオル曲集第4巻より)
ヒューム/聞け、聞け!
ヒューム/パヴァン
ギエルミ/バグパイプ
フォルクレ/アルマンド
フォルクレ/風見鶏
テレマン/ヴィオラ・ダ・ガンバのためのファンタジア ト短調
J・S・バッハ/組曲ニ短調(無伴奏チェロ組曲第2番)
アーベル/ヴィオラ・ダ・ガンバのための3つの小品
ヴィオラ・ダ・ガンバ/ヴィットリオ・ギエルミ
私は古楽には余り馴染みが無く、気が利いた感想は書けません。曲目の羅列だけになってしまいそうですが、記録の意味で書き残しておきましょう。
演奏の前に平井氏からアナウンス。このコンサートは休憩が無く、75分間一気に全プログラムが演奏されます。ギエルミ氏はこの日の深夜便で帰国?とのことで時間が詰まっていることもありますが、理由はそれだけではなく、先日の近江楽堂も休憩無しだったとのこと。
いつもは休憩時間にソフト・ドリンクが供される鵠沼サロンですが、今日は演奏会前に喉を潤してください。また曲目の解説も致しませんので、東京公演のプログラムを一部300円で販売しますから、希望される方はお求めください、ということでコンサートが始まりました。
鵠沼にヴィオラ・ダ・ガンバが登場するのは久し振りとのことでしたが、アーカイヴを検索してもこの楽器のリサイタルという会は見当たりません。単独でこの楽器を聴けるのはサロンでも初めてじゃないでしょうか。
楽器は写真などで見るように、弦が7本張ってあります。サイズも様々なようですが、通常ヴィオラ・ダ・ガンバと言えばバスだそうで、今回も最も大きなバスによる演奏だと思います。
楽器は膝で挟み、弓はコントラバスのように下から掬うように保持。最初に演奏されたマレの有名な肖像画にあるように、ギターのように抱えて演奏することはありませんでした。あの肖像画は誤解の基ですよね。詳しくはこちらを↓
ガンバの魅力は、何と言っても独特な渋みのある音色。似た形のチェロと違って音量は遥かに小さく、一般的な小ホールでも演奏には向かないでしょう。やはり今回のようなサロンで味わうべき楽器で、ホールで聴くのは寧ろ邪道かもしれない、と思いました。
最初にガンバと言えばマレ、と言われるマラン・マレ Marin Marais (1656-1728)の作品が7曲、一気に演奏されました。マレはフランスの名ガンバ奏者(フランスではこの楽器をヴィオルと呼んだ)で、当時は「マレは天使のように弾く」と言われていたそうな。コンサートのタイトルが、マレの作品(5番目に演奏されたもの)と自身の愛称から選ばれたことは明らかでしょう。幸福なお抱え音楽家(ルイ14世の寵愛を受け、19人の子宝にも恵まれた)の娯楽音楽、とでも言いましょうか。
なお、マレには「膀胱結石切開手術の図」という描写音楽集があるそうですが、クラヴサンとの二重奏曲集のため、残念ながら今回は聴けませんでした。
続いて演奏されたヒューム Captain Tobias Hume (1569ca.-1645) はイギリスのガンバ奏者で、職業軍人でもあったという変わり種(東京公演のプログラムに掲載されている赤塚健太郎氏の解説)。聞け、聞け!には珍しくピチカート奏法が登場しますし、パヴァン(舞曲名)では現代のコル・レーニョのような奏法が使われ、バロック時代としては相当に斬新な音楽、と聴きました。どちらも短いもの。
コンサート3人目の作曲家は、この日の主役ギエルミ本人。ヴィオラ・ダ・ガンバの歴史上多く出現した「演奏家兼作曲家」の延長線上に位置するということでしょう。タイトルのようにバグパイプを連想させる響き。
再びバロックに戻り、フォルクレ Antoine Forqueray (1672-1745) もフランスの演奏者兼作曲家。実はこの人、天使のように弾くと呼ばれたマレに対し「悪魔のように弾く」と揶揄された人物のようで、実態は謎に包まれている(プログラム)のだとか。マレの16歳年下で、当時はライヴァルだったのかも。生前に楽曲を出版しなかったため、その資料は殆ど残されていませんが、この日演奏された2曲は、様々な音楽家の作品を集めた出版年不詳のヴィオル曲集(フランス国立図書館所蔵)に含まれているもの。聴けること自体が貴重な機会だったと言えそうです。
この後はドイツのガンバ作品からテレマンとバッハ。
先ずテレマンは、行方知れずになっていた無伴奏ファンタジア集が近年になって再発見され、ここで演奏されたト短調のファンタジアもその一つ。これまた貴重な演奏体験となりました。
続くバッハは、有名な無伴奏チェロ組曲第2番のガンバ版、というより本来はヴィオラ・ダ・ガンバのために書かれた音楽ですよね。この日のプログラムで私が知っている唯一の作品でした。チェロの圧倒的な音量は無いものの、ガンバの鄙びた音色が魅力。最初のプレリュード、最後の5つの和音もガンバの特徴を生かし、アルペジオで弾かれていたのが印象的です。
最後は年代的に最も新しいアーベル Karl Friedrich Abel (1723-1787) の作品。アーベルと言えばロンドンを訪れたモーツァルトが気に入り、そっくり写譜した交響曲を自身の第3交響曲にしてしまった、ということ位しか知りませんでした。
しかしアーベルはバッハ同様にドイツでも有数な音楽家の家系で、バッハの無伴奏チェロ組曲集もアーベルの父のために書かれたものでした、よね。ということで、バッハの次にアーベルを取り上げるのは至極当然で、音楽史を概観するにも相応しい選曲だったことが、これで良く納得できました。
アンコールは、同じアーベルのアレグロ、という作品だそうです。アーベルが亡くなった時、「彼の得意な楽器は現在一般には使われていないので、おそらく彼と共に死に絶えるであろう」(1787年6月のモーニング・ポスト紙)と報じられたそうですが、どっこいギエルミの見事な技巧で、21世紀の鵠沼でも楽しめる。これって、奇跡に近い事なんでしょうか。
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