京都市交響楽団・第623回定期演奏会

連続投稿ですが、この週末の体験を書き上げてしまいましょう。日フィル東京定期で新しい世界に触れた翌朝、新幹線で京都に向かいます。もちろん流行の青もみじツアーではなく、京響定期を聴くため。これは外せない以下のプログラムです。

バーンスタイン/交響組曲「波止場」
ショスタコーヴィチ/交響曲第9番
     ~休憩~
バーンスタイン/交響曲第2番「不安の時代」
 指揮/広上淳一
 ピアノ/河村尚子
 コンサートマスター/須山暢大

改めて触れるまでもなく、今年はバーンスタインの生誕100年。どのオーケストラも特集を組んでいますが、私が最も期待し、実際に想像以上に素晴らしい体験を得られたのが、バーンスタイン愛弟子の広上淳一が振る京響定期。最初と最後に演奏されたバーンスタインは当然ながら、間に挟まれたショスタコーヴィチがまた絶品で、改めてこの指揮者を追いかけてきて正解だった、と確信したコンサートでもありました。それにしても凄い音楽、そして指揮者の存在感。

現在の京響は定期演奏会が回によって月1回だったり、2回だったり。どういう基準かは知りませんが、5月は月2回の順番で、19日と20日の2日間に亘って開催されました。私はどちらにしようか迷いましたが、一泊の日程と前後のコンサート行の関係から初日、19日の土曜日を選択。チケット発売日に申し込みましたが、中央の良席は既に定期会員で一杯、何とか中央に近い前方の席が手に入りました。ここなら演奏者の表情もバッチリ、視覚面と聴覚面のバランスがギリギリで確保できる位置取りでしょうか。

先ずはこの日の宿に直行し、フロントに荷物を預けます。カメラ機材だけを持って、京都コンサートホールに隣接する植物園へ。例によって京都は観光客で溢れ、今年は各社寺も「青もみじ狩り」なるプランを企画しているのだとか。東福寺でなくとも、北野天満宮でなくとも、青もみじは鑑賞できますからネ、ということで・・・。
懸念された雨も朝方だけで上がり、少し寒いくらいの京都。午後1時半開場でホール入りし、2時からのプレトークを待ちます。赤のTシャツにピンクのジャケットというスタイルの広上氏、この5月5日に目出度く還暦を迎えました。デビュー間もないころから聴き続けてきた当方、歳をとるわけだ、と改めて短かったこのウン十年を振り返ります。

氏のプレトークも、その晩年にアムステルダムでアシスタントを務めたバーンスタインの思い出話から。つい先日もスペインで師の長女ジェイミーに会って思い出話に興じたという話から始まり、本日のソリスト河村氏を迎えて、音楽の精神面にまで及ぶ深いトークとなりました。最後は、バーンスタンがこよなく愛したショスタコーヴィチの第9交響曲の聴き所。バーンスタインとショスタコーヴィチを組み合わせるプログラムが多いのは、やはり2人に共通したメンタリティーがあることと、お互いに音楽的な繋がりが深いという理由があるからなのですネ。

波止場は、バーンスタイン唯一の映画音楽。そもそも映画音楽は役割が終われば屑籠行の運命が待っているものですが、バーンスタインは自作を捨てるに忍び難く、オーケストラ用にアレンジしたのがこの交響組曲。以前に何処かでバックに流れる音楽が主役マーロン・ブランドの声をかき消してしまうから、という理由で音量を下げさせられた、というバーンスタインの不満を読んだような記憶があります。
エリア・カザン監督、ニューヨークの港湾労働者に不当な労働を強いることで巨利を得た組織の実態をドキュメンタリー風に描いたというアカデミー賞授賞作品。私は映画を見たことはありませんが、アマゾン・プライムで検索すれば見つかるのでしょうか。

組曲は22分ほど、全体は通して演奏されますが、大きく五つの部分に分けられるようです。1955年に誕生した長男アレクサンダーに献呈され、初演は1955年8月、タングルウッドで作曲者自身の指揮するボストン交響楽団。
冒頭のホルン・ソロによるアンダンテが印象的で、続いて始まる打楽器による激しい7拍子(4拍子+3拍子)は、バーンスタインの独壇場。広上のダイナミックな指揮もまた、広上ワールド全開の圧倒的な体験となります。
抒情的な旋律が高まりますが、頂点で突然 pp に音量が落とされ、ファゴットとクラリネットの静かな対話。最後は冒頭のホルン主題が戻り、感動的なクライマックスの頂点で幕。私の後方から“最初からこれで、終わりまでもつんかいな”という感想が聞かれるほど、感情の籠った波止場ではありました。

前半2曲目はショスタコーヴィチ。この皮肉に満ちた作品を、広上/京響は真に見事に描いて見せます。明るくて暗い、楽しいようでいて苦みタップリ。深刻そうでいながら裏ではペロッと舌を出しているような音楽が、広上独特のジェスチャーによって鮮やかに表現されていくのです。
特に傑作だったのは、小さな兵隊さんのようなマーチを、啓礼を真似るような身振りで聴かせた第5楽章。クネクネしたフレーズは身を捩るように、スペイン風な第3楽章では身体ごと弦楽群にぶつける様な指揮。これほど作品の本質に迫った指揮振り、私は他に知りませんね。指揮棒は全く使わず、バーンスタイン作品との違いも明確に振り分けていました。

休憩を挟んで、不安の時代。ピアノ独奏が入るため、通常のピアノ協奏曲のように配置されると思いきや、今回はピアノがオケの中に入り、指揮者の真ん前での演奏です。ピアノは蓋を取り除き、指揮台も二段重ねにして、指揮者の背が高くなったよう。そうした配慮もあってか、協奏曲的な要素は後退し、シンフォニーとしての姿が大きく見えてきました。
作品に付いては以前にも紹介したことがありますが、広上淳一は流石に1枚上。まるでバーンスタインが乗り移ったようなタクト、河村もマエストロに触発され、渾身のピアノ。バーンスタインの自画像とも聴けるピアノと、それを取り巻く社会の厳しさでもあるオーケストラの対比が見事で、今年最高のバーンスタイン体験となりました。東京から駆けつけた甲斐があった、というものでしょう。私共の隣は岡山から駆けつけたという年配の紳士で、最後は共に感動を分かち合った時間。

コンサートは終わりましたが、演奏後は恒例のレセプション。ここでもサプライズがあり、オーケストラから還暦を迎えたマエストロと、同じく5月10日が誕生日の河村へのバースデー・ケーキの差し入れ。レセプションに残ったファン全員が「ハッピー・バースデー・トゥーユー」を合唱する中、二人がろうそくを吹き消す儀式に発展。そのあとのトークも楽しく、フレンドリーな京響を120%楽しんできました。

ところで二日目のレセプション、京響ブログによると、この日は英国のリヴァプールから20人の広上ファンが駆けつけ、レセプションでも盛り上がったとか。広上がロイヤル・リヴァプール・フィルの客演指揮者だったころからのファンもいたとのことで、5月の国際都市・京都北山コンサートホールはリヴァプール、岡山、東京からも熱心なファンが集合していたことになります。その様子はこちらから↓

https://www.kyoto-symphony.jp/blog/

 

 

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