サルビアホール 第95回クァルテット・シリーズ

4回で構成されるサルビアホール・クァルテット・シリーズのシーズン29、2回目の昨日は「難曲に挑戦し続ける真の実力派」モルゴーア・クァルテットの登場です。
モルゴーアのサルビアは2012年5月、2015年7月に続いてこれが3度目。3年おきに鶴見見参ということになりますが、3回目のプログラムは以下のもの。

ハイドン/弦楽四重奏曲第29番ト長調作品33-5「ご機嫌いかが」
ツェムリンスキー/弦楽四重奏曲第3番作品19
     ~休憩~
ウォリネン/ジョスカニアーナ
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第9番変ホ長調作品117
 モルゴーア・クァルテット

2012年はハイドン+シェーンベルク+シューベルト、前回もハイドンで始め、ロックを挟んで得意のショスタコーヴィチでした。今回も3回続けてハイドンを冒頭に置き、間にツェムリンスキーとウォリネンという如何にもモルゴーアらしい2曲を置き、最後はショスタコーヴィチの15曲の中でも最もスリリングな第9番で勝負、という構成です。
モルゴーアに付いては改めて紹介することもないでしょう、結成から荒井・戸澤・小野・藤森の4人に変化はありません。当然ながら初登場時に比べれば、その分年齢を増した感じはしますが・・・。

前2回のハイドンは皇帝と鳥でしたが、今回は作品33-5。いわゆるロシア四重奏曲の一つで、タイトルの「ご機嫌いかが」と言うのはかなり無理した命名。普通、このニックネームは使わないでしょう。
これまでサルビアでは、ロシア四重奏曲集からは1番から4番までが取り上げられています。思い起こせば、1番はシマノフスキ、冗談というニックネームの2番はアキロン、エクセルシオ、クスと3団体が。同じく人気の第3番「鳥」もアルモニコ、ドビュッシー、モルゴーアと聴き比べ、第4番はベルリン=トーキョーが衝撃的な演奏を披露してくれましたっけ。

ということで、第5番は今回がサルビア初。タイトルは冒頭、ファーストが上行モチーフを奏し、続いてヴィヴァーチェに突入することから思い付いたのでしょうが、5番には前の4曲と異なる所があります。それは第2楽章と第3楽章の順序で、この曲では第2楽章が緩徐楽章(ト短調であるのも特徴でしょう)、第3楽章が舞曲(スケルツォ)となっており、先行4曲とは入れ替わる形になっているのですね。このパターンが、この後の4楽章制弦楽四重奏曲や交響曲の基本になっていきます。
第5が変わっている、というかハイドンの創意が凝らされている点は他にもあって、冒頭の挨拶モチーフが第1楽章の締め括りにも使われるし、緩徐楽章やスケルツォにも変形して登場してくる。全曲を統一する一つの動機、という考え方の最も早い例の一つだろうと思います。長調と短調の対比の妙、第2楽章で全員がピチカートで意表を衝いて終わる所と、聴き所満載。
スケルツォにも工夫があって、通常の8小節パターンにプラス2小節と言う構造。この字余り感が第5番の魅力の一つで、何となくズッコケながら進んでいくユーモラスな動きを想像してしまいます。第4楽章は主題と変奏ですが、シチリアーノ風のリズムは明らかにモーツァルトに影響し、ニ短調のハイドン・セットK.421のモデルになったのではないでしょうか。モルゴーアのストレートな表現でも、こうしたハイドンの魅力が聴き手にも直接に伝わってきました。

2曲目のツェムリンスキーは、サルビアではアルモニコが第4番を取り上げたのに続き、初登場の3番。この日の4曲では最もゲンダイオンガクっぽい作品で、耳慣れない聴き手には手強く感じられたかもしれません。しかし12音や無調ということでもなく、通常の4楽章制。第1楽章は凝縮されたソナタ形式で、第2楽章は変奏曲。第3楽章もABAの三部形式によるロマンスで、フィナーレはロンド形式のブルレスケ。つまり響きは新しいものの、音楽の形としてはハイドンから然程遠くはない世界でもあります。
第2楽章の変奏曲、テーマはゆったりしたマーチ風のもので、第7変奏まであります。変奏の一つ一つは極めて短く、チェロが主題を担当してヴィオラがトレモロを刻むのが第1変奏。全員がピチカートの第2変奏に続き、弓を一杯に使ったフォルテが第3変奏。ファーストとヴィオラが歌い交わす第4変奏、3連音符が主体の第5変奏、グリッサンドが特徴的な第6変奏と続き、第7変奏はG線でゆったりと歌われる重層的なアンダンテ。最後に主題が回帰して、と数えている内に変奏曲はあっという間に終わってしまいます。

第3楽章のロマンスは、中間部が大きく盛り上がって、これを挟む主部は静かな歌。完全終止して第4楽章に続きますが、ここにツェムリンスキーはアタッカを指示。モルゴーアはこの指示を忠実に守り、間髪を入れずに藤森チェロが決然とロンド主題を弾き出したのが印象的でした。フィナーレは拍子が目まぐるしく変わる結構難しい楽章で、その分、モルゴーアの迫力あるアンサンブルが最後の2発を決めた時には快い達成感が感じられます。

ここで休憩、後半の2曲に。
前半がハイドンとツェムリンスキー、時代は離れているとはいえ伝統的な構成の弦楽四重奏曲が並びましたが、後半は型破りな構成による作品が2曲。プログラムのバランスとしても練り上げられているな、と感じました。

チャールズ・ウォリネン Charles Wuorinen (1938-) は今年80歳になるアメリカの現役作曲家。この日の4人では最も新しい世代ですが、扱う音楽は最も古い、という矛盾も仕掛けの一つか。
というのは、ジョスカニアーナという作品はタイトルの通り、ルネサンス期の巨人ジョスカン・デプレの世俗歌曲を現代風にリメイクした弦楽四重奏曲だから。作曲というよりは、アレンジと表記した方が良いくらいのものでしょう。丁度10年前、ウォリネンの70歳の記念に出版された作品だそうです。こういうものに一早く目を付けるのが、モルゴーアならでは。

曲はジョスカンのシャンソン(最後の1曲はフロットラと呼ばれる形式のもの)から選ばれ、1.Helas madame (ああ、マダム) 2.Faulte d’Argent (金が欲しい) 3.Cela Sans Plus (ただ、それだけだ) 4.Comment peult (どうしたら、楽しみを手に入れられるだろう) 5.Vive le Roy (国王に栄えあれ) 6.Grillo, “Josquin a’Ascanio” (コオロギ、アスカニオのジョスカン) の6曲が続けて演奏されます。全体でも10分に満たない小品集。
ルネサンスの音楽に嵌ったことのある人は、恐らく最後のコオロギは一度は聴いたことがあるでしょう。昔出ていた「耳で聞く音楽史」というアルバムに収録されていて、耳に胼胝ができるほど聴いたものでした。歌と言うよりも、歌詞を巻き舌で歌う所が如何にもコオロギの鳴き声に聞こえ、ジョスカンのユーモア溢れる作風を満喫できる一品ではあります。

ジョスカンは主食であったミサ曲でも、名前をテーマに読み込むというショスタコーヴィチばりのマジックを使っており、ウォリネンのアレンジとは言いながら、ジョスカンからショスタコーヴィチというのは真に自然な流れでもありましょう。ジョスカンのユーモアはハイドンのそれにも通ずるところがあるのですね。
荒井氏がアンコールの前に明かしてくれたところでは、このコオロギのリズムが、偶然ながらショスタコーヴィチ第9冒頭のテーマのリズムと同じ。なるほどそのようにも聴けると感心しましたが、ウォリネンのジョスカニアーナは分母が全音符一つ、つまり1分の何拍子という形で書かれており、一番拍子の多いのは14拍子にもなるのだとか。聴いている分にはルネサンスの癒し系ですが、演奏は結構大変なのだそうです。

こうしてコンサートはスムーズにショスタコーヴィチに繋がります。第9番に付いてはパシフィカの全曲シリーズの他にもアトリウムがサルビアで演奏しており、作品に付いては改めて繰り返すこともないでしょう。
ショスタコーヴィチを演奏するために結成したというモルゴーア、迫真の名演でコンサートを締め括りました。

モルゴーアの演奏会に出掛ける楽しみは、全曲終了後の荒井英治氏のスピーチと、アンコールを聴くことにもあります。みんなそれを期待しているのでしょう。
この日はサルビアが3度目、前回からは3年振りと言うことで、“この3年間で色々なことがありました”というところで先ず笑いが起きます。ホールの素晴らしさを舞台上からの体験で話されたのが珍しい聴きモノ。何でも、自分たちの出す音が360度のパノラマで聴こえてくるのだそうな。
ジョスカンの作品がショスタコーヴィチと同じリズム、というのもアフタートークの話題でしたが、6月27日に浜離宮朝日ホールで行われる第46回定期演奏会の宣伝が目玉だった、かな。ここで取り上げるジョージ・ロックバーグの第3弦楽四重奏曲は、荒井氏が30年間温めていた企画だそうで、古典派から現代までの四重奏がタイムマシーンに乗ったように回顧されるのだとか。50分も掛かる大作だそうですが、聴いた感じは20分くらい。これが日本初演で、二度と演奏されることはないであろう代物の由。室内楽ファンに限らず、コンサート会場でチラシを見つけたら、是非考慮してみては如何。私も考慮中です。

そんな長話に続いて、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第1番から第1楽章がアンコールされました。初心に帰る、ということでしょうか。

 

 

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