第375回・鵠沼サロンコンサート

漸く猛暑が終焉し、鵠沼のサロンコンサートも新しいシーズンを迎えました。会の冒頭で平井プロデューサーが述懐されていたように、サロンも28年目に突入、回数も今回で375回を数えます。
新年度は諸般の事情と言うこともあり、冬場の1・2月はお休み。年8回の例会とコンパクトになった事でもあり、私共も遂に年間会員入りを果たした次第。年間で申し込めば各回のチケットは無く、会員証を提示して鑑賞するというシステム。なるほどこれなら様々なコストも掛からず、運営側も会員側も余計な手間が省けますね。

2018-19シーズンの皮切りは、2015年のチャイコフスキー・コンクールの覇者アンドレイ・イオニーツァを迎え、そのコンクールでも公式ピアニストを務めた神奈川県出身の薗田奈緒子とのデュオ・リサイタル。以下のプログラムでした。

メンデルスゾーン/ピアノとチェロのためのソナタ第2番ニ長調作品58
フォーレ/「シチリアーノ」作品78、「夢のあとに」作品7-1、「蝶々」作品77
     ~休憩~
マルティヌー/ロッシーニの主題による変奏曲
プロコフィエフ/チェロ・ソナタ ハ長調作品119
 チェロ/アンドレイ・イオニーツァ
 ピアノ/薗田奈緒子

1994年にルーマニアのブカレストで生まれたイオニーツァ、2014年のミュンヘン国際コンクールで2位となり、翌年のチャイコフスキーでは大本命で参加し、見事期待に応えた、とは平井氏のプロフィール紹介。その審査の模様がユーチューブでも見ることが出来ますが、聴衆賞など付随する賞を殆ど総なめした見事なテクニックと音楽性は然もありなん。10年に一度の逸材と言う評価に納得しました。
一方の薗田は桐朋学園からベルリン芸術大学に留学、いくつかのコンクールで入賞した後、室内楽奏者として多くの名手たちと共演。件のチャイコフスキー・コンクールでは最優秀伴奏者賞を受賞した由。ベルリン在住、いくつかの音楽学校で教鞭もとられているとのことです。

イオニーツァは先日、カンブルラン指揮の読響とチャイコフスキー(ロココ変奏曲)を演奏し、ひまわりの郷と鵠沼でデュオというスケジュール。未だソリストとしてのCDは無く(近々録音予定とのこと)、典型的な「初物」コンサートと言えるでしょう。これからブレイクするという新人を間近で聴けるのも鵠沼の魅力で、何年かすれば “えッ、イオニーツァが鵠沼に来たの!” という語り草になることは間違いありません。それほど見事なチェロでしたよ。

先ずプログラムが良い。通して聴いてみて気が付いたことですが、国籍も時代も多様な4人の作曲家をただ並べただけではなく、作品の性格からプログラム全体が4楽章のソナタのような構成になっていると思いませんか。
メンデルスゾーンの大曲第2ソナタは堂々たる第1楽章、休みなく続けて演奏されたフォーレの小品3曲は緩徐楽章に相当し、内容はヘヴィーながら諧謔的な場面もあるマルティヌーがスケルツォ。そしてプロコフィエフの傑作がフィナーレとして置かれている。真に座り心地の良い選曲にも拍手喝采を贈りましょう。

メンデルスゾーン、マルティヌー、プロコフィエフの3曲は、何れもチェロの名手との出会いから生まれた作品と言う共通項もあります。メンデルスゾーンは弟のパウルがチェリストで、友人のチェリストであるピアッティからも助言を得て書かれたソナタで、初演はピアッティ。
またマルティヌーは亡命先のアメリカで知遇を得たピアティゴルスキーのために書かれ、1943年5月にピアティゴルスキーが初演したものだし、プロコフィエフは言うまでもなくロストロポーヴィチなくしては存在しなかった作品。初演はもちろんロストロポーヴィチと、あのリヒテルの演奏だったそうです。事件の影に女あり、じやないけれど、名曲の影に名演奏家あり、ですな。

メンデルスゾーンは二つあるソナタの内では最も良く演奏されるもの。特に第3楽章のアダージョが印象的です。楽章は短いながらピアノが和音をアルペジオで弾き進むのが特徴で、これは一種のコラールでしょう。当然ながら尊敬していた大バッハを意識したもので、半音階的幻想曲とフーガにも登場するアルペジオで弾かれる和音からの引用、という説もあるようです。ユダヤ教からキリスト教に改宗したメンデルスゾーンの複雑な思いも反映されているのではないでしょうか。

フォーレの3曲、シチリアーノと夢のあとには共に他のジャンルからチェロとピアノ用にアレンジしたものですが、蝶々はオリジナルのチェロ曲です。

マルティヌーが変奏曲のテーマに選んだのは、ロッシーニの歌劇「エジプトのモーセ」からのテーマ。マルティヌーはパリからアメリカに亡命する際、ナチに追われて危機一髪だった経験があり、それがモーセのエジプト脱出と重ね合わされたのかも知りません。そういう解説は読んだことがありませんが、マルティヌーがロッシーニの数多いオペラの中から敢えてモーセを選んだのは、何か期するところがあったように思えてなりません。
作品は主題と4つの変奏で構成されていますが、各変奏はソナタの4楽章に通ずる性格を持ち、言わば単一楽章のチェロ・ソナタという重厚な側面をも合わせ持っていると聴きました。

プロコフィエフは晩年、ロストロポーヴィチに触発されて次々とチェロの大作に挑みます。完成されたのはこのソナタと交響的協奏曲(先日ラザレフと辻本玲が日フィル定期で演奏)だけですが、ソナタはプロコフィエフの中でも最高傑作の部類でしょう。
第1楽章 Andante Grave を聴いていつも何処かで聴いたプロコフィエフ節だと思っていましたが、今回ナマで接してみて、あ、アレクサンドル・ネフスキーだ、と合点が行ったのも大収穫でした。

イオニーツァに付いては大言壮語することもないでしょう。ダイナミックスの幅の広さ、深刻な重さとユーモラスな軽さが見事にバランスされ、何より1671年製ジョヴァンニ・バッティスタ・ロジェリの音色の美しこと。加えて柔らかい歌心が聴き手の耳とハートをグイッと掴んで離しません。

アンコールは2曲。最初は初めて聴いた小品で、イオニーツァは「ルーマニア舞曲」と日本語で紹介されていましたが、帰宅して調べたところでは、ルーマニアの作曲家コンスタンチン・ディミトレスク Constantin Dimitrescue (1847-1928) という人の「農民の踊り」作品15でしようか。

ディミトレスクは作曲家でありチェロも弾いた人で、ブカレスト・フィルと国立劇場のオーケストラで首席チェリストを務め、後には両オケの指揮者でもありました。室内楽にも熱心で、ブカレストでは史上初となる常設クァルテットを創設し、そのチェロを担当。自身が作曲した弦楽四重奏曲は7番まであるのだそうな。
後年はブカレスト音楽院で教職に就き、教え子にジョルジュ・ジョルジェスクがいるそうです。ルーマニアの教育家としても第一人者。アンコール作品は、彼の作品では唯一つペトルッチでスコアが入手できる曲で、オリジナルの他にオーケストラに編曲されたものもあるようですね。

そして鳴り止まぬ拍手に応え、ラフマニノフのヴォカリーズ。イオニーツァの美しいチェロの響きが、この夜の興奮を沈めてくれます。
休憩時間に外を見ると土砂降り。帰りはどうなることかと案じましたが、サロンを出ると雨は上がり、冷気が心地よく、空には見事な三日月が浮かんでいました。

 

 

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