東京フィル・第912回サントリー定期演奏会
いやぁ~、期待に違わず素晴らしい公演でした。定期会員ではないけれど、これ、行かないわけにはいかないでしょ。快進撃を続けるバッティストーニと東フィルの演奏会形式オペラ、メフィストーフェレです。
毎年暮れになると、翌年のアニヴァーサリー音楽家を調べるのが趣味、と言うかブログネタにしていますが、ドビュッシーやバーンスタインは調べなくても情報が入ってきます。面白いのは余り知られていない作曲家や演奏家。2018年の場合、その筆頭格がアリコ・ボーイトでしたね。昔は「ボイート」と表記されることが多かったようですが、現在はボーイトで統一されているようです。代表作も「メフィストフェーレ」ではなくメフィストーフェレ。
以前海外では良く上演されていたオペラですが、近年日本では上演の機会に恵まれない作品。今回のチャンスを逃してなるものか、ということで早々と東フィル定期会員の友人にお願いし、チケットを入手しました。しておいて良かったですよ、完売公演だったみたいですが、所々空席があったのは何故なんでしょう? 定期会員なのにパスするなんて・・・。
ボーイト/歌劇「メフィストーフェレ」(演奏会形式上演)
指揮/アンドレア・バッティストーニ
メフィストーフェレ/マルコ・スポッティ Marco Spotti (バス)
ファウスト/アントネッロ・パロンビ Antonello Palombi (テノール)
マルゲリータ&エレーナ/マリア・テレーザ・レーヴァ Maria Teresa Leva (ソプラノ)
マルタ&パンターリス/清水華澄(メゾ・ソプラノ)
ヴァグネル&ネレーオ/与儀巧(テノール)
合唱/新国立劇場合唱団(指揮/冨平恭平)
児童合唱/世田谷ジュニア合唱団(指揮/掛江みどり)
助演/古賀豊
コンサートマスター/依田真宣
配られたプログラムに挟まれたチラシで、ファウスト役のジャンルーカ・テッラノーヴァ Gianluca Terranova が急病のため代演となったことを知ります。よほど急な交代劇だったのでしょう、プログラムは既にテッラノーヴァで印刷されており、スポッティのプロフィールは別刷のペーパーが添えられていました。
演奏の凄さは彼方此方で専門家諸氏が書かれるでしょうから、ここは簡単に触れるとして、作品について。
そもそもメフィストーフェレを知ったのは、その昔トスカニーニがプロローグを得意にしていて、確か終戦直後のスカラ座再開コンサートで指揮した音源がLP化されたものを聴いた時でした。録音状態は酷いものでしたが、ライヴのスリリングな演奏と客席の興奮が直に伝わってくるもので、繰り返し何度も聴いたものです。そのとき思ったのは、メフィストーフェレをナマで聴いたらどんな凄い体験になるだろうか、ということ。それが今回実現しました。半世紀以上経ってから。
ボーイトは今年が没後100年ですが、メフィストーフェレ自体も初演から今年が丁度150年。ということは、明治維新の年に初演されたことになります。具体的には1868年3月5日のスカラ座!!ですから、正確に言えば慶応4年の初演。ところが初演は大失敗だったようで、ボーイトは全体を大幅にカット、約3分の2ほどに縮めて改訂し、1875年10月4日にボローニャのテアトロ・コミュナーレで上演し、これが成功を収めます。初演から7年半後のこと。
更に翌年、1876年5月31日にヴェネチアのテアトロ・ロッシーニで上演された際に、第3幕で歌われるマルゲリータのアリアが新しく書き加えられ、メフィストーフェレの現行版が完成したのでした。つまりオリジナルに2度の改訂がなされ、150年後に東京で生演奏に接することが出来たわけ。
若い頃のボーイトはスカピーリ Scapigli という芸術運動に属していたそうですが、過激な言動が後退し、イタリア・オペラの伝統にある程度妥協し、成功作を生み出したということでしょうか。しかし、その革新性は今回の上演でも十分に感じ取れましたし、例えばヴェルディの傑作たちとは一線を画するボーイト・ワールドがあると思いました。因みにスカピーリとは、髪がボサボサでだらしなく、転じて自由奔放な、という意味だそうです。
通常はファウストが主役ですが、ボーイトは敢えてメフィストーフェレをタイトルロールに。過去に3人の主役を歌ってきた名歌手たちは錚々たるメンバーで、カラス、カルーソー、ジーリ、シエピ、ベルゴンツィ、デル・モナコ、ステファーノ、ドミンゴ、パヴァロッティ、カバリエ、フレーニ、テ・カナワ、ジェラルディン・ファラー、プライス、ロスアンヘレス、クレスパン、テバルディ、スコット、クラウス、クリストフ、ピンツァ、ギャウロフ、レイミー、エヴァ・マルトンと名歌手大全集が出来るほど。中でもシャリアピンが1901年に初めてロシアを出てスカラ座で歌った際に取り上げたのが、メフィストーフェレ。ファウストはカルーソーという伝説の名舞台になっています。シャリアピンのアメリカ・デビューもこの役でした(マルゲリータはファラー)。
オペラ全体は4幕ですが、最初と最後に夫々プロローグとエピローグが置かれ、第1幕から第3幕までが第1部、第4幕とエピローグが第2部と区分けされています。つまりプロローグは全体の序で、トスカニーニやバーンスタインが録音したのはこの部分だったのですね。
今回の定期では、第2幕と第3幕の間に20分の休憩が入り、プログラム誌でも第1部と第2部の区分けに付いては触れられていませんでした。私が予習したのは、ヘフリッヒ社から出版されているライプチヒ版の復刻版スコアで、ブラッドフォード・ロビンソンという人が書いた解説です。
東フィルの解説は小畑恒夫氏が書かれたもので、私が読んだ物とは別の資料があるのでしょう。何れにしても各幕にはタイトルが付けられていて、以下の通りです。ストーリーは改めて書くこともありますまい。
プロローグ 天上の世界
第1幕第1場 復活祭の日曜日
第1幕第2番 契約
第2幕第1番 庭
第2幕第2場 魔女の夜会
第3幕 マルゲリータの死
第4幕 古代の魔女の夜会
エピローグ ファウストの死
今回は演奏会形式ですが、オルガン(この楽器もプロローグで使われます)の前面にスクリーンが懸垂されており、各幕のタイトルになっている風景のイラストが映し出されます。字幕は舞台両袖の専用機で。
歌手たち、特に主役の3人は登場人物に相応しい衣装を纏い、適度な演技も。セミ・ステージ上演と呼ぶのでしょうか。歌手以外では怪しげな僧侶やマルゲリータの死刑執行人が登場し(助演)、特に死刑執行の場面ではISを連想させるような黒頭巾をかぶり、上半身裸で筋トレで鍛えた見事なボディーも披露していました。
合唱はP席で歌い、児童合唱は2階L側の奥。照明も効果的に使われ、怪しげな僧侶は客席から登場。プロローグとエピローグにはホルン、トランペット、トロンボーンから成るバンダが使われ、時に舞台裏、またオルガン席から朗々とラッパを吹き鳴らします。
演奏は単なるアニヴァーサリーのお祭りパフォーマンスではなく、改めてボーイトの革新性と劇的表現の神髄に迫る気迫あふれるもの。特に3人の主役の力量と声量は抜群で、声帯の強さと太さ、これは敵わんな、と思ってしまうほどに圧倒的な歌唱でしたね。
それでも真の主役はバッティストーニでしょう。東フィルの演奏会形式でもトゥーランドット、イリス、オテロと大作を連発しましたし、先の全国ツアー版アイーダは小欄も札幌で接したばかり。九州にも活動拠点を広げたバッティー、先の九響定期ではカヴァレリア・ルスティカーナを演奏会形式で演奏したはず。正に飛ぶ鳥を落とす勢い、というのはこういうことを指す表現なのでしょう。
休憩を入れてタップリ3時間、この公演は18日(日)にもオーチャード定期として上演されます。定期会員の皆様、ボーイトなんて聴いたことが無い、長いオペラなんて御免だなどと言わず、この稀有なる機会を見逃す、聴き逃すことの無いように老婆心ながら宣伝しておきましょう。
プログラムにも力が入っています。上記小畑氏の楽曲紹介の他にも、特別記事として「悪魔が主役となった理由」(堀内修)、「ボーイト没後100年『メフィストーフェレ』台本作家?作曲家?「音」と「言葉」が語るもの」(鴻上尚史、三枝成彰)の特集2本立て。英語版解説が充実しているのも東フィル・プログラムの特徴でしょう。この英語版、単なる日本語解説の直訳ではなく、オリジナルの英語解説で日本語版には無い情報も記されている読み応えのある資料で、今回は April R. Racana 氏が担当されています。永久保存版の一冊と言えそうですね。
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