第380回・鵠沼サロンコンサート

サルビアホールのクァルテットに続き、今週のコンサート2回目は鵠沼サロンコンサート。何れも平井プロデューサー企画で、毎度お世話になります。
桜もほぼ終わり、巷ではフジが開花し始めた清明の一日、鵠沼海岸駅に降り立ちました。何と380回となるサロンは、久し振りに向山佳絵子と迫昭嘉を迎えてのデュオ・リサイタルで、以下のプログラム。

ベートーヴェン/「魔笛」の主題による12の変奏曲作品66
ベートーヴェン/チェロ・ソナタ第2番ト短調作品5-2
     ~休憩~
バルトーク/ルーマニア民俗舞曲
ドホナーニ/チェロ・ソナタ変ロ短調作品8
 チェロ/向山佳絵子
 ピアノ/迫昭嘉

向山、迫のご両人に付いては改めて紹介するまでもないでしょう。今や夫々の楽器の大家と呼ぶに相応しい存在、鵠沼ではスッカリお馴染みの二人ではあります。
とは言いながら、実は向山氏も迫氏もサロンコンサートには久々の登場で、二人が常連だったのはサロンがスタートしたばかりの90年代だった由。私はもちろん現役サラリーマン時代で、平日の鵠沼に出掛けるなんぞは夢のまた夢だったころ、当時の雰囲気は知る由もありません。

冒頭で平井氏が挨拶されたところによると、向山佳絵子はサロンが始まった翌年の1991年が初登場で、以降「向山佳絵子の世界」と題したシリーズが毎シーズンの様に開かれていたのこと。それが何時の間にか「音信不通」になり、今回は14年振りの再会だそうな。一方の迫昭嘉もサロン初期の常連で、こちらは藤沢リラホールでのベートーヴェン・ピアノ・ソナタ連続演奏会が人気だったとのことでした。
そのためもあるでしょうか、サロンは満席。定席を超えんばかりの盛況で、私の経験でもこれほど熱気に包まれていたレスプリ・フランスは初めてでしたね。

平井氏の解説に突っ込みを入れたくなるのが私の悪い癖で、サロンのホームページに記載されているアーカイヴでその歴史を繙いてみると、向山佳絵子の世界は91年9月が第1回で、2003年8月の第8回まで続いたようです。第5回まではほぼ10回に1回は向山チェロの会で、彼女がサロンの顔であったことが記録からも確認できました。他に彼女は100回、150回、200回の記念ガラにも登場していますから、出演回数は10回を優に超えることになります。
これが記録の全てであるなら、彼女の最後の鵠沼は2003年の第200回ガラ・コンサートのはずですから、今回は何と16年振りという計算。平井氏の言われた14年とは若干ズレがありますが、この間に記録には無い隠れコンサートがあったのでしょうか?

迫昭嘉のベートーヴェン連続演奏会はリラホールで4回に亘って行われ、演奏されたのは有名作品を中心に15曲ほど。残念ながら全曲演奏には至らなかったようです。彼は他にリサイタルが1回と、同じくチェロの上村昇とのデュオでも登場していましたが、彼も最後のサロンは1994年と古く、こちらは25年振りの鵠沼だったと思われます。
因みに向山/迫のコンビは、恐らく鵠沼では今回が初めてだったのではないでしょうか。

熱い視線と懐かしさの中で行われた第380回は、前半がベートーヴェンの小品+大ソナタ。後半もハンガリーの作曲家二人の小品と大ソナタという組み合わせで、シンメトリカルな構成となっています。
最初の変奏曲、2週間ほど前に東京湾を挟んで東側の千葉県で聴いたばかり。タイプの異なるピアニストのタッチの違いなども併せて楽しみました。ソナタは正に堂々たる大家の共演で、会場も大柄なチェロの響きとの再会を懐かしんだ様子。

一息入れての後半。最初のバルトークは本来のピアノ・ソロ版の他にもオーケストラ版など様々な編成で聴かれますが、今回はもちろんチェロとピアノのためのアレンジ。ここではチェロの様々な音色を耳で味わえるほか、その技巧を目で追う楽しさも体験できました。
そして、余り聴く機会のないドホナーニのソナタ。全4楽章から成る大作で、第3楽章と第4楽章はアタッカで続けて演奏されます。

ドホナーニはバルトークより4歳年長で、その分ハンガリー的な要素は希薄で、19世紀最後の年に作曲されたチェロ・ソナタはブラームスの影響が濃いもの。ドホナーニの父親は数学の先生であると同時にアマチュアのチェリストだったことが作曲の切っ掛けになったのかも知れません。因みにドホナーニはダルベールに学んだピアノの名手でもありました。
バルトークの先輩ドホナーニはバルトークの死後もアメリカで活躍し、亡くなったのはついこの間の1960年。企画側としては著作権が存在しているのか心配だったようですが、死後59年を経過しているためセーフ。このソナタもペトルッチの楽譜サイトから簡単にダウンロードすることが出来ます。

ソナタは堂々と長大な第1楽章、どこか「熊蜂の飛行」を連想させるようなスケルツォ、深々としたアダージョから主題と9つの変奏から成るフィナーレと、音楽は一気に弾き進められます。特に最後の変奏曲が聴きモノで、変奏主題は何となく「怒りの日」を連想させるようなドシドラ(移動ド)を含む動機で始まります。このテーマ、実は第3楽章のテーマの変形でもあり、全曲を統一するライト・モチーフのような役割を果たしているのでは、と聴きました。特に第3変奏と最後の第9変奏ではドシドラが執拗に登場し、聴く人の耳に強く焼き付けられます。

更に変奏が凝っているのは、第6変奏が第1楽章の、第7変奏が第2楽章の、第8変奏が第3楽章の回想にもなっているところで、改めて構成的なアイディアを鏤めたドホナーニ作品の魅力に開眼させられた名演と言えるでしょう。演奏を終え、大きくため息を吐かれた向山、迫の二人が印象的。大熱演に聴き手からの熱烈な拍手と花束が贈られます。
向山もドホナーニ作品への想いが強いようで、度々弾くけれども中々広まらない、と最後の挨拶で客席の笑いを誘っていました。

アンコールはフォーレのシシリアーノと、同じくパラディスのシシリアーノ。特に最後のパラディスは、平井氏が以前に鵠沼サロンコンサートの本編で取り上げられた時(向山氏の回ではありませんが)に慌ててパラディスを調べた、という逸話も。モーツァルトがピアノ協奏曲を捧げたことでも知られる盲目の女性作曲家パラディス、実はシシリアーノ(オリジナルはピアノ曲?)は偽作なのだそうですね。今や有名になったマリア・テレジア・フォン・パラディス(1759-1824)、その切っ掛けは鵠沼だったのかも。
名曲フォーレでは、キラキラ輝く向山独自(もしや手製?)の弱音器が大活躍。

今回のサロンを切っ掛けにドホナーニのソナタが世界の愛好曲として広まっていくことを、向山・迫氏と共に期待しましょう。それにしても大曲の並んだヘヴィー・プログラム。みなさま、お疲れさまでした。

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