読売日響・定期聴きどころ~09年1月

続いて1月定期ですが、この組み合わせも定期としては変わったものです。
マーラーの未完に終わった第10交響曲の「アダージョ」楽章、モーツァルトの有名なイ長調のピアノ協奏曲、ヨゼフ・シュトラウスのワルツが1曲、最後はリヒャルト・シュトラウスの「バラの騎士」組曲。

この4曲に共通する「何か」があるのかと考えてみましたが、どうも思い付きません。後半のシュトラウス2曲は判りますがね。でも何故マーラーなんでしょうか。

これは難しく考えずに、「ウィーン」をキーワードと捉えればよいのでしょう。どの作曲家も、あるいはどの作品もウィーンと深く繋がっている、ということにしておきます。

ということで順番に行きましょう。最初がマーラー。
日本初演に関する正確なデータはないようですが、一番古い記録はこれではないでしょうか。

1960年5月11日 愛媛県民会館 リチャード・バーギン指揮ボストン交響楽団。

この年に初来日したボストン交響楽団のツアーでの一晩です。この時のボストン交響楽団は、音楽監督のシャルル・ミュンシュと作曲家アーロン・コープランド、それともう一人バーギンの3人が指揮を分担して日本各地を楽旅しました。バーギンのプログラムは一つ、この中にマーラーの1曲が含まれていたのですね。
因みにバーギンのプログラムは、5月11日の愛媛を皮切りに、21日が長岡、28日が郡山、最後に30日に東京の都体育館という場所で演奏されています。夫々の地でお聴きになられた方もいらっしゃるでしょう。

なお、日本の交響楽団の定期演奏会初登場は同じ1960年の11月22日からの3日間、日比谷公会堂で行われたN響定期。ウィルヘルム・シュヒターが指揮をしています。

続いて楽器編成。
フルート3(3番奏者ピッコロ持替)、オーボエ3、クラリネット3、ファゴット3、ホルン4、トランペット4、トロンボーン3、チューバ、ハープ、弦5部です。打楽器は登場しません。

マーラーの交響曲第10番には様々な完成版があることは皆さんご存知でしょう。ここではそれには一切触れません。
国際マーラー協会ではそれらの完成版を全て認めず、協会が公認しているのは今回演奏される第1楽章の「アダージョ」のみです。ユニヴァーサルから出版されているスコアは、エルウィン・ラッツ Erwin Ratz が校訂した1964年の出版。マーラーの高弟ブルーノ・ワルターは、この出版にすら反対したほど。

ただマーラー協会はラッツ時代の後、引き継いだカール・ハインツ・フュッスルによって「葬礼」や大地の歌の異稿が加えられましたし、1993年以降はラインホルト・クピークが編集責任者になり、新たに第5交響曲の新版も出版されています。マーラー全集は新時代に突入したと言えるでしょう。
第10交響曲の扱いに関しても、今後はどのような方向に進むのか興味が持たれる所ではあります。

今回演奏される「アダージョ」は、音楽用語というよりは作品のタイトル。これも聴きどころかも知れませんね。
即ちこの楽章はアダージョで始まるのではなく、アンダンテで開始されます。それもヴィオラだけの長いメロディーで。これが終わって漸くアダージョが目出度く登場してきます。

この作品はソナタ形式でも三部形式でもない、マーラー独特の型を持っているというのが私の意見。20分以上かかる長大なアダージョですが、我流の分析を紹介することで鑑賞の手助けにしておきましょう。

最初に登場するヴィオラのユニゾン、これを仮に「序」としておきます。「前口上」としてもよろしい。
次に登場するヴァイオリンの1オクターヴ上昇で始まるアダージョ。これが「主部」です。仮にA。
ややあって、チェロとヴィオラによるピチカートに乗って、若干ユーモラスな部分に入ります。ここが「副」。仮にB。
以上の3種類の要素が順序を微妙に変えて繰り返される形で出来ていると解釈しましょう。

紹介した主題群が提示された後、同じ順序で繰り返されます。ただし今回は拡大されています。
「序」が3度目に登場した後、「主」「副」が逆行を開始します。4回目に出てくる「序」はヴィオラではなく、両ヴァイオリンの掛け合いに変わっているところに注意して下さい。
この序が ppp で消え入るばかりになったところで、突然全オーケストラがフォルティッシモで爆発します。ここで初めてハープも登場。強烈な不協和音。

このコーダではAもBも断片的に回想されますが、最後は消え入るように終わります。以上の型をまとめると、
「序1-A1-B1-序2-A2-B2-序3-B3-A3-B4-A4-序4-コーダ」。

私が作品の最大の聴きどころと考えているのは、コーダの頂点で一際目立つ1番トランペットが吹く渾身の「ラ」。F管のトランペットで「ミ」の音が指定されていますから、実際には「ラ」、即ち「A」の音ですね。
このAは愛妻アルマの頭文字でもあります。
つまりマーラーが妻に呼びかける必死の「あるまぁぁぁぁぁ~~~」が、ここに刻まれている。「アダージョ」の核心に間違いありません。

次は大きく跳んでモーツァルトです。

日本初演はこれだそうです。

1926年5月16日 日本青年館 ピアノ独奏は井上園子、近衛秀麿指揮新交響楽団。

1926年と言えば新響が定期演奏会を開始する以前ですから、オーケストラ発足の披露公演ででもあったのでしょうか。

管弦楽編成は通常の2管編成、
ピアノ独奏の他は、フルート、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、弦5部。オーボエがないこと、金管もティンパニも使われていないことが特徴でしょう。

ピアノ協奏曲というジャンルに最大の貢献を残した人がモーツァルトであることに意義を唱える人はいないでしょう。そのモーツァルトの協奏曲でも一・二を争う名曲がこれ。
当時の協奏曲にはカデンツァが付き物ですが、この作品には第1楽章以外にカデンツァを差し挟む余地は残されていません。そのカデンツァも自作のものが残されています。
そのことこそ、この協奏曲の完成度が極めて高いことの証ではないでしょうか。

中でも聴きどころと言えるのが第2楽章の美しさ。シンプルな三部形式ですが、憂いを湛えた主部の素晴らしいこと。ピアノ・ソロが主題を奏したあと、第2ヴァイオリンのアルペジオに乗って歌われるメロディーなど、まるでイタリア・オペラのアリアのようじゃありませんか。
第2クラリネットの3連音符で始まる中間部の明るさ、これが一層悲しみを増幅させるようです。

そして極めつけは主部が回帰して暫く、全ての弦楽器がピチカートでピアノを支える箇所でしょう。ここでピチカートを使うというモーツァルトのアイディア。私がこの協奏曲で最も好きな場面ですね。

ところで、いろいろ出版されている第23番のスコアの中に、このピチカートは低弦だけ、両ヴァイオリンはアルコで弾くように指示された版があるのをご存知でしょうか。音楽の友社刊のベーレンライター版、ヘルマン・ベック校訂のものです。
ところが本家本元のベーレンライター版では全てピチカートの指定。何があったのでしょうかね。そういえば現在入手可能なのべーレンライター版は、ヴァイオリンと低弦に書かれた Pizzicati の字体が違っています。あとは想像するしかありません。
数あるこの曲の録音の中にも、音友版のように演奏しているものがあることも注目です。

第1楽章のカデンツァにはモーツァルト自筆のものが残されていると書きましたが、他にもいくつかあるようです。
最近、と言っても20年にもなりますが、ホロヴィッツがこれをジュリーニ指揮で演奏した時、聴き慣れないカデンツァが演奏されて批評家たちがホロヴィッツを取り囲んだというドキュメントがビデオディスクで発売されたことがありました。
答はブゾーニの作だったのですが、批評家たちでさえ知らなかったほど。
過去の録音の記録などを調べてみると、他にガブリエル・ピエルネによるもの(マルグリット・ロンの録音)もあるようです。

今回ソリストを務めるフランク・ブラレイがどのカデンツァで臨むのかも、聴きどころの一つでしょう。
ブラレイ自身は、“カデンツァはまだ何を弾くか決めていませんが、作曲者のカデンツァがある場合はたいていそれを採用します”と語っています(ぶらあぼ1月号22ページ)。さてどうなりますか。

ヨゼフ・シュトラウスの「ディナミーデン」というタイトルの付いたワルツ。これは楽譜が手に入りませんでしたので、詳しい聴きどころは勘弁して下さい。日本初演については詳しいことは判りません。
楽器編成については、カーマス社のホームページで検索した結果がこれ。

フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン、ティンパニ、打楽器、ハープ、弦5部。打楽器の詳細は書かれていません。

このワルツは1865年、ヨゼフが38歳の時の作品。正しくは「秘めたる引力」 Geheime Anziehungskraefte 作品173、というそうです。「ゲハイメ・アンツィーウングス・クレフテ」と言うんですかね。

CDはいくつか出ているようですが、私はルドルフ・ケンペがウィーンフィルを指揮した盤で聴いてみました。
録音を聴いた限りでは、一般的なワルツの造りを踏襲しています。序奏の後、4つか5つ(恐らく第5ワルツまででしょう)のワルツが続き、最後はコーダ。コーダの最後に第1ワルツが繰り返されて全体の終結というパターンです。

この第1ワルツこそ、リヒャルト・シュトラウスが歌劇「バラの騎士」でオックス男爵が歌うワルツに転用したものです。
オペラの歌詞で言うと、 “mit mir, mit mir” で始まるワルツです。ただしヨゼフと同じなのは最初の4小節(多分)だけ。後半は全く違うメロディーに変わっていきます。

さて最後は、その「バラの騎士」組曲。日本初演と管弦楽編成に入る前に、組曲そのものの出自に触れなければなりません。

「バラの騎士」組曲というタイトルの作品は、私が知っている限りでも4種類が存在します。列記すると、
①Nambuat という人の編曲版。何と発音するのでしょうか、どういう人物かも判りません。これは戦前のビクター盤SPでオルウィン指揮ウィーン・フィルの録音があったもので、資料によると歌劇の4つの場面が取られている由。
②リヒャルト・シュトラウスによる1926年の映画版。シュトラウスがティヴォリ劇場のオーケストラとビクターに録音したものが残っていて、6つの場面からなり、シュトラウスが映画用に特別に作曲した、とあります。
③アンタル・ドラティ版。これはドラティが通算3度も録音しています。3度目のもの(デトロイト交響楽団)に附されたドラティ自身の解説に拠れば、1940年頃に編曲したもので、当時まだオペラハウスが少なかったアメリカの聴衆のために、この素晴らしいメロディーを楽しんでもらうためのアレンジとか。アメリカのオーケストでは最も頻繁に演奏された版で、7つの場面が選ばれています。
④シュトラウス自身の1946年アレンジとされるもの。これが今回も演奏されると思われます。ブージー&ホークスからスコアが出版されていますから、内容は後ほど紹介します。

ところが④には疑惑もあるのですね。それはこういうこと。
最早真実は闇の中なのですが、この編曲はシュトラウス自身のものではないという黒い噂が存在していました。実際に編曲を手がけたのはポーランドの指揮者アルトゥール・ロジンスキーであるという説。

状況証拠と呼べるものがあります。当時ロジンスキーが音楽監督を務めていたニューヨーク・フィルの演奏記録。ロジンスキーは1944年10月5・6・8日の三日間、リヒャルト・シュトラウスの「バラの騎士」組曲をニューヨーク・フィルの定期で演奏します。そのときの記録が、「世界初演」と書かれているのですね。この録音が残されているか否かは判りませんが、これが「1946年版」の正体と看做しても無理は無いような気がしますが如何でしょうか。

以上、聴きどころとは何も関係ない話題でしたが、今回上岡氏が取り上げるのが1946年版として聴きどころを進めて行きたいと思います。

日本初演についても、各演奏記録がどの版を使用したものかについて触れたものはほとんどありません。従って「バラの騎士」組曲全般として調べてみると、日本のプロフェッショナル・オーケストラの定期初登場記録はこれです。

1950年11月23日 日比谷公会堂 マンフレート・グルリット指揮NHK交響楽団第321回定期演奏会。

これだけ見ると何でもないようですが、実はこのコンサート、前半がレオンカヴァルロの歌劇「道化師」の演奏会形式上演、後半がバラの騎士組曲というプログラムでした。何とも不思議なプログラムで、現代ではほとんど考えられない演奏会でしょう。
(因みにN響の次の定期、第322回はブルックナーの第9が前半、後半にプロコフィエフの第3ピアノ協奏曲とレスピーギのローマの松! 尾高尚忠指揮というプログラムでした)

続いて楽器編成。

フルート3(3番奏者ピッコロ持替)、オーボエ3(3番奏者イングリッシュホルン持替)、クラリネット3(3番奏者Esクラリネット持替)、バス・クラリネット、ファゴット3(3番奏者コントラファゴット持替)、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、打楽器5人、ハープ2(1台でも可)、チェレスタ、弦5部。打楽器は、大太鼓、シンバル、小太鼓、トライアングル、タンバリン、グロッケンシュピール、ラチェット(歯車が付いていて、回すことによって音を出す楽器)です。
オーケストラのライブラリアン向け情報として、クラリネットを3本で済ます(バスクラリネットは使用)パート譜があることも告知されています。

さて組曲は全体が通して演奏され、スコアには演奏時間が22分と記されています。このオペラを全く知らない方でも、その旋律の美しさやオーケストレーションの豊かさに身を任せることが出来るでしょう。それこそが聴きどころと言えるのではないでしょうか。

オペラを良くご存知の方、どの場面から取られているのか更に詳しく知りたい方のために、全体の構成を紹介しておりましょう。

組曲は大雑把に言って7つの場面とコーダで構成されています。必ずしもストーリーの展開に添ったものではありませんが、全3幕の音楽がほぼ順序良く選ばれていると考えてよいでしょう。

①最初はオペラの開始と全く同様に、第1幕の前奏曲の華やかな音楽が鳴り響きます。

②組曲版スコアの練習番号12番からは第2幕の音楽に入ります。最初はバラの騎士役に指名されたオクタヴィアンがファニナル家に到着し、銀の薔薇をうやうやしくプレゼンテーションする場面です。フルート、チェレスタ、ハープなどのキラキラした音が如何にも銀の薔薇を表現します。
興奮が収まった後、実際のオペラでゾフィーとオクタヴィアンが歌うメロディーがクラリネット(ゾフィー)、オーボエ(オクタヴィアン)に代用される箇所が判るでしょうか。私が調べた限りでは、歌を楽器に置き換えているのはこの僅か4小節だけだと思います。
③一旦音楽が休止したような感じになった次は、練習番号26から。ゾフィーとオクタヴィアンが親しげに会話している現場にオックス男爵が登場する箇所です。
④練習番号30の3小節目から始まるのが、有名なオックス男爵のワルツです。このメロディーこそ、ヨゼフ・シュトラウスの「ディナミーデン」を引用した箇所。ヨゼフの作品を思い出して、比較してみましょう。オペラの場面を所々カットしながら、オーケストラの音楽だけを巧に繋いで行きます。
⑤練習番号48で第2幕の頭、俗に「婚約の動機」と呼ばれる音楽がチョッとだけ顔を出し、第2幕からの音楽を終えます。

⑥練習番号49。ここからは第3幕の音楽が使われていきます。最初は第3幕の大詰め、ゾフィー、マルシャリン、オクタヴィアンによる美しい三重唱の場面です。歌のパートは一切出てきませんが、オーケストラだけで完璧な音楽になっているのは流石にシュトラウス。
⑦永遠に続くような、終わりの無い、いや終わって欲しくない甘味な音楽が銀の薔薇のモチーフに替わられると、最後の速いワルツが登場してきます。

⑧華やかな組曲もいよいよ練習番号72からがコーダ。ここから最後までの25小節は、恐らくシュトラウス(?)が組曲のために作曲した部分でしょう。原作のオペラには登場しない一節です。

以上、少し長過ぎた感はありますが、1月定期の聴きどころでした。マエストロ上岡の素晴らしい指揮に期待しましょう。

 

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