読売日響・第589回定期演奏会

6月の読響は、小林研一郎と山田和樹の師弟コンビに大植英二という日本人指揮者3人が夫々1回づつ、3回のコンサートと言う比較的大人しいスケジュールとなっています。尤も6月初旬は二期会のサロメで大奮闘していましたから、オケとして稼働率が低かったわけじゃありません。
その日本人指揮者3人、昨日サントリーホールで行われた定期演奏会は、3人の中では最も若い山田和樹が指揮しました。

伊福部昭/SF交響ファンタジー第1番
グリエール/コロラトゥーラ・ソプラノのための協奏曲
     ~休憩~
カリンニコフ/交響曲第1番ト短調
 指揮/山田和樹
 ソプラノ/アルビナ・シャギムラトヴァ Albina Shagimuratova
 コンサートマスター/小森谷巧

山田和樹と言えば選曲に凝るタイプ、というイメージ。正指揮者のポストを持っている日本フィルならば演奏前にプレトークでその意図を熱く語るのでしょうが、首席客演指揮者の読響では喋らせて貰えないようです。定期演奏会に秘められた仕掛けは、定期会員自らが考えてください、ということでしょうか。
6月13日は大ホールで読響、ブルーローズではクスQのベートーヴェン・マラソン最終回が重なってしまい、読響会員ながらお隣を優先した顔見知りも複数いたほど。実は私もクスQの最終回だけは行こうかなと考えていましたが、結局はオーケストラを選びました。でもね、これは正解でしたね。あくまでも個人的感想ですけど。

その定期、客席は沸きに沸き、正にサントリーホールはひっくり返るような騒ぎになりました。冒頭の伊福部作品からして大歓声が飛び交い、まるでコンサートはこれでお開き、みたいな大成功。やはり山田和樹企画の勝利でしょう。
恐らく山田が隠し味としたのは、音楽における土俗性とファンタジーでしょうか。ロシアの作品が2曲選ばれましたが、チャイコフスキーやショスタコーヴィチなどの良く知られた作曲家ではなく、定期会員でも “それ、誰?” というような作曲家を並べています。

伊福部昭は北海道出身。戦前にチェレプニン賞を受賞したエピソードが夙に有名で、その審査過程を読んで快哉を叫んだ記憶があります。その伊福部ワールド、一般的に最も知られているのが映画音楽、特にゴジラのシリーズでしょう。
今回山田が取り上げたのは、映画のための音楽を後に演奏会用に管弦楽組曲のスタイルで纏められたもの。当初伊福部はこの企画に乗り気ではなかったそうですが、ファンやスタッフの熱意に押されて承諾し、タイトルも組曲と言うありきたりのものでなく、聴き手にノスタルジーを感じてもらいたいという思いから「交響ファンタジー」とした由。

シリーズは第1番から第3番まであり、更に第4作として交響ファンタジー「ゴジラvsキングギドラ」という作品もあります。元々伊福部の映画音楽(膨大な量の作品がある)の中から特撮映画分野の作品を選んだこともあり、第1番は「ゴジラ」、「キングコング対ゴジラ」、「宇宙大戦争」、「フランケンシュタイン対地底怪獣」、「三大怪獣地球最大の決戦」、「怪獣総進撃」の6本から選ばれました。3管編成を中心に打楽器多数、全体は切れ目なく演奏されます。
私は映画ファンでもなく、ゴジラオタクでもありませんが、そのテーマは流石に知っています。伊福部が大好きだったというラヴェルのピアノ協奏曲ト長調の第3楽章からヒントを得たとしか思えないテーマが聴き手を刺激し、思わず躰を揺すりながら楽しむ会員も。
読響がまた鳴ること、鳴ること。ヴィオラなど爆演を楽しむように頬を緩めて弾いている。ゴジラファン、映画好きは随喜の涙を流したに違いない「名曲」が大歓声と共に響き渡りました。これで笑みを浮かべない人とは友達になりたくありません、よね。コンサートの最初はカーテンコール1回が普通ですが、この日は2回でやっと拍手が収まりました。

もうこれでコンサートは終わり、という気分になりましたが、輪を掛けて沸いたのが次なるグリエール。
グリエール (1875-1956) は日本では殆ど知られていない作曲家で、年配のレコード愛好家の間では「イリア・ムーロメッツ」というタイトルの付いた第3交響曲が聴かれていた程度でしょう。協奏曲の分野では珍しい楽器?のための3曲が知られていて、ホルン、ハープ、そして今回のコロラトゥーラ・ソプラノのための協奏曲が言わば3大協奏曲じゃないでしょうか。このうち私が以前にナマ演奏で聴いたことがあるのは、N響定期で朝比奈隆氏が指揮したハープ協奏曲だけだったと記憶します。従ってこの日のコロラトゥーラ・ソプラノ協奏曲は初体験。

メランコリックでラフマニノフの「ヴォカリーズ」を連想させるような第1楽章と、華やかなワルツの第2楽章から成る2楽章構成。2管編成にハープが加わる所が聴き所で、ハープは指揮者の前に据えられました。
妙技を披露してくれたシャギムラトヴァは、ウズベキスタンのタシケント生まれ。2007年のチャイコフスキー国際コンクールで優勝し、世界中のオペラ座から引っ張りだこ状態。読響には初登場とのことで、私は恥ずかしながら名前も容姿も初めてのソプラノでした。

体格が素晴らしく、第一声から辺りを払う存在感。日本人とは如何にも声帯が違うという声量・声質で、聴いていて “これは敵わないや” という参りました状態に襲われます。たった一人の歌声でオーケストラを制圧してしまう、その印象はグルベローヴァの再来と呼ぶべきでしょうか。
客席も大興奮、前のゴジラを凌ぐ大歓声がホールを包みました。

暫くして山田を引き連れて再登場したシャギムラトヴァ、嬉しいことにアンコールを準備してくれていました。グリエール作品は歌詞の無いコロラトゥーラでしたが、オーケストラが伴奏する予定されたアンコールは、アリャビエフ (1787-1851) の「ナイチンゲール」。
戦前は愛好され、SP録音も多かったナイチンゲールですが、こうして生演奏で聴けるのは稀なる機会。オリジナルはピアノ伴奏の歌曲だったと思いますが、演奏スタイルは様々なものが存在します。オーケストラ伴奏版ではグリンカ (1804-1857) のものが有名ですが、この日のアンコールは、これとは異なるもの。曲の最後に声とフルートの軽やかな掛け合いが続き、魔笛やノルマの狂乱の場を連想させるアレンジでした。

帰宅してからNMLで各種検索してみましたが、全く同じものは見当たりません。中でアヌ・コムシというソプラノがオラモ指揮ラハティ交響楽団と録音したBIS盤がこれに近いと思います。これはヘルシンキ・フィルでヴァイオリンやヴィオラを弾いていたエーロ・コスキミース Eero Koskimies という人のアレンジで、今回のシャギムラトヴァ/山田版は更に声とフルートとの掛け合いが華麗でしたね。二重三重に手が加わったナイチンゲールかも。
演奏後、首席フルートのフリスト・ドブリノヴが山田に促されて舞台前面に呼ばれ、ソプラノ、ハーピストと並んで大喝采に答礼していました。この模様はテレビ収録されていましたから、地上波テレビをご覧の方は是非確認してみてください。

音楽における土俗性、あるいはファンタジーを追求したコンサートと呼んでも良さそうな6月定期、後半のメインはカリンニコフの交響曲。カリンニコフ (1866-1901) も知る人ぞ知る、と言えるロシアの作曲家ですが、私がライヴで聴くのはラザレフが日本フィルの横浜定期で演奏したのを聴いて以来となる二度目のこと。あの時のことを懐かしく思い出しながら知られざるロシアを堪能しました。
日本フィル横浜では、音楽評論家の奥田佳道氏が、カリンニコフについて名解説をされましたっけ。その中で近衛秀麿がベルリン・フィルでヨーロッパ・デビューを飾った時のメインがカリンニコフの第1交響曲だったことを紹介されています。
“この曲を聴いて何も感じない人とは、友達になりたくありませんね”

つまり、戦前はカリンニコフは良く演奏されていて、第1交響曲は人気曲の一つでした。日本でも近衛は新響(現N響)定期で取り上げていますが、新響では近衛以前にもエマヌエル・メッテルが指揮しているのです。
ベルリンで近衛が振った時も、感激したロシア人聴衆が楽屋にまで押し寄せ、近衛に謝意を表したことが菅野冬樹著「亡命オーケストラの真実」の中で語られています。

前半のプログラムで乗りに乗った山田和樹と読響、カリンニコフも情感豊かに、且つダイナミックにロシア魂を歌い上げます。かつてのスヴェトラノフ/N響、ラザレフ/日フィルに比べれば濃厚さと言う点ではやや薄まったものの、山田のしなやかな音楽性が読響から暖かいファンタジーを引き出し、初めてカリンニコフを聴いた会員にも「良い曲だね、また聴きたいね」という感想をもたらしたはず。
最後まで歓声が響いた読響サントリー定期でしたが、これだけ盛り沢山でも、コンサートが終わったのは9時前。チラッと見ると、ブルーローズでは未だ演奏の最中でしょうか。ブルーノ・マントヴァーニの新作初演はどんな具合だったんでしょうね。

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