第382回・鵠沼サロンコンサート

2018-19シーズン最後の鵠沼サロンコンサートは、「巨匠の至芸」シリーズ第45回、「荘村清志、バッハを弾く!」と題して行われました。以下のオール・バッハ・プログラム。

J.S.バッハ/無伴奏チェロ組曲第5番イ短調BWV1011(H.D.ブルーガー編)
J.S.バッハ/無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調BWV1012(S.イェーツ編)
     ~休憩~
J.S.バッハ/リュート組曲第1番ホ短調BWV996(H.D.ブルーガー編)

J.S.バッハ/シャコンヌ(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番より)(荘村清志編)
 ギター/荘村清志

冒頭で紹介した「巨匠の至芸」というシリーズは今回が45回目、前回は2016年11月のロベルト・ホルによるシューベルト・リサイタルでしたから、シリーズとしてはほぼ3年振りとなります。
ギターの荘村氏は、それこそサロン草創期の常連で、初期に何度も出演してサロンを軌道に乗せた功労者の一人でしょう。サロンのホームページ内にあるアーカイヴを検索してみると、その出演回数は10回以上(カウントが間違っていなければ今回が13回目じゃないでしょうか)。今回の様にソロ・リサイタルだけではなく、デュオであったりアンサンブルの一人としての参加もありました。

特に1993年からの3年間は「巨匠の至芸」シリーズに連続で出演した看板アーティストで、サロンの節目となる100回、200回、250回ではガラコンサートにも登場していました。前回の出演は2014年の第330回ですが、現在の会場であるレスプリ・フランセではこれが2回目とのこと。以前は藤沢リラホールでのリサイタルが多かったようですね。
冒頭、平井氏の紹介では、荘村氏は今年がデビュー50周年に当たるとのことで、全国を回っている最中。東京ではバッハ作品と小品を集めたリサイタルを2回(浜離宮朝日ホール)開くそうですが、ならは鵠沼ではバッハだけで一晩お願いできないかとオファー、氏の快諾を得ての開催となった由。バッハだけで4曲と言うギター・リサイタルは前代未聞じゃないでしょうか。尤も私はギターのみのリサイタルには殆ど縁が無く、このジャンルは全く不案内です。

私がギターで思い出すのは、社会に出たばかりの頃に会社の寮で生活していた5年間ほど。その同僚にクラシック・ギターを趣味とする友人がいて、音楽からは絶縁された環境の中で聴くギターは干天の慈雨だった記憶があります。
時折彼の部屋を襲ってのギター談義から音楽全般。東京に出張に出掛けた際には、銀座のヤマハでロドリーゴやヴィラ=ロボスの楽譜を買って帰ったこともありましたっけ。バカリッセとかソルという作曲家の名前を知ったのも彼のお陰でした。
ギタリストは弦を爪弾く右手の爪が大事で、マニュキュアで手入れすることが欠かせない、ということも知ったものです。

当時ギターの神様と言えばアンドレアス・セゴビア、実際に聴ける可能性がある人としてはナルシソ・イエペスとジュリアン・ブリームでした。そのイエペスに師事して巨匠への第一歩を踏み出したのが、今回のサロンの主役である荘村清志。彼の名を聞いたのも正に寮生活時代でしたし、その後はテレビなどで良く見、聴いたものでした。
ギターは、他の楽器に比べて圧倒的に音量が小さい。例えば2000人も入るようなホールではギターと言う楽器を聴いたことにはならないでしょう。寮の一人部屋、孤独の世界で一人爪弾く楽器と言えそうです。

その意味でも、鵠沼サロンコンサートで接するギターは、理想的な空間でした。目の前、同じ床面でテクニックを見ながら楽器に耳を澄ます。それがバッハなのですから、最高の贅沢。6本の弦が作り出す繊細な世界に耳を傾けていると、いつか食い入るように音楽に惹き込まれている自分を発見するのでした。
上述のようにギターは全くの素人、このような形で体験するのも初めてでしたから、ただ素晴らしかった、という感想しか出てきません。

それでもサロンの様子を実況中継しておくと、平井プロデューサーの紹介に続いて登場した荘村清志は黒の衣裳でクール。無伴奏チェロ組曲第5番のあとで短くスピーチがありました。
これが中々ユーモラスな内容で、淡々と語るのが荘村流。海外留学の際には羽田に100人ほどの人が見送りに来て万歳三唱とか、初リサイタルが虎ノ門ホールで、ガチガチに緊張していたというエピソードも。そう言えばありましたよね、虎ノ門ホール。私も学生時代に何度か聴きに行ったことがありましたが、久し振りに懐かしい名前を聞いて感激してしまいました。共感できる世代、ということかな。

特に素晴らしかった6番に感服した後、ドリンク付きの休憩。この間に来シーズン(2019-20)の継続手続きを済ませます。

後半もバッハ、リュート組曲第1番はバッハの真作がどうか疑問とされてきましたが、どうなんてしょう。その辺りの解説はありませんでした。ここでアレッ、と思ったのは、ギター編曲版の第1曲プレリュードの後で調弦のし直しがあったこと。第2曲アルマンドには通常の調弦では出ない音があるのでしょうか。アルマンドが終わると、調弦を元に戻します。

最後は、この日の大本命たるシャコンヌ。荘村清志自身の編曲だそうで、これまでは楽譜を見ながら演奏していましたが、譜面台を横にどけて暗譜での演奏。譜面を見るときには正面を向きますが、暗譜になると顔が楽器に向きます。従って聴き手にとっては横顔を拝むことになり、これがまた素敵なのです。正にプロフィールですね。
ぶらあぼ誌のインタヴューにもある通り、以前のガンガン攻める平坦な演奏ではなく、一音一音を慈しみながら、ボディーの中に美しい残響音を響かせる。ギタリスト荘村清志、その特質は揺るぎないリズム感と、多彩なビブラートにあるのではないでしょうか。

大きな拍手が起こり、後は当然ながらアンコールへ。“バッハを4曲も聴いて頂きましたから、あとは軽いもの”ということで、デザートは3曲。
カタロニア民謡の「聖母の御子」、キューバの作曲家レオ・ブローウェル Leo Brouwer (1939-) の「11月のある日」、最後はヴェネズエラの作曲家アントニオ・ラウロ Antonio Lauro (1917-1986) の「ヴェネズエラ風ワルツ第3番」でした。
流石にアンコールではバッハでは使われないモダンなテクニックが飛び出し、アンコールを含めてギターの繊細にして激しい世界を満喫することが出来ました。やっぱりギターって孤独な世界、夜の音楽でしょう。良質なお酒をチビチビやりながら恋を語り、人生に想いを馳せる。サロンならではのバッハ・リサイタル、巨匠の至芸でした。東の空に浮かぶストロベリームーンが美しい。

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