サルビアホール 第118回クァルテット・シリーズ
前日の鵠沼サロンコンサートに続き、鶴見サルビアホールでクァルテット・ドビュッシーを堪能。その圧倒的な音楽力に打ちのめされました。シーズン35の最終回は以下のプログラム。
ラロ/弦楽四重奏曲変ホ長調作品45
タン・ドゥン/琵琶と弦楽四重奏のための協奏曲
~休憩~
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第7番嬰へ短調作品108
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第8番ハ短調作品110
クァルテット・ドビュッシー
琵琶/シャオ・ロン
アマリリス、タカーチと聴いてきたこのシーズン、尻上がりに凄さが増幅され、遂にピークに到達した感すらします。今回が3度目のサルビア登場となるQドビュッシーですが、サルビアでの印象も尻上がり。回を重ねるごとに同クァルテットの底知れぬ実力が明らかになっていくとも感じました。
前2回は当ブログ内を検索して頂くこととして、今回は2017年10月の第84回と同じメンバーでした。以前にも紹介したと思いますが、1990年に結成されて以降、不変のメンバーはファーストのクリストフ・コレッテ Collette とヴィオラのヴァンサン・デュプレク Vincent Deprecq のみ。セカンドとチェロは度々交代しているようですが、現在のセカンド、マルク・ヴィエーユフォン Marc Vieillefon とチェロのセドリック・コンション Cedric Conchon も完璧に同化しており、クァルテットとしての統一感、アンサンブルの足並みがピタリ揃っていることは驚異のレヴェルと言えましょう。
フランスのクァルテット界を牽引するグループとあって、来日の度に自国フランスの作品を紹介しているのも特徴。サルビアでは初登場の際にタイユフェールを取り上げましたが、今回はナマでは殆ど聴く機会のないラロを冒頭に持ってきました。
私も今回の演奏に際して初めて文献に当たりましたが、室内楽が余り盛んでないフランスでは極めて重要なポジションにある四重奏曲の由。通常の4楽章で構成されています。
譜面はアメル社からパート譜のみが出版されていたようですが、最近になって無料サイトのペトルッチでパート譜から起こしたスコアが掲載され、一般の聴き手にも身近な作品になってきました。
ラロは、当時フランスでも殆ど知られていなかったベートーヴェンの弦楽四重奏曲を手本にし、ミッチリと仕上げた大作。もちろんナマ演奏は初体験でしたが、4つのパートが殆ど休む間もなく、常に音楽が鳴り響いている印象。従って重厚な響きと複雑な絡みが支配するのですが、そこはQドビュッシー、多彩な音色と的確な構成感とで聴く者を飽きさせません。ドビュッシーとラヴェルだけではないフランスの四重奏界を知ることができました。
前半の2曲目に用意されたのが、何故か中国を代表するタン・ドゥンの琵琶協奏曲。琵琶と書かれていますが、正式な表記は「Pipa」でしょう。一見リュートに近い外見ですが、二千年の歴史を持つ由緒ある楽器とのこと。もしかすると西洋の弦楽器の祖先にあたるのかもしれません。当然ながらピパと弦楽四重奏という組み合わせは、東洋と西洋の出会い、という意味を持ちます。
楽器の名称は、その弾いた音が「Pi」「Pa」と聴こえることから付けられたもの。フレットが26あり、4本の弦はA-D-E-Aに調弦されている由。これを、爪を着用した右手指で弾いて音を出す仕掛け。
ソリストのシャオ・ロンは、国立北京中央音楽院卒。その後東京藝大に留学し、活動の拠点はむしろ日本に置いているとのこと。コンサートが終了してからロビーで少しお話を伺いましたが、日本語は完璧でした。
実は彼女、昔のことで失念していましたが、1998年7月に日本フィルがタン・ドゥンのオペラ「マルコ・ポーロ」を作曲家自身の指揮で演奏した際にも参加、私もこの定期を聴いていました。従って今回が二度目の遭遇、20年振りの再開でもありました。
タイトルが「琵琶協奏曲 Pipa Concerto」となっているように、原曲は琵琶と弦楽オーケストラのための協奏曲。ところがこの作品には更に前身があって、タン・ドゥンの「ゴースト・オペラ」の題材を基にした弦楽四重奏と琵琶奏者のためのクァルテットが書かれています。
ところがこれは5人の奏者が夫々の持ち分の楽器に留まらず、様々な楽器?(水、石、紙、金属)をも同時に奏するもので、これを基にしたものが弦楽オケとの「協奏曲」。それを更に弦楽四重奏版したものが今回演奏された作品の正体のようですね。つまり日本語の小説を英訳し、その英文から更に日本語訳を施した小説、とでも表現すれば良いのでしょうか。
作品はほぼ通して演奏される4楽章。Andante molto, Allegro, Adagio, Allegro vivace で構成されています。
音楽は4人の思い切り良い足踏みで開始、まずここに驚かされます。傑作なのは第2楽章で、時系列で紹介していくと、5人が「Yao Yao」と掛け声を交わしながら進行する部分、4人が揃えて大きく吐息を吐く部分、息を吹き返して偶然性に委ねられる大混乱の部分、ピパによるカデンツァの部分、最後にはファーストが立ち上がって弦楽四重奏のチューニングを開始する部分、という具合に聴く者、見るものを唖然とさせます。
恐らくこの楽章に仕掛けられているチューニングは、カデンツァを奏した東洋の語法(ピパ)に対し、西洋の弦楽器が挑戦するように、あるいは調和を促す様に西洋風の調弦で応える、という意味があるものと思慮します。
その東洋・西洋の出会いは、第3楽章でも明らか。ピパが静かに独白を開始すると、ここに和してくる弦楽四重奏が弾いているのはバッハ、平均律クラヴィア曲集第1巻4曲嬰ハ短調のプレリュードなのですね。気が付いた方、おられますか? この楽章はチェロの特殊技法を駆使したカデンツァで閉じられます。
そして締め括りの第4楽章。勢い良いリズムが支配的で、4人一斉の「Yao」の叫び。最後は世界が無に帰すかのように静かに閉じられるのでした。
4人の大熱演に開場からはいくつもの「ブラヴォー~」。東洋と西洋の出会いは圧巻の内に終了しました。それにしても皆、巧い! 凄い! サルビアホールにピパの華麗な音が響いたのは初めてでしょう。シャオ・ロンも演奏後、ホールの音響の素晴らしさを絶賛していました。
そして後半はガラリと変わってショスタコーヴィチの7番と8番。休憩時間中に椅子と譜面台が片付けられ、残っているのはチェロ用の椅子1脚のみ。ということは暗譜立奏のショスタコーヴィチです。
Qドビュッシーはショスタコーヴィチ・チクルスを敢行していますし、全曲録音も達成している得意のレパートリー。前回2017年の公演でも第7番を取り上げていました
この2曲、間に拍手を挟んで続けて演奏されたのですが、2曲の演奏スタイルは違っていました。即ち、第7番は普通に4人が向き合って演奏するのですが、第8番では4人全員が客席に向き、やや離れて縦一列で並びます。チェロも椅子を移動して正面を向いて座る。
この違いは何か? 如何なるメッセージが込められているのか。
ここからは私見ですが、7番と8番の献呈者に注目すべきだと考えました。7番は最初の妻ニーナの思い出に捧げられており、8番の献呈者は「ファシズムと戦争の犠牲者の思い出」。ということは、2曲では献呈先が私的な対象と公的なそれとで両極端なのですね。後者についてはナチス・ドイツだけではなく、共産主義に対する抗議が暗に仄めかされていることも忘れるべきではありません。
4人はただ単に立奏するに留まりません。重要なポイントで微妙に位置を移動していたことに気が付かれたでしょうか?
最初は第4楽章、ジークフリートの葬送行進曲が連想される ff の激しいアタック。この強烈な和音はファースト以外の3人が奏するのですが、セカンドとヴィオラがチェロ寄りに移動し、ファーストと距離を取る。ファーストは「怒りの日」から流れた低い「ラ♯」を低く伸ばしているだけ。
もう一つは、同じ第4楽章後半でチェロが一人、「ムツェンスクのマクベス夫人」のアリアをハイポジションで悲しく淡々と歌う個所。ここでは逆にセカンドとヴィオラがファーストに歩み寄り、チェロの孤独感を際立たせるかのよう。これ、彼等のメッセージでなくて何でしょうか?
これは弦楽四重奏というより、オペラの演出のようではないか。驚天動地のショスタコーヴィチ8番。この曲はサルビアでも何度も演奏されてきましたが、これほど衝撃的な再現は空前絶後かも知れません。
清濁併せ呑むかの如きショスタコーヴィチの名演の後でも、アンコールが3曲披露されました。
ファースト、クリストフの人懐っこいフランス語で紹介されたのは、最初がショスタコーヴィチのエレジー。これは前回のサルビアで冒頭に演奏されたもの。チェロのセドリックはエンドピンを目一杯伸ばし、立奏に加わります。
アンコールは更に続き、前日の鵠沼でもアンコールされたドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」と「ミンストレル」の弦楽四重奏アレンジ。これについては鵠沼レポートをお読みください。
ということで、クァルテット・ドビュッシー3度目の鶴見襲来。またしても旋風が吹き荒れました。
もうこうなったら平井さん、クァルテット・ドビュッシーによるショスタコーヴィチ全曲演奏会をやるっきゃないでしょ。
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