第100回マエストロ・サロン

昨日はマエストロ・サロンに出掛けました。第100回という区切りですが、コバケンは最近はキャンセル続きですし、急逝したヴィオッティ、急病のヤルヴィの二人の会も取り止めになったことがあります。
恐らく実績は90回ほどでしょうし、司会の新井氏もスケジュールの関係で2度他に替わったこともあります。
ですが、10年続いたことは事実。そのことに拍手しましょう。
さて今回はアレクサンドル・ラザレフ。
“みなさん、あけましておめでとうございます”、で始まったのですが、ただの「おめでとう」じゃありません。曰く。
“ロシアの音楽家にとって年末年始は大変なんです。まずクリスマスがあります。当然飲みますね。次に新年、ここでも飲みますね。更に1月の6日になるとユリウス暦のクリスマスが来ます。当然飲みますね。そして今日(西暦2009年1月14日)、ユリウス暦の新年です。モスクワにいれば当然飲むわけです。今日、私は東京にいますから飲んでいませんけどね。”
という挨拶で始まったサロン。ラザレフは熱く厚くプロコフィエフを語りました。要するにプロコが大好きなんですね。
最後に参加者からの質問。
“もしスターリンのソ連に帰らなかったら、プロコフィエフはどんな作曲家になっていたでしょう”
これに対するマエストロの答はウェブで聞いて頂く事にして、最後のマエストロの締め。
“歴史の「もし」を考え出せばキリがありません”(マエストロ、日本語の「もし」を強調してました)
“アドルフ・ヒットラーは若い時にオペレッタ歌手のオーディションを受けたのですが、不合格でした。もし、ヒットラーが合格していたなら、第二次世界大戦は起こらなかったでしょう!!”
“もし、今日東京に来ていなかったら、私はモスクワでシャンパンを飲んでいたでしょう!!!!”
今回の同時通訳は小賀明子(おが・あきこ)さん。凄い才人!

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