京都市交響楽団・第10回名古屋公演
先週末、思い切って名古屋に遠征してきました。第1回以来ほとんど聴いてきた京都市交響楽団の名古屋公演を聴くためで、序に家内の実家がある名古屋に表敬訪問すること、名古屋にいる友人たちと年一度の再開を楽しむこと、そしてもちろん、愛知県芸術劇場コンサートホールの素晴らしい音響で京響を聴くことが主な目的でもあります。
名古屋は新幹線を使えば往復で3時間、これまでは徹底して日帰りでしたが、今回は初めての一泊。レポートが一日遅れになったのはそのためでした。泊った理由と言えば、単に財政上のこと。旅行担当の家内によると、日帰りより宿泊コースの方が易くつくという珍現象が発生しているとのことで、それなら、という経緯。JRや旅行会社の思惑にまんまと乗せられたんでしょうが、泊まってみて判る名古屋を十二分に堪能してきました。
ここは旅行以外関係の話は全て割愛し、コンサートのレポートのみにしましょう。プログラムは以下。
フォーレ/レクイエムニ短調作品48(ネクトゥー&ドゥラージュ校訂版)
~休憩~
モーツァルト/レクイエムニ短調K.626(ジュスマイヤー版)
指揮/広上淳一
ソプラノ/ケイト・ロイヤル Kate Royal
メゾ・ソプラノ/アリョーナ・アブラモヴァ Alyona Abramova
テノール/オリヴァー・ジョンストン Oliver Johnston
バリトン/ミラン・シリアノフ Milan Siljanov
合唱/スウェーデン放送合唱団
コンサートマスター/泉原隆志
今回のチケットはこれまでと比べて随分と高価だな、と思っていましたが当然でしょう。珍しく、というか初めてゲストとして世界最高峰の合唱団として知られるスウェーデン放送合唱団を招き、トップクラスのソリスト、屈指の合唱作品が2曲並ぶのですから。
発表があって暫く躊躇っていたこともあり、実際にチケットを申し込んだときには既に1階席は完売。ままよ、あのホールで合唱を聴くなら却って天井近くが良いかも、と考えて3階の中央席をゲットしました。泊りということもあり、今回は昼頃からゆるゆると新幹線に乗車します。
普段とは別コースを辿って、というか普通の生き方で芸術劇場着。先般話題になっていた美術館には見向きもせず、コンサートホールに向かいます。入り口でプログラムを手渡されましたが、不思議なデザイン。暫くして思い当たりましたが、これ、ブルーに黄色の帯と言えばスウェーデン国旗のデザインじゃありませんか。表裏を見開くと国旗であることが判る仕掛けで、この冊子は保存しておいた方が良さそう。
プログラムにデザインは何処が作成したかは明記してありませんでしたが、公演そのものは東海テレビ放送が主催、クラシック名古屋が協力し、文化庁からも助成が出ていることが隅っこに小さく表記されていました。
エスカレーターと階段をいくつも昇って3階に着くと、実に眺めがよろしい。舞台奥にずらりと並んだ合唱団用の椅子が目に入り、続いて2組並んだティンパニも。一組はモダン・ティンパニですが、横にはバロック・ティンパニがワンセット。もちろんフォーレをモダンで、モーツァルトはバロックを使って演奏するためでしょう。
上手にはオルガンの鍵盤が鎮座し、京響のオルガン奏者・桑山彩子氏が弾きます。逆の下手にはハープが1台置かれていて、これは同団の松村衣里氏。見るとハープの前、弦楽器パートの後ろに譜面台が一つ、ポツンと設置されていました。何かな、と思って曲目解説(小味渕彦之氏)を読むと、今回演奏されるフォーレは、何とジャン・ミシェル・ネクトゥーとロジェ・ドゥラージュが校訂・復元したもの、だそうな。話には聞いていましたが、この版をナマで聴けるのは初めてです。期待は益々大きくなりましたね。
そのフォーレ、冒頭のニ短調の悲劇的な和音が響き、合唱が「レクイエム」と弱音で歌いだしたとき、鳥肌が立ちました。無音の空間、静かに立ち上ってくる楽の音。最初の1小節で、既に心は天上世界へ。
淡々と進むフォーレ、オッフェルトリウムが「アーメン」で締めくくられると、舞台下手の扉が開き、コンマス泉原氏が静々と登場。一つポツンと置かれた譜面台でサンクトゥスのヴァイオリン・パートを奏でます。
今回の校訂版は、普通に演奏される大管弦楽版(通称第3稿)とは違って、ヴァイオリンは1本のみ、それもサンクトゥスでだけ使われるのです。弦楽器は第1ヴィオラ4、第2ヴィオラ4、第1チェロ3、第2チェロ3、コントラバス2という小編成で、木管はなく、金管がホルン2、トランペット2、トロンボーン3。金管の使用も限定的で、トロンボーンに至ってはリベラ・メで僅かに和音を支えるのみ。
泉原氏はサンクトゥスを終えると静かに退場。このような風景は初めて目にするものでした。
とにかく合唱が素晴らしい。月並みな表現でしょうが、心が洗われる至福の時、としか言いようがありません。大きく息を吐いて、後半のモーツァルトへ。
ハープは片づけられ、弦楽器のパートがいつものように並べられ、今回はファースト・ヴァイオリン8、セカンドも8、ヴィオラ6、チェロ4、コントラバス2と小さい編成ですが、それでもフォーレに比べると大きくなった印象です。
管楽器はクラリネットとファゴットが2本づつ入り、ホルンは無く、2本のトランペットとトロンボーンが3本。これにバロック・ティンパニが参加し、この日の演奏は昔から良く聴いているジュスマイヤー版での演奏でした。
3階から良く見えるので、トゥーバ・ミルムでのトロンボーン・ソロは、2番奏者の戸澤淳氏であることもハッキリ確認できました。トロンボーンが1番ではなく2番がソロ、というのは前日の横浜・シェエラザードでも体験しているので、不思議な符合に気が付いたりもします。
フォーレでのソリストはソプラノとバリトンだけでしたが、モーツァルトでは4人のソリストが揃います。当初の発表ではソプラノがシルヴィア・シュヴァルツ、メゾはペサン・ラングフォードと発表されていましたが、かなり早い段階で変更が決まり、プログラムにも今回の独唱者たちのプロフィールが掲載されていました。一々は触れませんが、4人とも国際的なキャリアを築いている面々。合唱団とのアンサンブル、相性も素晴らしいの一言です。
スウェーデン放送合唱団は、1925年創設。ソプラノ・アルト・テノール・バスの各パート8人づつの合計32名で構成されているプロフェッショナルなコーラスですが、この日はソプラノが一人欠けて7人で歌っていました。それでもこの迫力と、清澄な響き。決して叫ぶのではなく、正に声という楽器が穢れなく、完璧に和す。これぞ合唱という圧倒的な音楽を、日本でも屈指の響きを誇る愛知芸劇で体験できたことに大いなる幸せを感じました。
広上マエストロと京響の素晴らしさも讃えなければなりません。作品のツボを見事に捉え、オーケストラはもちろん、合唱団からも最高の能力を引き出していく指揮の力。奇を衒わず、聴き手に圧倒的な満足感を与えるテンポとバランス。私は遥か以前に広上指揮のフォーレは聴いたことがありましたが(第3稿)、モーツァルトは初体験のはず。
合唱団のコーラスマスター、マルク・コロヴィッチ氏も交えてのカーテンコールの最後、広上氏が客席に語り掛けます。“お腹いっぱいになりましたか?” もちろんですよマエストロ、このあと札幌のマーラー、横浜での第9も聴きに行きますからね。
最近のコメント