サルビアホール 第124回クァルテット・シリーズ

去年12月から始まったサルビアホールのシーズン37、3回シリーズの最後は2月13日、ベルリン=トウキョウの日本ツアー冬編の一環でした。
最早札幌だけではなく鶴見の顔ともなった感のあるベルリン=トウキョウ、今回は彼らの第6回鶴見定期と呼んでも良い恒例のコンサート。2015年に始まった鶴見定期? 今回は6年連続、全て2月の公演という安定したコースでもあります。以下のプログラム

ハイドン/弦楽四重奏曲第30番変ホ長調作品33-2「冗談」
ヴォルフ/イタリア・セレナード
シューベルト/弦楽四重奏曲第12番ハ短調D703「四重奏断章」
     ~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調作品131
 クァルテット・ベルリン=トウキョウ

プログラムが発表された当初は、曲名が四つ並べられていただけ。どこで休憩が入るかがクイズみたいでしたが、予想した通りベートーヴェンの前でしたね。そして何をアンコールするかも謎かけのようなもの。彼らのコンサートは、アンコールも含めてプログラムに筋を通すところが聴きどころの一つでもあります。この日のアンコールは最後に紹介しましょう。
ベルリン=トウキョウのメンバーは改めて紹介するまでもありませんが、ヴィオラは杉田、トライバーに続く3代目のグレゴール・フラーバル。去年から新メンバーとして参加し、前回に続いてヴァイオリンを左右に振り分ける対向配置を採用していました。

今回の冬ツアーは、ここ鶴見が皮切りで、このあと3月1日に大手町のよみうりホールで無料(はがきによる抽籤)の会、8日には帯広(札幌じゃありません)の六花亭ホールで鶴見と同じプログラムという短いもの。しかし彼らは4月に岡山・札幌・広島を回るスプリング・ツアーを行うことが発表されていますし、9月から10月にかけてもオータム・ツアーが予定されています。正に団名に相応しくドイツと日本を舞台に忙しく活動する今旬のクァルテットと言えるでしょう。
ということで人気も急上昇、この日のサルビアホールは完売の盛況で、実際に空席は一つも無いという熱気と期待に溢れていました。

冒頭はハイドン。ハイドンこそベルリン=トウキョウが活動当初から取り組んでいる作曲家で、単に楽譜を忠実に再現するだけでなく、ハイドンの特徴でもある実験的な試みを彼らなりに咀嚼し、現代に蘇らせる努力を続けてきました。これまで鶴見では作品33-4、作品76からは皇帝、日の出、ラルゴと取り上げてきて、今回は愈々「冗談」にチャレンジしてきました。
冗談と言えば命名の元となった終楽章の終わり方に注目が集まるのですが、そんな単純な発想では収まらないのがベルリン=トウキョウ。もう最初から、普通とは違うハイドンが爆発していきます。立ち入り過ぎかもしれませんが、例を挙げていきましょうか。

第1楽章 Allegro moderato, cantabile は中庸なテンポで4小節の第1主題が提示されますが、彼らはカンタービレに注目。冒頭4小節を同じテンポでは演奏しません。即ち後半の2小節は若干速度を落とし、如何にもカンタービレで歌う。一つの主題に二つの性格を持たせることで、4人の間にしなやかな対話が生まれてきます。
傑作なのは第2楽章スケルツォ。特にトリオではファースト守屋が上行音型を滑らせるように、敢えて言えば意識的にポルタメントを掛けてそそっていく。タジタジとなったヴィオラが二度目のフェルマータの箇所で思わず腰を浮かせてしまい、客席からはクスクス笑いも。このポルタメント、如何にも19世紀的な伝統で現代では死滅した感がありますが、守屋は大胆にもハイドンで蘇らせてしまった。これ、確信犯でしょう。

スフォルツァートを強調した第3楽章 Largo sostenuto に続き、問題のフィナーレ。この人気曲はサルビアでは4度目の登場となりますが、それでもベルリン=トウキョウは客席からフライング拍手を誘い出そうと仕掛ける。ここからは彼らと客席の我慢比べになりましたが、手練れ揃いのサルビア会員諸君は引っ掛からず、3小節のゲネラル・パウゼも耐えて無事に冗談が通じたのでした。もちろん笑いを伴った大拍手が、素晴らしいハイドンとベルリン=トウキョウの機知を称えます。

続いて演奏されるヴォルフもシューベルトも、通常であれば演奏会の冒頭に取り上げられることの多い作品。実際にサルビアでもヴォルフは2回目、シューベルトも4回目で、ほとんどは演奏会の冒頭で演奏されてきました(シューベルトは一度、オイストラフQが2曲目に取り上げましたが)。ベルリン=トウキョウは敢えて、2曲とも一晩で、しかもプログラムの途中で演奏するという意表を突きます。
私もまさかこの2曲を立て続けに聴くとは思いませんでしたが、実際に聴いてみると意外な共通点も感じられ、作品の新たな魅力に気付いたものです。特にヴォルフは細部まで磨き上げられ、曖昧な部分のない名演だと感服。4人の演奏する喜びが、如何にもイタリア風、セレナード的性格を見事に捉えていたと思いました。

ここで休憩が入り、後半はベートーヴェンの後期1曲。ベルリン=トウキョウはこれまで鶴見でベートーヴェンのラズモフスキー全3曲、セリオーソとハープを取り上げてきましたが、後期作品を紹介するのは初めてのこと。もちろん今年がベートーヴェン・イヤーであることと関係があり、彼らは5月から12月にかけ、ベルリンとポツダムでベートーヴェン・ツィクルスを敢行する予定になっています。初期・中期・後期の作品群をバランスよく6回に分けるプログラミングですが、詳しくは彼らのホームページをご覧ください。URLは当ブログ、前回のレポートで紹介していますので、そちらからどうぞ。

言うまでもなく作品131は7つの部分に分けられ、全曲を通して演奏するベートーヴェンの最高傑作。前半の比較的楽しい、肩の凝らない選曲との対称が図られているのだと思われます。ベルリン=トウキョウはそれに相応しく、速目のテンポを主体として7つの楽章の性格を際立たせて行きます。
例えば第1部と第2部は纏めて通常の4楽章で言えば第1楽章に当たり、第3部は作品の核とも呼べる第4部・緩徐楽章の序奏部。プレストの第5部はスケルツォ楽章に該当し、短い第6部を経て結論となる第7部フィナーレへ、という具合。スケルツォでのピチカート応酬、スル・ポンティチェロによる奇怪な音など、ハイドン譲りのユーモアも強調していきます。明らかに作品の構造を意識し、それを前面に出した演奏と聴きました。

サルビア初登場の2015年こそ予定外のアンコール(死と乙女の第2楽章)でしたが、それ以降は本編のプログラムと何らかの関連を持たせた小品をアンコールしてきた彼ら、今回は前回と同様に2曲をプレゼントしてくれました。
最初は、2016年のアンコールで全曲を演奏してしまったクルタークの12のミクロリュード作品13から第5曲 Lontano, calmo, appena sentito 。前回のアンコールではファースト守屋が短くアナリーゼしてアンコールした作品で、平均律の12の音を基調とした12楽章から成り、全曲でも10分程度の小品集。第5楽章も “あっという間に終わる” もので、弦楽四重奏曲というジャンルでは最もシリアスな作品と言えるでしょう。シリアスという意味で、クルタークは先輩であるハンガリーの大作曲家バルトークの6曲とウェーベルン、そしてベートーヴェンの後期作品に繋がるもの。これが、作品131の後のアンコールとして選んだ理由と推察します。
因みに12のミクロリュード 12 Microludes 、結成当初のベルリン=トウキョウ(ヴィオラ杉田時代)の演奏がユーチューブにアップされていますから、興味ある方は各自探してみてください。

二つ目のアンコールは、ベートーヴェンに戻って “一番最初に書いた弦楽四重奏曲第3番から第4楽章”。室内楽を聴き込んだ聴き手なら直感したと思いますが、この楽章、ハイドンの「冗談」のフィナーレと同じ精神で貫かれていることにピンときたでしょう。調性こそ変ホ長調とニ長調という違いはありますが、同じ8分の6拍子によるプレスト。どちらも最後はフェイントを掛け、聴き手を騙すようにユーモラスに終わる。ベートーヴェンが弦楽四重奏曲を書くに当たって、師であるハイドンの作品を徹底的に研究したことの証拠でもある楽章でしょう。
ベルリン=トウキョウの狙いは、正にここ。冗談で始めて冗談に終わる。その対極として、ベートーヴェンの後期であり、クルタークも同時に取り上げる。

去年に続いてサイン会も行われましたが、何故かCD録音は未だ無く、プログラムにサインというスタイルだったようです。それでもメンバーには多くのファンや近しい人たちがいて、サイン会というより談笑タイムの様相を呈していました。彼らの日本ツアーはこのあと春も秋も続きます。中にはドイツに出掛けてベートーヴェン全曲に挑戦、という猛者もいるんじゃないでしょうか。

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