東京籠城日記(8)
このところ「パルジファル」や「ばらの騎士」といった長大なオペラを何種類もの演奏で見て、些か疲れました。今日はウィーンからの配信もロルツィングの「ウンディーネ」、しかも子供向けヴァージョンということでオペラは休憩にしましょう。
久し振りに自分のペースで何か聴こうと思うのですが、切っ掛けとしてはやはりカレンダーから、ということにしました。4月19日に縁の作品、音楽家ということで色々眺めてみると、グルックの「アウリスのイフィゲニア」初演、ベルクのヴァイオリン協奏曲初演などが見つかりましたが、今一つ乗り気になりませんね。
この日に亡くなった方では、文化会館小ホールでゴールドベルク変奏曲を聴いた思い出のあるエディット・ピヒト・アクセンフェルト(2001年没)の名前を見付けましたが、それ以外の記憶がありません。確かカラヤンのブランデンブルグ協奏曲の録音でチェンバロを担当したのが彼女だったのじゃないかしら。
1986年の4月19日に亡くなったスウェーデンの作曲家ダグ・ヴィレンに興味があって、彼の弦楽四重奏全曲を空想音楽会で、などとも考えましたが、少しマニアック過ぎるようで。
そこで誕生日組に目を移すと、いましたね、ヨーゼフ・カイルベルト。この人ならいくつか思い出す事柄もありますし、今日はカイルベルトの録音でも聴きながら一日を過ごすことにしましょうか。
私がカイルベルトに初めて接したのは、1965年(昭和40年)12月のN響第9でした。実は私にとってこれが第9デビューで、これまでレコードでしか聴いたことが無かった音楽を始めてナマで聴いて腰が抜けるほど感動したことを覚えています。その時の指揮者がカイルベルト。第9の前にエグモント序曲があり、カイルベルトが文化会館大ホールの下手から姿を現した時、只ならぬ雰囲気に圧倒されました。真っ白な髪の毛というものも初めて見たような気がしましたし、指揮者から発生されるオーラが尋常ではありませんでしたね。ソリストは伊藤京子、栗本尊子、森敏孝、大橋国一という、当時ドイツ音楽では第一人者の面々でした。
カイルベルトが年末の第9を振ったのは、翌1966年の1月と2月の定期を指揮するために早めに来日していたからで、その頃は月2回の定期だったN響のプログラムは、1月がブラームスの3番とティルなどと、ハイドンの99番にブラームスの第2。2月がプラハやシューマンの1番などと、ベートーヴェン第4にヒンデミットとワーグナーという組み合わせでした。要するに得意とするドイツ音楽が中心。
2年後の1968年にも二度目の来日を果たし、やはり4月から5月にかけてN響定期を4種類指揮。ベートーヴェン第8とブルックナー第7、ベートーヴェン第2とツァラトゥストラ、ハイドンの94番とブラームス第1、モーツァルトのジュピターとブルックナー第4という選曲でした。ハイドンからヒンデミットに至るドイツ音楽の本流を聴かせてくれたのですが、未だその余韻が残っているその年の7月、バイエルン国立歌劇場で「トリスタンとイゾルデ」の本番中、確か第2幕を指揮しているときに心臓発作を起こして崩れるように倒れ、そのまま帰らぬ人になったというニュースが飛び込んできたときには驚きましたね。未だ60才だったんですから。
カイルベルトは1908年生まれで、同じ年生まれの指揮者にはカラヤン、アンチェル、朝比奈隆がいます。結構な指揮者の当たり年でしょうか。音楽を聴き始めた頃、最初に手にした指揮者を紹介する本の中に、カラヤンとカイルベルトが若手の有望指揮者として紹介されてしました。
その特徴として、カタカナ好きな知事さんが喜びそうな「ザッハリッヒ」という文字が躍っていたのを記憶しています。ノイエ・ザッハリッヒカイト、新即物主義と言うのでしょうか、主観的な解釈を排し、楽譜に忠実な演奏を志す指揮者、という意味で使われていたのだと思います。
もう一つカイルベルトで良く覚えているのは、プログラムだったかフィルハーモニー誌だったかに掲載されていた、趣味はショーペンハウアーを読むことだ、と紹介されていたこと。当時私も「意思と表象としての世界」を愛読するほど結構なデカンショ・オタクで、その意味で大変共感したものでした。デカンショと言っても何のことか分からない人が殆どでしょうが・・・。
カイルベルトの音楽で強烈に記憶しているのが、ブラームスの第1交響曲。その出だしが滅茶滅茶速かったのですよ。普通の演奏の2倍は速かったと記憶しています。この序奏部、指揮者は6つに振るのが普通ですが、カイルベルトは何と1小節を二つで振った。
最近、パーヴォ・ヤルヴィがドイツで録音した同じ曲の序奏部がやたらに速い、という噂を聞いてCDで聴いてみたのですが、確かに快速であるのは違いないけれど、カイルベルトの記憶に比べれば遥かに遅い。
残念ながら手元にはカイルベルトの音源はほとんどありません。そこでNMLで探してみると、マエストロを偲ぶのに最適な音源がありました。ワーナーから配信されている「ヨーゼフ・カイルベルト・テレフンケン録音集(1953-1963)」というもの。CD何枚というアルバムではなく、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ウェーバー、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ワーグナー、ブルックナー、ブラームス、ヨハン・シュトラウス、リヒャルト・シュトラウス、レーガー、ヒンデミットというドイツ音楽の本流に、グリーグ、スメタナ、ドヴォルザークの有名曲ほぼ全てを網羅したもの。
手始めにブラームスの第1交響曲(ベルリン・フィル)を聴いてみましたが、序奏部は意外にも普通のテンポ。1968年のあの演奏は何だったのだろうか、とも思ってしまいましたが、あの記憶は一期一会のものとして大切に胸にしまっておきましょう。
このあと、カイルベルトが残した名曲の数々を聴きながら一日を送ろうと思います。
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