ウィーン国立歌劇場アーカイヴ(51)

ウィーン国立歌劇場のアーカイヴ配信、今日はプッチーニの「西部の娘」を取り上げましょう。このオペラはプッチーニの作品の中では余り上演の機会もなく、批評家筋の評判も余りよろしくないオペラとして知られていますね。私も実際の舞台をナマで体験したことが無く、映像で見るのも実に久し振りのことでした。

最初にお断りしておきますが、この映像はずっとウィーン国立歌劇場アーカイヴとして配信されてきたものとは別で、ユニテルが制作したビデオをそのまま流しているようです。広告も一切なく、いきなり第1幕の前奏が始まりました。何故かは分かりませんが、字幕は日本語のみならす他の言語も一切出ず、ストーリーなどは予めウィキペディアなどで予習しておかないとチンプンカンプンになるかも。尤も騙されたと思って見ていても、そのうちに内容も判ってきますがね・・・。
データでは2013年10月5日の収録だそうで、7年も前のものしては映像が鮮明。音質も文句ありません。一連のアーカイヴ放送の中では、クライバーの「ばらの騎士」、ネトレプコとガランチャが競演した「アンナ・ボレーナ」に続く商品の映像でしょうか。

「西部の娘」も私にはチョットした思い出があって、1963年に第4次イタリア歌劇団が日本初演した作品。以前紹介した「アンドレア・シェニエ」の時は中学生でしたが、この頃は初心な高校生だったと記憶しています。
この時は当初マリオ・デル・モナコが前回に続いて来日し、ディック・ジョンソンを歌うことになっていましたが、何故かキャンセルとなり、オペラ・ファンの間に失望が広まったのを何となく空気で感じていたものでした。

それでも日本初演が大変な話題になったのは、ミニーを演じたアントニエッタ・ステルラ。彼女は第3次イタリア歌劇団で無名の新人として「リゴレット」のジルダを歌って評判になったのですが、本拠地イタリアでも日本での成功が話題となり、「西部の娘」では大スターとして客席を沸かせたものです。
特に凡人の眼を惹いたのが、NHKの放送での第2幕。例のいかさまポーカーでジャック・ランスとの賭けに勝つ場面で、スカートの奥深く、ガーターで止めたインチキ・カードをサッと取り出す場面で、ステルラ嬢の太ももがチラッと見えるのですよ。私などはオペラの展開などはどうでもよく、ステルラ様のお御脚を見るために深夜、テレビの前で陣取っていたものです。可愛いもんでしょ。この場面でティンパニだけが鳴らされ、緊張感を見事に高めている、などということを教わったのはずっと後のこと。

ミニー/ニナ・シュティンメ Nina Stemme
ディック・ジョンソン/ヨーナス・カウフマン Jonas Kaufmann
ジャック・ランス/トマーシュ・コニェチュニー Tomasz Konieczny
ニック/ノルベルト・エルンスト Norbert Ernst
ソノーラ/ボアズ・ダニエル Boaz Daniel
アシュビー/パオロ・ルメッツ Paolo Rumetz
トリン/ミヒャエル・ロイダー Michael Roider
シド/ハンス・ペーター・カンマラー Hans Peter Kammerer
ベッロ/ヤン・テ=ジョン Tae-Joong Yang
ハリー/ペーター・イェロジッツ Peter Jelosits
ジョー/カルロス・オスナ Carlos Osuna
ハッピー/クレメンス・ウンターライナー Clemens Unterreiner
ラーキンズ/イル・ホン Il Hong
ビリー・ジャックラビット/パク・ヨンミン Jongmin Park
ウォークル/ジュリエット・マース Juliette Mars
ジェイク・ウォーレス&ホセ・カストロ/アレッシオ・アルドゥイニ Alessio Arduini
郵便配達/ヴォルフラム・イゴール・デルントル Wolfram Igor Derntl
指揮/フランツ・ウェルザー=メスト Franz Welser-Moest
演出/マルコ・アルトゥーロ・マレッリ Marco Arturo Marelli
衣装/ダグマール・ニーフィンド Dagmar Niefind

どうでもいいことばかり書き連ねましたが、多分「西部の娘」を本格的に、かつ真面目に見たのは初めてかも。
そもそもこのオペラはメトロポリタン歌劇場のために作曲され、トスカニーニ指揮、エミー・デスティン、エンリコ・カルーソー主演で世界初演されたという曰く付きのもの。やはりメットでの上演を真っ先に見るべきなのかもしれません。

ということで、漸く今回の舞台ですが、いきなりマレッリの演出に度肝を抜かれてしまいました。舞台はゴールド・ラッシュに沸くカリフォルニア、ハリウッド映画でお馴染みの西部劇のオペラ化なのですが、この演出では少し時代が現代に近くなっているという設定でしょう。
酒場「ポルカ」自体が西部劇の舞台とは少し違います。冒頭で流しのジェイク・ウォーレスが歌う小唄を聞き、望郷の念に駆られた鉱夫の一人(ベッロ)がカンパを受けて帰郷する場面があります。この流しの歌、何とラジカセから流れてくる録音(もちろん実際には舞台裏でアルドゥイニが歌っている)に変えられているのはビックリ仰天してしまいました。男たちばかりの舞台に登場したミニーが赤毛なのも。

極めつけは全曲の幕切れでしょうか。台本では皆から許されたミニーとディック・ジョンソンが馬に乗ってカリフォルニアを後にする、という結末だったと思いますが、馬ではなく派手に色付けされた気球にすり替えられているのには思わず吹き出してしまいました。
そもそもこのストーリー、ジャック・ランスは保安官という身でありながら、ギャングの首領の逮捕と自分の色恋をポーカーで賭けてしまうといういい加減さ、リンチで事を済ませてしまおうという無法ぶり。何とも無理がある設定でしょ。

しかし、ですね。男ばかりのギスギスした雰囲気の中に女性ミニーが登場すると、突然男たちがしおらしくなる。最後も男たちが盗賊をリンチにするという寸前、ミニーの情にほだされて過去の罪も問わず、恋人たちを許してしまう無頼漢ども。こうした理不尽な設定こそ、実はこのオペラの狙いだったのでは、ということに気付かせてくれる演出だということを発見しましたね。

何故なら、最初に書いたジェイク・ウォーレスの懐かしさを誘う歌が、全曲の幕切れでも念を押すように登場する。無味乾燥な男どもの世界に、一人の女性の存在が男の気持ちを変えてしまう西部劇。これがこのオペラのテーマなのかも。
「西部の娘」の最大の見どころは第2幕、主役3人の駆け引きと本心の暴露でしょうが、第1幕は最終第3幕の結論への伏線になっている、という意味でも丁寧に聴くべき幕なのだ、ということも判りました。

この映像では、最後に演出家と衣装担当の女性がカーテンコールを受けていましたから、恐らくプレミエ公演の記録なのでしょう。敢えてDVD化した意義も納得できましたし、過去の「西部の娘」に対する記憶を完全に塗り替えてしまった配信でもありました。

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