フアン・ディエゴ・フローレス・リサイタル@ウィーン国立歌劇場

何とも贅沢なリサイタルでしたね。現地20日の夜、ウィーン国立歌劇場で行われたフアン・ディエゴ・フローレスのリサイタルがライヴで生中継されました。
ルールとは言いながら観客は100人。たった100人でフローレスが聴けるリサイタルなんて、こんな非常時でなければ出来ない事件でしょ。それにしてもチケット代は幾らだったんでしょうか、早いもん順だったんでしょうかね。こんなレアな機会がまるで現場にいるような音質と画質で楽しめるのですから、インターネット技術に感謝しなければいけません。

ということで、タップリ楽しませてもらいました。発表されていた本編のプログラムは腹七分程度と短めでしたが、フローレスのこと、盛りだくさんのアンコールでネット聴衆もお腹一杯になりましたよ。

ロッシーニ/「試金石」ボレロ
ロッシーニ/「試金石」あの神々しい瞳
ドニゼッティ/ワルツ イ長調(ピアノ・ソロ)
ベルリーニ/「カプレーティとモンテッキ」喜ばせてあげて
ベルリーニ/「カプレーティとモンテッキ」おお、カペッリオの寛大な友人諸君
マスネー/白い蝶(ピアノ・ソロ)
ラロ/「イスの王」オーバード「愛する者よ、今はもう」
マスネー/「ウェルテル」オシアンの歌
グノー/「ファウスト」この清らかな住まい
ポンキエルリ/「ジョコンダ」自殺(ピアノ・ソロ)
ヴェルディ/「第1回十字軍のロンバルディア人」オロンテスのアリア「私の喜びは呼び覚ます」
 ピアノ/セシル・レスティエ Cecile Restier

女性ピアニストを伴って登場したフローレス、前半はイタリアもの、後半はフランスものと何れもオペラのアリアが選ばれ、これまでの3人がリートを中心にしていたのとは趣も異なっていました。
アリアは声を張り上げるものが多いので、間にピアノ・ソロを3曲挟みます。3曲目のポンキエルリは、歌劇「ジョコンダ」第4幕で歌われるジョコンダのアリア「自殺」をピアノ・ソロで弾いたもの。

フローレスが選んだアリアは、殆どが余り歌われない珍品に属すると言って良いもので、今回の一連のアーカイヴで登場したのはマスネーの「ウェルテル」だけでしょ。あとはグノーの「ファウスト」は知っていましたが、今回初めて真面目に聴いたものばかり、というのも嬉しい経験でした。

上記のプログラムだけで終わるフローレスじゃありません。何と全部で6曲ものアンコールがありました。

最初はウィーンですから、レハールの喜歌劇「ジュディッタ」から「友よ、人生は生きる価値がある」。そう、コロナ後の世界でも生きる価値はあるんです。
ここで舞台にストールが運び込まれ、待ってました、ギターの弾き語り。ドイツ語は上手くないんで英語で、とスピーチを交えながら弾き始めたのは、メキシコで古くから親しまれている歌。キリノ・メンドーサ・イ・コルテスの「シエリト・リンド」という曲だそうで、後でネット検索で曲名が判りました。

ギター弾き語りはもう1曲。彼はペルー出身なので、ライブストリーミングで楽しんでいる故郷の人々への挨拶としてペルーの歌が披露されましたが、これは曲名が判りませんでした。ご存知の方かおられましたらフォローしてください。
ここでストールは片付けられましたが、これで終わるフローレスじゃありません。再びレスティエ嬢を伴って登場すると、
キューバのフィーリンを代表する歌、セサル・ポルティージョ・デ・ラ・ルスの「遠く離れていても」
アグスティン・ララの有名な「グラナダ」
最後にはプッチーニの「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」の3曲を一気に謳い上げ、客席からは拍手大喝采。ブラヴォー禁止、などという野暮は通用しませんね。

キューバの歌はソーシャル・ディスタンスを意識してか、坂手に取ったのか。グラナダは彼のホセ・カレラスの愛唱歌で、曲の途中に「花束」Flores という文言が出るところでは思わず客席の笑いを誘います。
そして「誰も寝てはならぬ」。確かミラノだったが都市閉鎖されていた時、あるテノール歌手がバルコニーからこれを熱唱して皆を励ました、というニュースが流れていましたよね。それを意識しなかったと言えば嘘になるでしょ。

かくして熱き夜は帳を下ろしましたが、改めて歌の力、音楽が人々に与える何物かの凄さを実感させてくれたリサイタルでした。

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