芸術が花開いた街・パリの旅(オンライン)
神奈川フィルに続いてフェスタサマーミューザに登場したのは、読売日本交響楽団。フェストを通じて夜7時開演、終演が9時過ぎというのはこの公演だけだと思います。
読響レポートに入る前にお知らせを一つ。28日にライブ配信された神奈フィルの第1曲、ドヴォルザークの管楽セレナードで音声障害があったと書きましたが、やはりこれは配信側のトラブルだったようで、アーカイヴ配信でその辺りを修正するために通常より1日遅れ、つまり今日(30日)の昼12時から配信されるということです。受信側に問題があると思われた皆様、どうぞ安心してアーカイヴを楽しみましょう。
ということで読響。これも素晴らしいコンサートでしたね。番組のクレジットによると映像・音声の製作は YouClassics というところだそうですが、日を追ってクオリティーが高くなっていることを実感します。
ネット配信、特に今シリーズの特典でもあるバックステージの映像は出演者たちにも認識が共有されてきたようで、昨日の読響ではコンマスの日下氏、ヴィオラ・ツートップの柳瀬・鈴木両氏もカメラに向かって楽しそうに手を振ったり、深々と礼をしたりと、実際にホールに足を運んでも見ることが出来ないシーンが満載でした。コンサート開始前から期待が高まるじゃありませんか。
特にアッと思ったのは、省ちゃん(ヴィオラ主席の柳瀬省太氏)が髭を蓄えていたこと。最初はマスク姿だったので判りませんでしたが、舞台に上がってマスクを取ると髭面。音楽家というより実業家か政治家という風貌に思わず爆笑してしまいました。柳瀬さん、ごめんなさい。でも似合ってますよ。茅野でも盛り上がることでしょう、って関係者にしか分からないか?
冗談はここまで。肝心のプログラムは、
モーツァルト/交響曲第32番ト長調K318
プーランク/2台ピアノのための協奏曲ニ短調
~休憩~
サン=サーンス/動物の謝肉祭
モーツァルト/交響曲第31番ニ長調K297「パリ」
管弦楽/読売日本交響楽団
指揮/下野竜也
ピアノ/反田恭平、務川慧悟
コンサートマスター/日下紗矢子
演奏会の感想を書くにあたっては、事前に何に付いて触れようかと考えるのが私の習慣ですが、昨日は思いついたことを全て事前のインタヴューやプレトークで話されてしまいました。
演奏会本番前のインタヴューは反田・務川デュオが、演奏前のプレトークは下野マエストロが出演されましたが、3人のトークはどれも演奏作品の聴きどころに関して本質を衝いたものばかり。従って、今日の感想はアーカイヴ配信をジックリ見てください、の一言で済みそうです。
これでお仕舞にするのもなんですから若干つけ足しておくと、コンサートの副題にもなっている通り、フランスの洒落た2作をモーツァルトがパリに因んで作曲した二つの交響曲で挟む下野得意のサンドイッチ・プログラム。
フランスの2曲は、共にモーツァルトとの接点もある。つまりプーランクは第2楽章、同じニ短調のモーツァルト(ピアノ協奏曲第20番)のやはり第2楽章とそっくりな出だしで始めるという確信犯。プーランクのモーツァルト好きは有名で、代表作のバレエ「牝鹿」にもプラハ交響曲の一節が出ますしね。単なる模倣ではなく、棘がある、というのが下野解説で、誠にプーランクの特質を衝いていると思いました。
一方のサン=サーンスは、神童として知られた人。殆どの楽器を演奏できたそうですが、全て独学だったとか。モーツァルトとは違って長生きでしたが、意外にも皮肉屋だったこともモーツァルトそっくりと言えるでしょう。
プーランクには聖と俗の両面があって、極めて深刻な作品を書く一方で、楽しい、時にはふざけているのではと思われるような音楽もある。これを誰だったか、修道士がサッカーを楽しんでいるようだと評してましたね。
昨日の2台ピアノ協奏曲はサッカーの方。反田(第1)・務川(第2)のスカっとするような痛快な演奏と、下野/読響の鮮やかなサポートに思わずブラヴォ~を掛けたくなるような思いでした。
デュオのアンコールは、モーツァルトのピアノ・ソナタハ長調K.545を何とグリーグが2台ピアノ用に編曲した版の第1楽章。えっ、そんなのアリかと思えるほどの珍品で、モーツァルトを愛する他の作曲を絡めた何ともニクいアンコールじゃありませんか。
後半の最初のサン=サーンスは、下野の解説付き。読響のメンバーを紹介しながらの楽しいトークに、改めて「動物の謝肉祭」の魅力に引き込まれた方が多かったのではと想像します。水族館のチンアナゴは、この日のアンコールへの伏線でもありましたね。詳しくはアーカイヴで確認してくださいな。ピアノ・デュオは分担が入れ替わり、務川第1と反田第2。
そしてメインのパリ交響曲。シャンパンの泡が沸き立つような活気と喜びに満ちた下野のモーツァルト。その推進力に心躍るサマーミューザでした。
ソーシャル・ディスタンスへの対応も下野/読響ならでは。単に奏者の間隔を空けるだけではなく、上手に管楽器、下手に弦楽器という思い切った変更を試みたのは、会話の多いオーケストラ・読響ならではでしょうか。
冒頭の第32番は元々歌劇の序曲としても演奏された単一楽章のシンフォニアで、多くの歌劇場ではモーツァルトの場合、ピットに入ったオケはこの日のように右に管、左に弦を纏めてしまうケースも多々あります。楽器間のバランスを問題にする向きもありましょうが、これは本来アリな選択でしょう。下野氏はその昔に読響にも客演したストコフスキー(1965年、ベートーヴェンの第7のみ指揮)に倣ったと解説されていましたが、オーケストラの配置はもっと自由に考えても良いものだと思います。
余談ですが、上記ストコフスキーの客演。読響との第7は何度も日本テレビで放映され、私も繰り返し鑑賞した記憶があります。彼の独特なオーケストラ配置は否定的に評価されることが多かったようですが、映像という媒体を巧みに利用したストコフスキーの慧眼に驚かされます。
さてアンコール。サン=サーンスのアヴェ・マリアという歌曲ですが、これを管弦楽に編曲したのが、動物の謝肉祭でチンアナゴならぬグロッケンシュピールを担当した野本洋介氏。
野本氏は編曲を数多く手掛けておられ、先日ネット配信された広島交響楽団のベートーヴェン・シリーズのアンコールで下野氏が取り上げた「月光ソナタ」第1楽章も彼の編曲でしたっけ。
様々な工夫が施された読響のサマーミューザ。これで一気に読響ファンが増えたことと思われます。私も1月定期(やはり下野指揮)以来ナマの演奏会に行っていませんが、秋には無事にサントリーホールで聴けることを願わずにはいられません。
最近のコメント