ヴィグモア日誌(1)
ヴィグモア・ホールからのライブ・ストリーミングが始まって一週間が経ちました。そのいくつかを個別の記事として紹介してきましたが、他にも注目される演奏会が目白押し。そのすべてを取り上げるわけにもいかないので、一週間分を纏めて記録しておこうと考えた次第。
ここでは個人的な感想は出来るだけ排し、事実だけを書き残しておこうということで、記事のタイトルを日記ではなく日誌としました。クリスマスまで何回続く事か。
ということで、日を追って記録していきます。
先ず初日、9月13日(日)はゲアハーハーのリサイタル。これは個別に取り上げました。
9月14日(月)からはランチタイム・コンサートと夜のコンサートの一日2部構成。マチネーのアルバン・ゲルハルトのチェロ・リサイタルも個別に紹介しています。
夜のコンサートは、予定されていたレオニダス・カヴァコスとエンリコ・パーチェのベートーヴェン・ヴァイオリン・ソナタ3曲が海外渡航制約により延期となり、フィリップ・ハイアム Philip Higham とスーザン・トームス Susan Tomes によるチェロ・リサイタルに変更となりました。
ベートーヴェンの「魔笛」変奏曲で開始し、ベートーヴェンの作品102-1(第4番)で締められましたが、それに挟まれてスーク、ヤナーチェク、ドビュッシー、ナディア・ブーランジェの作品が取り上げられています。
ハイアムは、エジンバラが育んだ新世代のバッハ弾き。無伴奏チェロ組曲全曲の録音がグラモフォンのエディターズ・チョイスに選ばれた若手。一方ピアノのトームスには「Out of Silence」という著作があり、これを小川典子が翻訳して日本版が出ていることでも知られているピアニスト。
珍しい作品と言うことで、スークはハイアムが、ブーランジェはトームスが短く解説していました。アンコールは本編で演奏したブーランジェの3小品から第2曲 Sans vitesse et a l’aise 。
9月15日(火)のランチタイム・コンサートはヒース・クァルテット Heath Quartet がバッハのフーガの技法抜粋とベートーヴェンのラズモフスキー第3を弾いたはずですが、技術的な問題が生じたとのことでは配信中止となりました。
夜のコンサートはレーチェル・ポッジャー Rachel Podger とクリスチャン・ベズイデンホウト Kristian Bezuidenhout によるバロック・ヴァイオリンのリサイタル。バッハを中心に、フローベルガーのハープシコード・ソロ曲を挟んでのコンサート。バッハはヴァイオリン・ソナタの第1・2・3・6番が演奏されました。アンコールは同じバッハで、ヴァイオリン・ソナタト長調BWV1021から第1楽章アダージョ。
ポッジャーはイギリス出身のバロック・ヴァイオリン演奏家で、バロック・ヴァイオリンの天女と呼ばれているそうです。イングリッシュ・コンソートのコンサートマスターを務めていた女性ヴァイオリニスト。一方、ベズイデンホウトは南アフリカ生まれのハープシコーディストで、オーストラリアとアメリカで学んだ由。
ホールの解説者がソナタ第2番の第2楽章にアルペジオがあることを紹介すると、ポッジャーは“ここよ”と言わんばかりに楽し気に演奏していたのが印象的。間に置かれたフローベルガー作品では、演奏前に調律をし直していました。
9月16日(水)のランチタイム・コンサートは、個別に紹介したセーラ・コナリーのリサイタル。
夜のコンサートは、今や世界で最も有名なピアニストとなったイゴール・レヴィット Igor Levit によるベートーヴェンのピアノ・ソナタ4曲プログラム。弾かれたのは第1番、第12番『葬送行進曲』、第25番、第21番『ワルドシュタイン』の順。
レヴィットは世界中がロックダウンに苦しんでいるとき、ベルリンからネット配信でベートーヴェンのソナタ全曲を含む52回ものオンライン・コンサートを行って多くの人たちを勇気付けてくれました。
アンコールは、レヴィットの友人でジャズ・ピアニスト、作曲家でもある Fred Hersch (1955-) がロックダウンの期間中にレヴィットに送ってくれた Trees 。
9月17日(木)のランチタイム・コンサートは、タイ・マレイ Tai Murray とマーチン・ロスコー Martin Roscoe によるヴァイオリン・リサイタル。モーツァルト(K304)とブラームス(第3番)の間にバルトーク(6つのルーマニア民族舞曲)を挟む3曲プログラム。
マレイはシカゴ生まれの黒人女流ヴァイオリニストで、イザイの無伴奏ソナタ全曲をハルモニア・ムンディに録音しています。ロスコーは英国のヴェテラン。アンコールはウイリアム・グラント・シュティルの Quit Dat Fool’nish というジャズ風の小品でした。
夜のコンサートは、コンスタンティン・クリンメル Konstantin Krimmel とマルコム・マルティノー Malcom Martineau によるバリトン・リサイタル。シューベルト、レーヴェ、シューマン、ラヴェル、ヴォルフが次々と歌われました。
クリンメルは、1993年生まれドイツの若きバリトン。美声、特に高音域が柔らかく、これからのドイツ・バリトン界を背負って立つ存在になることは間違いないでしょう。聴き逃せないリサイタル。アンコールはシューベルトのさすらい人の夜の歌D768と、希望D637。今、人類が最も必要としているのが希望である、との挨拶。
9月18日(金)のランチタイム・コンサートは、ロンドン交響楽団の首席奏者でもあるピーター・ムーア Peter Moore のトロンボーンと、ロバート・トンプソン Robert Thompson のピアノによる珍しいデュオ・リサイタル。
バッハからムーアのために作曲されたロクサーナ・パヌフニク Roxana Panufnik の新作まで、幅広いレパートリーが取り上げられました。冒頭のバッハ(無伴奏チェロ組曲第2番~前奏曲)は無伴奏トロンボーンでの演奏で、多くがムーア自身がソロ用にアレンジしたものだそうです。客席にはパヌフニクも来場していました。ステバン・スーレック Stjepan Sulek (1914-1986)、アーサー・プライアー Arthur Pryor (1870-1942)など、初めてその名前に接する作曲家の作品も演奏。アンコールはエロール・ガーナー Eroll Garner (1923-1977)の Misty (ジャズのスタンダード)と、レイ・シュテッドマン=アレン Ray Steadman-Allen (1922-2014)の Walk with me (ブラスバンドの定番)の2曲。
夜のコンサートは予定していたアルディッティQが海外渡航規制により延期となり、ショーン・シーバ Sean Shibe のギター・リサイタルに変更になっています。
シーバはスコットランド生まれのギタリストで、伝統的なクラシック・ギターとエレキ・ギターも演奏する二刀流。この日もクラシック・ギターでオスワルドとモンポウの作品を演奏し、ガラリと趣を変えてジュリア・ヴォルフ Julia Wolfe (b.1958) しいう人のエレキ・ギター作品を演奏しました。直前に代演依頼があったそうな。
アンコールは、普通のギターに戻ってプーランクのサラバンド。プーランクが書いた唯一のギター曲だそうで、極めて短い一品。
9月19日(土)は夜のコンサートのみ。アンジェラ・ヒューイット Angela Hewitt のバッハ・リサイタルが行われました。ヒューイットはヴィグモア・ホールでバッハのクラヴィア作品全曲演奏会を敢行中で、全12回のうち今回は11回目。今月28日に最終回が予定されています。
ヒューイットはファツィオーリのピアノを弾くことで有名ですが、残念なことに今年早々、ベルリンで業者が楽器を運搬中に落としてしまう事故があり、今回はホール備え付けのスタインウェイでの演奏となりました。シリーズ第11回のプログラムは、最初に4つのデュエットが取り上げられ、続いて19曲あるリトル・プレリュード(小前奏曲)全曲と幻想曲とフーガイ短調BWV944が一気に演奏されます。
一旦舞台裏に下がり、解説を挟んでパルティータロ短調BWV831(以前はフランス風序曲と呼ばれていた組曲)と、誰でも知っている名曲イタリア協奏曲BWV971で本編が締め括られました。アンコールは当然ながらバッハで、目覚めよ、と呼ぶ声ありBWV645のケンプ編曲版。最初の1週間で最も客席が多かったコンサートでしょう。
以上はユーチューブで、更にはヴィグモア・ホールの公式ウェブ・サイトで30日間視聴することが出来ます。関心を持たれた方は各サイトにアクセスしてみてください。
最後に余談を一つ。この配信ではホールでの音声解説がそのままテロップとして画面表示されます。ただ、音声翻訳ソフトを使用しているせいか、頓珍漢な英語が表示されるので笑えますね。
例えば Bach は英語圏では「バック」と発音しますが、テロップでは Buck だったり、Bark だったり。イタリア協奏曲の解説で「Tutti」という単語が出てきましたが、「Two tea」と翻訳されるのに唖然としてしまいました。
ヒューイットのアンコールでは、ヴィルヘルム・ケンプの翻訳が「Bill heavy tank」というに及んでは何をか言わんや。
我々の世代は、中学から大学まで10年間も英語を勉強したにも拘らず一言も喋れません。外国語にはコンプレックスがあるのですが、この英訳を見ていると「英語なんて、こんなもんか」と思ってしまいます。我々ももっと自信を持ってブロークン・イングリッシュを使おうじゃありませんか。
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