ウィーン国立歌劇場公演「ドン・カルロス」(オンライン)

9月7日、プッチーニの「蝶々夫人」を皮切りに新シーズンの公演が再開されたウィーン国立歌劇場ですが、これまで定期的に行われてきたライブストリーミングは、数本が試験的に行われているのみ。本格的な配信については現在も全く目処が立っていないのが現状とのこと。
これまで日本で配信を提供してきたオッターヴァ・テレビもウィーン国立歌劇場と協議、検討を重ねた結果、当面の間は配信を見送ることになったようです。

しかしウイーン国立歌劇場の公式ホームページからは、試験的に無料で配信されている演目を見ることは可能。確かメールアドレスと自分で設定するパスワードを入力するだけで視聴することが出来ます。
私もこの手続きで、再開第一弾の「エレクトラ」を堪能しましたが、昨日10月6日の未明(現地では5日の夜)からは第二弾としてヴェルディの「ドン・カルロス」が配信されています。3日間、72時間は追っかけ視聴できるようですから、どうしても見たいという方は直接ウィーンにアクセスして挑戦されては如何でしょうか。

そのドン・カルロス、タイトルにもあるように良く上演されるイタリア語の「ドン・カルロ」ではなく、フランス語の初演5幕版の「ドン・カルロス」であるところがミソ。シュターツオパーのカレンダーによると、2020年10月4日(日)午後5時からの公演を収録したもののようですね。主なキャストは以下の通りでした。

フィリップⅡ世/ミケーレ・ペルトゥージ Michele Pertusi
ドン・カルロス/ヨーナス・カウフマン Jonas Kaufmann
ロドリーグ/イゴール・ゴロヴァテンコ Igor Golovatenko
大審問官/ロベルト・スカンディウィッチ Roberto Scandiuzzi
エリザベート/マリン・ビストロム Marlin Bystrom
エボリ公女/イヴ=モー・ユボー Eve-Maud Hubeaux
修道士・カルロ5世/ダン・パウル・ドゥミトレスク Dan Paul Dumitrescu
ティボー/ヴィルジニー・ヴェレツ Virginie Verrez
レルマ伯爵/ロバート・バートネック Robert Bartneck
天からの声/ヨハンナ・ウォルロース Johanna Wallroth
指揮/ベルトラン・ド・ビリー Bertrand de Billy
演出/ペーター・コンヴィチュニー Peter Konwitschny
舞台稽古/アレクサンダー・エドバウアー Alexander Edtbauer
舞台及び衣装/ヨハンネス・レイアッカー Johannes Leiacker
照明/ハンス・テルシュテーデ Hans Toelstede
映像原案/ヴェラ・ネミロヴァ Vera Nemirova
ドラマトゥルグ/ウェルナー・ヒンツェ Werner Hintze

春の閉鎖期間中にアーカイヴ配信されていたイタリア語4幕版の「ドン・カルロ」は、2公演ともダニエレ・アバド演出の比較的オーソドックスな舞台でしたが、今回は鬼才ペーター・コンヴィチュニーの演出。怖いもの見たさにパソコンの前に陣取りました。
その結果は奇想天外、驚天動地、前代未聞、荒唐無稽、言語道断といくつもの四文字熟語が思い浮かびましたが、それこそ見たこともないような演出と言って良いでしょう。私としてはとても付いて行けないような印象も持ちましたが、何故か最後まで一気に見てしまい、案外違和感は無い。そんな不思議な舞台でもありました。

何と言っても演出が話題になるでしょうから、そこに視点を当て、思いつくまま書き留めていきましよう。
先ず5幕版、ということは4幕版に先立ってフォンテンブローの場が置かれているのが見所。ここはドン・カルロスがフランス王妃エリザベートと出会う場面で、4幕版の前史、ドン・カルロスを襲った運命の切っ掛けを描く場面で、これがあった方がオペラ全体の筋立てを理解する助けになります。但し、その分長くなる。

コンヴィチュニーの舞台は至って簡素なもので、舞台中央手前に焚火をするための箱状のものが置かれているだけ。この幕の最後、一目惚れしたエリザベートが実は父親の結婚相手になると知って絶望したドン・カルロスが唯一人倒れ込むと、舞台の周囲に小さな出入り口がいくつも付いている壁が下りてくる。
この後、オペラ全体はこの壁の中で歌い演じられるのですが、この壁こそが当時のスペインを覆っている閉塞感を象徴する装置なのでしょう。刑務所の独房にも似ていて、少なくとも私にはそう感じられました。そして、ここまでは極く普通に見ることが出来る、と言えるでしょうか。

続く第2幕は、4幕版の第1幕。カルロスの盟友ロドリーグとの友情を確認する有名な二重唱があったり、オペラのキーパーソンでもあるエボリ公女のアリアが歌われる場面。
冒頭、ドゥミトレスク演ずる修道士が登場、先代カルロ5世の死を伝える場面では、修道士は実はカルロ5世の亡霊であることを連想させるややコミカルな演技があり、舞台正面に苗木を植える様子が演じられます。この苗木がその後もオペラ全体を通して設置されたまま、決して大きく育ったり、枯れてしまったりはしません。カルロス5世が蒔いた種は決して実ることが無かった、ということの象徴でしょうか?
カルロスとロドリーグの友情の誓いでは、何故か二人が這い蹲るようにして歌い始める。全体に、登場人物が横になりながら歌うシーンが多いのは何故なのでしょう。

そしてエボリ公女のヴェールの歌。マンドリンに合わせて、という所ではオケ・ピットからマンドリンが手渡される。ここで思わず客席から苦笑が起きますが、この辺りコンヴィチュニーの型破りなアイディアでしょう。
何となく普通とは違うことが起きそうな予感を抱かせつつ、休憩に。休憩は2幕と3幕の間、3幕と4幕の間に2回入りますが、これまでの配信と違って休憩中は何も放送されません。ただ歌劇場の一角がずっと映し出されているだけ。配信そのものは5時間の長丁場です。 

演出に異変が起きるのは、第3幕。王宮の庭園(実際の庭園は出ません)でエリザベートとエボリ公女が仮面を交換し、このあとカルロスが逢引きの相手を間違える伏線となるシーンの後。舞台の周囲を取り囲んでいた壁がせりあがると、そこに出現したのは現代の家庭を描く一室。なんじゃ、なんじゃ。画面には「エボリの夢」という字幕が表示され、そこで演じられるのは本来のバレエではなく、カルロスとエボリ夫妻の家庭の一シーンなのでした。
子供を宿している妻エボリが家事に勤しんでいると、疲れた様子で夫カルロスが帰宅。そこにフィリップ・エリザベート夫妻が招かれ、4人のホームパーティーが始まる。料理を焦がしてしまったエボリがピザを注文すると、ロドリーグが配達してくる。という具合に家庭内騒動が延々と繰り広げられます。鳴っている音楽はヴェルディ作でしょうか。少なくとも「ドン・カルロス」で聴き慣れていたものとは異なります。

この間、恐らくウィーの聴衆もパソコン前の私も呆然自失。エボリ公女が思い描いていた将来の幸せなのでしょうが、ヴェルディもシラーもこんな展開は想像していなかったはず。あくまでも、歌劇の本質を現代に翻訳してメッセージとして伝えることが演出家の使命であると宣言しているコンヴィチュニーならではの読み替え、深読みなのでしょう。
この幕の奇想天外は更に続き、いやエスカレートし、フィリップ2世の戴冠式の場では、事前に収録した映像と現実の舞台が巧みに連携して見る人を唖然とさせ、しかも感心させるのでした。

ここで二度目の休憩。ブラヴォ~の中に若干のブーイングが聞こえたのも当然でしょう。

しかし第4幕、フィリップ2世のモノローグ「一人寂しく眠ろう」からは16世紀のスペインに戻り、壮大なコメディーから現実の悲劇へと引き戻されます。
この幕の主役は、夢破れたエボリ。幕開けからエボリ公女がフィリップ国王と褥を共にしていて、この幕は出ずっぱり。続いて登場してくる大審問官は盲目という設定で、エボリが同室していることにも気付きません。結局、第4幕は最初から最後のアリアで自身の美貌を呪い、自らの顔を傷つける場面まで、恰もこのオペラはエボリ公女が主役であるような様相を呈してきます。

こうして全5幕は、最後にカルロ5世がカルロスとエリザベートを別世界に連れ去って終わるのですが、この時だけ壁の中央がパックリと割れ、独房からの解放とも感じられます。第3幕の敢えて創作したとも思える喜劇と、第4・5幕の悲劇が見事に対象されていると実感した瞬間でもありました。
その他、この演出ではロドリーグが眼鏡を使用していて、それを掛けたり外したりする。それも何かを意味しているのでしょうが、私の能力では読み取れません。有名なカルロスの肖像の使い方にも工夫が施されているように感じました。

歌手たちについて触れる余裕はありませんが、主役クラスではフィリップ2世を歌ったペルトゥージが、ドニゼッティのドン・パスクワーレやシンデレラでアリドーロを歌っていて我々にもお馴染み。
もちろんタイトル・ロールのカウフマンは誰もが知る大スターですが、エリザベートのビストロム、エボリのユボーも夫々に素晴らしく、新鮮に感じられました。

客席はある程度間引きして販売されているようで、満席ではないものの、かなり密な印象。それでもマスク着用は義務付けられている様子でした。
一方、ピットから舞台はコロナ・ウイルス何処吹く風。指揮者は登場してコンマスとガッチリ握手してますし、楽員のマスクも見当たりません。舞台上はそれ以上で、手を握る、抱き合うは当たり前。それ以上の濃厚接触も普段通りの舞台でしたね。
ただ、全幕が終了すると画面に「マスクは必ずご着用ください」のテロップが出るのはどういうこと? ライブストリーミングを見ているオンライン聴衆も自宅でマスクを着用せよ、ということなのでしょうか。

ところで拙宅にはパソコンが2台あり、私が使っているウインドウズでは何度か映像と音声が中断するアクシデントがありました。一方で家内が使っているマッキントッシュでは中断など一度もなく、映像も音声も完璧だったとのこと。機種によって受信のレヴェルに差が出ることもあるようですね。
ウィーン国立歌劇場の試験的な配信、次は10月13日、モーツァルトの「後宮からの逃走」が予定されています。

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