ヴィグモア日誌(5)

5週目に入ったヴィグモア・ホールの2020年秋シーズン、コロナ感染の第2波が拡大しつつあるようで、海外渡航規制に伴うキャンセルが増えてきました。現地午後1時に開演するランチタイム・コンサートが行われたのは月曜日までで、コンサートの数もかなり減ってしまった感があります。

10月11日(日)は、第4週最終日(10月10日)の続きで、BBC新世代アーティスト・シリーズ。一日3回のコンサートが並び、忙しい一日でした。
先ず午前11時半からはBBC新世代アーティスト・シリーズ第3弾として、1994年、ロシア生まれの女性チェリスト、アナスタシア・コベキナ Anastasia Kobekina と、1991年、ジョージア生まれのピアニスト、ルカ・オクロス Luka Okros のデュオ・リサイタル。ストラヴィンスキーのイタリア組曲とラフマニノフのチェロ・ソナタト短調作品19が演奏されました。コベキナは音楽一家に生まれ、4才からチェロを弾き始め、既に6歳でオーケストラと共演している若き天才チェリスト。一方のオクロスも負けていず、5才でデビューし、18才でカーネギーホール・デビューも果たしていて、ロンドンを拠点に作曲と編曲者としても活動しているという、これまた早熟の才人。アンコールはラフマニノフのヴォカリーズ。
続いて3時からは、BBC新世代アーティスト・シリーズ第4弾。若手クァルテットとしてコンソーネ・クァルテット Consone Quartet が登場、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第2番ト長調作品18-2、弦楽四重奏曲第4番ハ短調作品18-4の2曲が演奏されました。ガット弦を使用するピリオド系クァルテットとしては初めてBBCアーティストに選ばれたグループで、メンバーはヴァイオリンがアガタ・ダラスカイテ Agata Daraskaite と マグダレーネ・ロス=ヒル Magdalene Loth-Hill 、ヴィオラにエリザ・ボグダノヴァ Elitsa Bogdanova 、チェロがジョージ・ロス George Ross 。夫々ポーランドとイギリス、ブルガリア、イギリス出身の若者たち。2曲目の前にヴィオラが自己紹介を兼ねてスピーチしていました。
最後に夜のコンサートで登場したのが、ピアノの アレクサンデル・ガジェヴ Alexander Gadjiev 。スロベニア系で1994年イタリア生まれ。2015年、20歳で第9回浜松国際ピアノコンクール優勝し、これがヴィグモア・ホールのデビュー・コンサートだったそうです。去年、ラ・フォル・ジュルネ東京にも出演していますから、既に日本では良く知られた俊英。懐かしく鑑賞された方も多いでしょう。
この日は前半にリストの超絶技巧練習曲集から2曲、ドビュッシーの前奏曲集から3曲、それに自作(バルトーク讃、映像)を組み合わせながら、新しく組み替えた組曲のように通して演奏し、後半はベートーヴェンの交響曲第7番をリストが編曲したピアノ・ソロ版で締め括るという大胆なプログラムを披露しました。アンコールはスクリャービンのアルバムの綴り作品58。

10月12日(月)のマチネもBBC新世代アーティスト・シリーズの続きで、この第6弾がフィナーレ。登場したのは9月22日のマチネでトランペットのジーモン・へフェレと共演したドイツの若手ピアニスト、エリザベス・ブラウス Elisabeth Brauss 。本来このマチネはイングリット・フリッターが出演する予定でしたが、海外渡航規制のため延期。急遽ブラウスが日程を調整して実現したリサイタルです。ブラウスは音楽一家のサラブレッドで、父マーティン・ブラウス Martin Brauss も指揮者・ピアニストとして活躍している音楽家。
曲目はベートーヴェンのピアノ・ソナタ第7番ニ長調作品10-3、メンデルスゾーンの厳格な変奏曲ニ短調作品54、プロコフィエフのピアノ・ソナタ第2番ニ短調作品14の3曲。ベートーヴェンとプロコフィエフはデビュー・アルバム(エームズ)に入っていますから、得意の作品で真価を問うたリサイタルと言えるでしょう。アンコールは、スカルラッティのキーボード・ソナタから最も有名なホ長調K380。
なお、夜のコンサートはマリアンネ・クレバッサのメゾ・ソプラノ・リサイタルが予定されていましたが、海外渡航規制に伴ってキャンセルされてしまいました。

10月13日(火)からはマチネーが無く、夜はマリアム・バタシヴィリ Mariam Batsashvili のピアノ・リサイタル。フランク(前奏曲、フーガと変奏曲作品18)、ラヴェル(ソナチネ)、珍しいタールベルク(ベルリーニの「夢遊病の女」による大奇想曲作品46)、シューマン(幻想小曲集作品12)、リスト(グノーの「ファウスト」ワルツによるパラフレーズS407)という技巧的な難曲5曲で勝負してきました。
彼女はジョージア出身のピアニストで、2014年に26才で第10回フランツ・リスト・ピアノコンクール優勝。2017年からヤマハの公式アーティストを務めているそうですが、この日はホールのスタインウェイを使用していました。完璧な技巧の持ち主ですが、その音楽的に豊かな表現が印象的。アンコールに「ロッシーニのオッフェンバックのスタイルによる小さなカプリス」を弾きましたが、リストでは下から上行するグリッサンド、アンコールでは上から降りてくるグリッサンドで息を呑むような名人芸を披露しています。

10月14日(水)も夜のコンサートだけで、古楽の夕べ。1985年に創設されたフレットワーク Fretwork という名前のヴィオラ・コンソートと、リュート奏者エリザベス・ケニー Elizabeth Kenny がダウランドの作品を次々に紹介していくもの。この団体は適宜メンバーが入れ替わっているようで、現在は5人のヴィオール奏者で構成。リュートは不案内ですが、見た目で大2・中2・小1の3種類が合奏していきます。中でも一番小型の楽器を弾くのは森川真子さんという日本の方。
ダウランドには人名を冠したガイヤルドやパヴァーヌが多いのですが、この日はリュート独奏曲(パイパーのパヴァーヌ、ファンタジアト長調)を挟みながら13曲が続けて演奏され、彼らが新作を依頼しているという現代作曲家の作品(坂本龍一もその一人とのこと)の中からエイドリアン・ウイリアムス Adrian Williams (1956-)の「Teares to Dreames」という小品を紹介し、最後はダウランドの有名なラクリメで締め括られました。
ラクリメは、歌曲「流れよわが涙」の旋律による7つの涙の曲集で、いわば主題と変奏のような30分程度の曲集です。

10月15日(木)は、《インデペンデント・オペラ・スコラーズのリサイタル2020》。インデペンデント・オペラ・カンパニーは、15年間活動してきた新進アーティストをサポートする団体で、今年は4人がヴィグモア・ホールでのリサイタルに臨みました。メンバーは、ソプラノのサマンサ・クイリッシュ Samantha Quillish 、メゾ・ソプラノのローレン・ヤング Lauren Young 、テノールのグレン・カニンガム Glen Cunningham 、バスのウイリアム・トーマス William Thomas 。ピアノはクリストファー・グリン Christoper Glynn 。
先ずは4人が得意とする歌曲や二重唱を披露し、真ん中にブリテンなどの英国の作品。最後はオペラのアリアや二重唱が歌われて、最後はチャイコフスキーの無伴奏四重唱で締め括る構成。特に興味深かったのは、何れもバスが歌ったサン=サーンスの「死の舞踏」とベン・フォスケット Ben Foskett (1977-) の新曲「死者の歌」でしょう。前者は有名な管弦楽曲に歌詞が付いたもので、初めて聴きました。また後者は、ロックダウン中に作曲された4曲から成る歌曲集です。
歌われた作品の曲名と演奏順は、ヴィグモア・ホールの公式ウェブサイトをご覧ください。

10月16日(金)も夜のコンサートだけで、日本でもお馴染みのシューマン・クァルテット Schumann Quartet 登場。演奏されたのはシューマンの弦楽四重奏曲第3番イ長調作品41-3と、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第7番ヘ長調作品59-1「ラズモフスキー第1」の2曲。メンバーはシューマン3兄弟(エリック、ケン、マーク)と、エストニアのタリン生まれでドイツのカールスルーエで育ったリサ・ランダルーで変わりありません。
シューマンQは個人的に思い入れが強く、2012年2月にサルビアで衝撃(この時のヴィオラは後藤彩子)を受け、その後も2014年11・12月にはヴィオラがリサに交替して鶴見と晴海で。2017年6月にも晴海と、これまでの3回の来日で素晴らしい演奏を満喫してきました。この日も完璧なシューマンとベートーヴェンで3年ぶりの再会を果たすことが出来たという感想です。アンコールはメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第1番変ホ長調作品12から、第2楽章カンツォネッタ。
 
第5週の最後、10月17日(土)は巨匠スティーヴン・コヴァセヴィチ Stephen Kovacevich のリサイタル。1961年にヴィグモア・ホールでヨーロッパ・デビューを果たした名ピアニストで、この日が満80歳の誕生日。ヴィグモアの聴衆も大喝采でコヴァシェヴィチを迎えます。(日本版ウィキペディアの生年月日は誤りです)
演奏されたのは、バッハのパルティータ第4番ニ長調BWV828と、シューベルトのピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D960の2曲。低い椅子で弾く独特のスタイルを久し振りに見ましたが、如何にもお爺ちゃんになったな、という印象。アルゲリッチとの間に女の子を儲けていると承知していますが、客席に来ていたのでしょうか。アンコールは一言、シューマンとだけ。ロマンス変ニ長調でした。

ところで13日のバタシヴィリ、17日のコヴァシェヴィチはユーチューブ配信が無いので、直接ヴィグモア・ホールの公式ウェブサイトから視聴してください。初めての方は会員登録が求められますが、確かメールアドレスと自分で設定するパスワードだけで良かったと思います。

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