二期会コンチェルタンテ・シリーズ「サムソンとデリラ」

2021年の生演奏聴き初めはこれ、オーチャードホールで行われた二期会の「サムソンとデリラ」でした。1月5日と6日の二日間公演のうち、私が出掛けたのは5日の公演。一年をオペラで開始するというのは、私にとっても珍しいことです。
未だ松の内ですが、会場のある渋谷は例年ほどではないにしても、結構な人出で混雑していました。寒に入ったにも拘わらず余り寒くなく、文化村通りの坂を登るとコートが邪魔になるほど。

実はこの公演、本来は2020年4月予定だったものの振替公演で、確か当初は準メルクルが指揮する予定だったと記憶しています。それが延期となり、どんな経緯だったかは忘れましたが、手元に届いたチケットが以下のキャストでした。
更には延期公演を指揮する予定だったジェレミー・ローレルが海外渡航規制のルールに引っ掛かって来日出来ないということで、今回は偶々日本での仕事で来日していたパスカルが代役を引き受けた、ということのようです。

デリラ/板波利加
サムソン/樋口達哉
ダゴンの大司祭/門間信樹
アビメレク/後藤春馬
老ヘブライ人/狩野賢一
ペリシテ人の使者/加茂下稔
第1のペリシテ人/澤原行正
第2のペリシテ人/水島正樹
合唱/二期会合唱団
管弦楽/東京フィルハーモニー交響楽団
指揮/マキシム・パスカル
新制作・セミ・ステージ形式上演
フランス語(日本語字幕付き)上演

プログラムには触れられていませんでしたし、そもそもそんな意図はなかったと思われますが、今年はサン=サーンスの没後100年に当たる年。偶然ながらフランスの天才作曲家に改めて思いを致す機会でもありました。
「サムソンとデリラ」はそもそもオペラとして構想されたものではありませんし、当時の慣例だった番号オペラでもありません。本来オラトリオとして発想されていたこともあり、今回の演奏会形式風のセミステージ上演は理に適ったものと言えるでしょう。実際、オペラが始まって直ぐ、第1幕第1場の合唱曲はフーガ風に書かれていて、歌劇と言うよりはオラトリオを聴いているような錯覚に陥っていくのでした。これ、正解だと思いましたね。

作品は番号オペラではないと書きましたが、全3幕、12の場面で構成されています(1幕6場、2幕3場、3幕3場)。今回は各幕の間、2回の休憩が入りました。またフランス語上演と明記されていたのは、全曲の舞台初演がドイツ語訳で行われたためで、敢えてフランス・オペラの最高峰というキャッチフレーズを強調したかったのかも知れません。
オーケストラは舞台上に並び、紗幕を介して奥にコーラスが2階建てで並ぶ。歌手たちはオーケストラの前に配置されたひな壇で歌い、特別な衣装などは無く、手にする小道具も僅かなものに限定されていました。

各幕の情景は、主に紗幕に映し出される映像(栗山聡之)と照明(八木麻紀)によって描かれ、第2幕のソレクの谷では満天の星空が、第3幕ではガザの牢獄、ダゴンの神殿もそれらしい雰囲気を作り出します。
チョッと笑えたのは、ダゴンの神殿がオーチャードホールをそのまま映像化したもののようで、最後に神殿が崩れ落ちるシーンは、ホール自体が壊れていくようにも見えました。もちろん意図的にこうした映像を制作したのでしょう。最後の神殿崩壊でやや政治的なドキュメント・フィルム(天安門、BLMなど)を映し出していたのは舞台構成(飯塚励生)の意図でしょうが、個人的には違和感を覚えましたね。

ところでこのオペラ、私は全曲を生演奏で聴くのはこれが初体験。もちろん録音は以前から聴いていましたし、映像付きのものは新旧メトロポリタン歌劇場の上演を見ています。つい先頃もウィーン国立歌劇場のアーカイヴ配信を堪能したばかり。
休憩時に訊いた演奏会通いの大ヴェテラン氏の話では、1980年代にロイヤル・オペラの引っ越し公演でオブラスツォヴァのデリラを聴かれたそうな。サムソンも指揮者も記憶にないとのことでしたが、後で古い記録を調べたら1986年の9月、ロイヤル・オペラの公演で、指揮者はジャック・デラコートだったことが判明しました。この時同行したマルク・エルムレルは、カルメンを指揮していますね。

私にとってのサムソンとデリラ初体験、良く言われるワーグナーの影響は余り感じられず、ワークナーとは異なる透明なオーケストレーションが印象的でした。寧ろベルリオーズの後継者、ドビュッシーの先駆者と言えるでしょう。没後100年を機に、今年はこれまで余り知らずにいたサン=サーンスの世界を覗いてみよう、とも思いました。
敢えてワーグナーとの関連に目を向ければ、サムソンとデリラの関係はパルジファルとクンドリーとの因縁に近いと見れなくもない。デリラがサムソンを篭絡するのは、真の愛ではなく復讐心から。現代で言うハニートラップの類でしょうか。その意味ではデリラは悪女なのですが、そこはオペラのこと、多様な解釈が生まれる魅力的な存在ではあります。

サムソンの樋口、デリラの板波、大司祭の門間、3人の主役は何れも存在感十分にサン=サーンスの魅力を十二分に引き出してくれました。
しかし何と言っても、聴き物は指揮のパスカルでしょう。彼は一昨年2月に二期会の「金閣寺」を指揮したそうですが、生憎私は聴き逃しました。今回は14日間の待機期間を受け容れて来日し、読響と名フィルを振った由。それも聴いていませんでしたから、私にとっては初パスカルでもありました。

しかし彼は一昨年のプロムス、ベルリオーズの没後150年を記念してオラトリオ「キリストの幼時」を指揮するのをネット中継で聴いて感心したことを思い出します。その時は急遽エルムレルの代役としてプロムス初登場を果たしたのですが、ブログに「急な代役としてアンサンブルを纏め、独自のテンポ感で作品の真価を余すところなく聴かせて見せた辺り、相当な実力の持ち主と聴きました」とコメントしていましたが、今回の演奏を聴いて間違っていなかったことを確信しました。
独自のテンポ感と表現したのは、今回の第3幕第2場のバッカナールでも明らか。そもそもバッカナールはペリシテ人が勝利を祝い、酒神を祀って恍惚状態になる踊りで、微動だにしないテンポを切り刻む音楽ではないはず。パスカルが東フィルを煽りまくり、それこそ恍惚状態に高めた手腕こそ、正にバッカナールに相応しい表現だったのじゃないでしょうか。

パスカルは、今年8月にも二期会の「ルル」を振ることになっています。私もしっかりチケットを押さえていますから、これも楽しみ。今回は一旦帰国されるのでしょうが、次の「ルル」が無事に公演され、パスカルが再び来日出来ることを祈らずにはおられません。

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