カテゴリー: 白柳秀湖

強者弱者(52)

雪見  丑の日。風寒く日くらし。店頭よき人の毛皮に襟脚の白きを包みて寒紅を求むる姿にくからず。  雪見。山手線の便を利して郊外を一周するもの多く、電車何れも満員。新聞社の社会部員が日比谷公園、不忍の池、さては向島に馳せて功を争う時、怜悧なる...

強者弱者(51)

雁陣  駒込に住む人は、朝まだき、雁の遠く南より来りて北に去るを見るべし。其陣をなして市を行くや、低く低く甍をかすむるかと見ゆるに、妙義坂、富士前、吉祥寺、動坂のほとりより、急に高く天に冲し、田端に至りて殆ど眼界の外に逸す。身の危きを知るに...

強者弱者(50)

水禽  季に入りて市に水禽の趣き深し。半蔵門のほとり壕墟の水痩せて禁城の翠黛千歳の色をたゝへたるに、名も知れぬ水禽の心のまゝに群れつどひたる、芝浦の浜に沿うて走る山手電車の窓より、かもめどり波に浮寝の姿を見る、即かず離れず、御殿山の裾より、...

強者弱者(49)

薮入り  十五日 一年二度の薮入り。待ちわびておとづるゝ我家の軒傾きてなつかしき母の貧苦にやつれたる、幼き同胞の餓に泣きたる、召使はるゝ家のきらびやかなるに比べて今更に世の態のはかなまれたるもうたてしや。母なる人の我が食を減じて薮入りといふ...

強者弱者(48)

江東の春寒  九日 初卯、亀戸天神の繭玉、よき人の手に入りて春風自ら生ず。粋人所作の思入ありてよろしく香取神社の恵比寿、大黒、萩寺の布袋、常光寺の寿老人、普門院の毘沙門天、東覚寺の弁財天、租神社の福禄神をめぐる。昔は武総の国境黄茅白葦蕭條と...

強者弱者(47)

狐  夜更けて郊外に狐の声あり。目黒、渋谷、千駄ヶ谷、大塚などの森林、今になほ此野生動物を生む。武蔵野の昔、思ふべし。           ********** これも特に説明の要はありませんが、100年前は目黒、渋谷、千駄ヶ谷、大塚などに...

強者弱者(46)

六根清浄  七日 七草の節句。春とは名のみ、野沢の氷昼も解けやらず。毎年此頃より北風吹きすさみて降雪屡至る。各戸皆門松を撤す。屠蘇の酔漸く醒めて人皆新しき活動に入る。宮中御講書始め。  八日 陸軍始観兵式、夜来の天候険悪なれば臨幸中止となる...

強者弱者(45)

焚火  四日 政事始め。五日 新年宴会。あやにかしこき雲の彼方の事どもは知るによしなし。漂泊者の新年は焚火の快楽に尽きたりと見ゆ。松柏も霜にいたみては火にあうて枯草の如し。上野公園、芝山内など時に漂泊者の落葉を焚いて暁の夢を貪るものあり、其...

強者弱者(44)

新年  一日 除夜の鐘鳴り歇みて終夜運転の電車に乗客漸く稀なり。暁に近く市は闃寂として音なし。蓋し此数刻は道路が市民より与へられたる一年一回の休憩時間と知るべし。銀座の朝は昨宵の雑踏にくらべて街頭唯、寂寞たり。山の手はまだきより色めきて賑は...

強者弱者(43)

歳暮  二十五日、クリスマス、各教会子女を集めて教主の降誕を祝す。帝国ホテルにも夜会あり。燭白く夜長く、音楽絶えず、歓楽春の如し。  各学校試験終りて冬季休業に入る。これより山の手の邸町、生垣越にカルタを読む声の物狂はしきを聞く。貧しき家の...

強者弱者(42)

歳の市  歳の市は其処によりて日を異にす。草市につどふ好き人の、灯影に見る中形の浴衣の瀟洒として質素なるも、人によりてなまめかしきに比べて、これはコート、毛皮の襟巻、流行のマッフラーなど、黄金によりてきらびやかなるはいやし。羽子板の押絵によ...

強者弱者(41)

冬至  冬至、一陽来復といへど、歳末忙怱、日彌よせまり、光彌よ淡き心地す。野にありては尾花の叢小笹の道、一望狐の色にうら枯れて風にさゝめき、みぞれに鳴る。小さき野鼠の落葉の音をぬすみて通う榛の下道、『大師道』の木札さみしく多摩川用水の底すみ...