カテゴリー: 白柳秀湖

強者弱者(28)

釣、網舟  茶の花咲く。小利根、荒川、中川、木下川、目黒川、多摩川、鶴見川など、日曜毎に釣客多し。鮒、石斑魚など此節を以て一年の好季となす。  月漸くまどかなり。夜風稍寒けれども網舟の遊漁また悪しからず。網舟は浜町にあり、金杉にあり、高輪に...

強者弱者(27)

尾花の木兎  西郊、雑司が谷に杖を曳くもの、尾花の穂にて作りたる木兎を求めて土産となす。平原の自然によりて養はれたる江戸の俳趣味。今之を細民のあはれなる手工に偲ぶ可し。境内欅の落葉堆きに、梢を洩るゝ日影の斑なる、障子を斜にして『やきとり』と...

強者弱者(26)

紅葉脂の如し  東京の紅葉見頃なり、日光に後るゝと約一ヶ月、紅葉は朝日によく、夕日によく、また雨によし。晩秋の気冷かにして、雲鉛の如く、雨煙に似たる時甲武山手の車窓により、黒土の麦畑を距てゝ望む武蔵野の紅葉、宛として脂の如きを見る。  十一...

強者弱者(25)

国境の山  快晴の日浅草の六区賑ふ。活動写真に飽かぬ人々、夏を送り秋を迎へて得意顔なるもをかし。  季、秋晴に入り、大気澄徹して四ツ谷、赤坂、牛込、麻布の各区より、西に遠く蜿蜒たる大山山脈を望む可し。富士は市内各区随所に得て之を見る可く、道...

強者弱者(24)

満点星  満点星の紅葉よし。もと大久保、柏木辺の植木屋皆此潅木を植えて垣としたりしが、近年は開けて昔の情趣なし。白昼閴として行人稀に、美しく色づきたる垣を距てて鶏犬の声幽かに相応える大久保の野趣、早稲田学士といふものゝ発生と共...

強者弱者(23)

招魂祭  六日 九段靖国神社の秋季大祭、夕月の影さやかなるに、秋冷人によく、きらめきわたる灯影に映ゆる間色好みの時勢粧亦悪からず。唯、之によりて下町の夜に見るよき人の姿を思ふに、彼は楚々として野の花の風にゆらぐが如く、是れは矗々として唐傘の...

強者弱者(22)

秋刀魚  秋刀魚市に上る。火より脂肪の煮えたぎるばかりなるをとり、大根下しにて食ふに味またなきものなり。むさくるしき厨の隅、煤びたる豆洋燈の影ほの暗きに、七輪の炭火あかく、此魚を腹より滴る脂肪、古鉄架の上に青く燃え出でて、ほのぼのと破れたる...

強者弱者(21)

酉の市  酉の市、市民の集り来る者、洪水の堤を決するが如し、浅草公園より大鳥神社に至る七八町の間、右に揉まれ、左に押されて雪崩れ行くに、約一時間を要す。近年、新橋より浅草に行くもの、腕車を日本橋材木町の河岸に駆る。夜に入りて橋南橋北の美人、...

強者弱者(20)

天長節  三日 天長節、菊の香と酒の匂と帝都をこめて瑞気八紘に漲るの思ひあり。夜長うして歓楽尽きず。夢の如き音楽の音に送られて、馬車に、自動車に帝国ホテルの門を出づる明眸皓歯の人、香腮紛瞼の人、三更の霧を衝いて日比谷公園の方に去る。色彩や香...

強者弱者(19)

十一月の初め  各呉服店冬もの売出し。一町一区、中間組合の制を設けて球燈を掲げ、彩旗を翻して客を呼ぶものあり。麻布龍土町辺は天長節と、機動演習とを前に控へて、各商店皆色めき立つ。  季を過ぎて尚ほ夏帽子を戴ける男の襟垢つめたきを銀座街頭に見...

強者弱者(18)

遠足  虫声頓に衰ふ。蟋蟀堂に入り、厨に鳴く。都下の各女学校皆前後して遠足、運動会などそれぞれの催しあり。近郊の停車場、折からの雨に、紅紫滴瀝として行き悩みたる美しき少女の群、脂粉露に褪せ、玉釵雫にそぼぬれてしどけなき態、又なくなまめきて人...

強者弱者(17)

結婚式  ダリヤ萎みて又見る可からず。コスモス漸く末。秋海棠の花斂まりて、多角形の実固し。山茶花ひとり妍を垣の外にほこる。  野にありては尾花漸く穂に出でたり。藤袴の花末。野路菊満開。龍膽は莟多し。競馬の季節なり。馬券禁止以来、池上も、目黒...