カテゴリー: 白柳秀湖

強者弱者(148)

予後備兵  第一師団にては此月のはじめより予後備兵の勤務演習を行ふ。召集されて馳せ参ずる兵員の面に生存の戦より受けたる重き負傷のありありと見はれたるは現役兵の生活に屈託なきに比べてあはれ深し。薄給を得て銀行、会社に通勤する人、御国のために、...

強者弱者(147)

両国の花火  毎年月の初め、両国に川開きの催しあり。舟を艤し酒を載せて大川の流に出づれば、橋上橋下水面儘く燈火を以て蔽はれ宛として焔の海を行くが如し。其舷々相接して彼我の交歓、恰も席を同うするに似たるは流石に都市固有の興楽として味ふに堪へた...

強者弱者(146)

車中の道者  富士、大山参りの道者、市内の電車を占領して我もの顔にふるまふも此頃なり。田舎ものゝ素朴愛すべしといへど、共同生活の作法にならはざるは悪む可し。白衣の汗じみたるに、宿の団扇あまた背負ひたる異様のいでたち、判じものにもあるまじき形...

強者弱者(145)

避暑  山手の沿線に釣鐘草多し。此月の初めより暑を湘南に避くるもの多く、香腮粉瞼の人新橋停車場に雲集す。家族を鎌倉、逗子、大磯の別荘に置きて土曜の夕より日曜にかけて通ふ紳士あり。妻子の避暑をよきしほとして橋南、橋北の旗亭にみじかき夏の夜をか...

強者弱者(144)

かんぞの花  かんぞの花は遠く之を草叢の間に望んで山百合の花と擬ふべし。石蒜科に属し水近き岡のほとりに咲けり。東京にては南郊に多し。           ********** 「かんぞ」は、漢字で書けば「萱草」。ユリ科の植物で、大型で橙赤色...

強者弱者(143)

野の白百合  野に白百合の花を見る。東京の西郊、南郊、紅塵渦中を出づること一歩にして草莽薮叢の中に白く村童の採って捨つるにまかせたり。東海道線にありては、小山、山北の間、酒匂川の渓に沿ひ、懸崖絶壁飛瀑雲の如く深潭藍の如き処點々として此花を見...

強者弱者(142)

蝉の声  蝉の声焼くが如し。  東京には小蝉、日ぐらし、糸とり蝉、油蝉、寒蝉の五種を産す。小蝉は七月の初より生ず、日ぐらし之に次ぎ、糸とり蝉、油蝉続いて出づ。  梅雨晴れて小蝉の鳴くを聞く。声油を炒るが如く単調にして長く、抑揚極め...

強者弱者(141)

なでしこの花  此頃野になでしこの花あり。東京にありては目黒、大崎、大井の辺りすべて南郊の野に之を見るべし。情調を主とする邦人の趣味を最もよく代表したるものは此花なり。相模の國はなでしこの野なり。松生ふる岡の上に、波寄する砂の上に、白砂的&...

強者弱者(140)

カンナの花  ダリヤに次いでカンナの花咲く。カンナは釈迦のみまかれる霊鷲山に咲くといへり。真紅にして燃ゆらんかなしみを語る。其色彩の極端なる寔に熱帯の情調にふさへり。ダリヤは近年の流行なり。由来欧人は草花に就きて主に色彩と香気とをもとめ、邦...

強者弱者(139)

貧民窟の夏の夜  雨には何れもいひ合せたる様に足を劇場に運ぶ。各劇場とも盆狂言の興行賑々し。夜更けて劇場より貧しき我家にたどり行く少年あり。陋巷人なく、下水に異様の臭気あり。音楽と色彩と香料とに激しく興奮されたる若き心の、やがてはかなき現実...

強者弱者(138)

盂蘭盆  十一、十二日草市。夏の夜の興楽多かるうちに、草市ばかり情趣深きはなかる可し。苧殻、蓮の葉、溝萩など盂蘭盆の供物に、秋の七草など添へたるが月の光にうつりて露あり。カンテラの灯にはえて色あり。  十五日盂蘭盆。十六日藪入り。閻魔賽日、...

強者弱者(137)

帰省  十一日より各学校、各官衙ともに暑中休暇。此頃市内各停車場に学生の帰省の途に上るもの多きを見る。白地の単衣に小倉の袴を穿ち行李を負うて昂然たり。手に土産ものを携へたるは、劫々に如才なき方と知る可し。中には鼻下に髯など蓄へたる大の男もあ...