強者弱者(143)

野の白百合

 野に白百合の花を見る。東京の西郊、南郊、紅塵渦中を出づること一歩にして草莽薮叢の中に白く村童の採って捨つるにまかせたり。東海道線にありては、小山、山北の間、酒匂川の渓に沿ひ、懸崖絶壁飛瀑雲の如く深潭藍の如き処點々として此花を見る。豪壮雄渾の景に副ふるに優美繊麗の妙を以てす。車窓の麗人、見て以て其美に憧るゝこと切なりと雖雲煙過眼の裡また如何ともなし能はざるもの、近郊に在りて容易に之を平林坦道の間に求む可し。新しき大都市の発達と共に漸く夷げられんとする古むさし野の俤、今之を此花に偲ぶ可し。

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白百合は、現在で言うヤマユリのことでしょう。各種ある百合の中でも最も豪華な大輪を付けるもの。
このような大袈裟な褒め言葉を連ねたくなる花ではあります。

「深潭」(しんたん)は、深い淵。

「雲煙」(うんえん)は、文字通り雲と煙のこと。「雲煙過眼」(うんえんかがん)で、雲煙が眼の前を過ぎても心を動かさないように、物事に拘らないことを言います。

「平林坦道」(へいりんたんどう)は、平らな林と平坦な道。「懸崖絶壁」(けんがいぜっぺき)とは正反対な地形です。

「夷げる」は、「たいらげる」。現在では「平らげる」と書くのが普通でしょうが、「夷」は「平定する」という意味合いを含んだ漢字になりますね。

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