カテゴリー: 白柳秀湖

強者弱者(112)

夏の都  市内各呉服店浴衣地売出し、西洋の諺に『冬は都会、夏は田舎』といふことあれど、東京の特色は冬よりも多く夏に在りて存する心地す。街頭に打水のすずしき夕、中形の浴衣に素足の色しろき人の、灯影に映る朝鮮葵、ナスターチューム、虞美人草、シネ...

強者弱者(111)

杜鵑  小夜更けて山の手の空に杜鵑の鳴くを聞くこと頻りなり。深山幽谷、木立暗く霧深き処にありては昼もなほ絶えず此鳥の声を聞く可し。春より夏にかけて鶯と其声を競ふ。英の詩人が『アントート、ゼ、ハーモニー』といへりしも思ひ合はされてうれし。近く...

強者弱者(110)

草苺  東京近郊には草苺といふもの極めて多し。殊に近年和蘭苺の栽培と共に、里女村童も之を口にするものなく、自ら実りて朽つるに任せたり。杖を初夏の野に曳くもの、歩を小径に転じて榛莽に沿ひ、藪叢を分けて進まんか、行くに随ひて紅き草苺の実の葉蔭に...

強者弱者(109)

和蘭苺  和蘭苺市に上る。薄暮街頭、花やかなる電燈の影に、夏蜜柑、桜桃等と並んで紅宝玉の累々たる、見るからに胸ひらく心地す。ある皮肉屋の『家庭』とは若き夫婦のさしむかひて和蘭苺を食ふ所なりといへりしは、皮肉にして皮肉に非ず。食後、卓に上りて...

強者弱者(108)

鰹  鰹は東南の海に産す。味ひ、濃厚にして、色生々し。刺肉として食ふに血の唇頭に滴るを覚ゆ。衣をまげて初鰹を買ふといへる旧江戸市民の趣味流石に東夷の本性を語り尽して遺憾なし。近来之を賞美するもの漸くにして稀れなり。此魚に一種の毒あり、食ふも...

強者弱者(107)

若き男女の散歩  若き男の若き女の手をとりて、夕ぐれ街頭をそぞろあるきすること近年の流行なるが如し。唯、洋服の男と和服の女と手をとりたるばかり不調和なるはなし。  若き男の若き女を携へたるを見て、労働者の口穢く罵ること、今も往々にして市上に...

強者弱者(106)

西洋婦人  今に忘れかねたるは、去る年の晩春、恵比須停車場のほとり、苜蓿の緑あざやかなるに、白き装ひせる西洋婦人の、同服の兒女うちつれて摘草したるを車窓によりて雲煙過眼の裡にうち眺めたる瞬間の印象なり。           ********...

強者弱者(105)

愛国婦人会  毎年新緑の候を期して市に愛国婦人会の総会開催せらる。初めは青山練兵場を以って其会場に宛てたりしが、中頃、難ずるものありて日比谷公園に変更したり。其主旨は如何にもあれ、煙塵の中に汗と膏とにまみれて立てる兵卒の練兵を外に晴々しく着...

強者弱者(104)

更衣  七日 立夏。セルの単衣心地よし。銀座の宵、打水に草花の色一しほ映えまさる頃、瀟洒たる銀杏返しの飾気なきに、単衣の裾にしろき素足の夕暗に鮮やかなるはうれし。北東京の人の此一刻を頭髪にあらん限りの装ひして、マフラーなど纏ひたる一目にそれ...

強者弱者(103)

九段の雑踏  六日、九段靖国神社春季大祭。織るが如き児女の背越しに、勇士のおもしろき囃につれてあざやかに舞ひ納めたる、紅塵を若葉の蔭にさけたるよき人の落ち散りたる桜の実を踏みしのびて番町のかたに去りたる、群集雑踏の裡に何処となく典雅の趣を失...

強者弱者(102)

卯の花  卯の花咲きて松魚市に上る。鯵、さよりなど味よし。胡瓜、そら豆のはしり、膳に上りに唯其色を味ふ可し。           ********** これは短い文章で助かります。特に解説の必要もありません。 ところで「松魚」は何と読むか判...

強者弱者(101)

自殺者多し  市に自殺者多し。  神経科医弱症に罹るもの多し。  端午の節句、粽の味、菖蒲湯の香、事ふりたれどもゆかし。『女殺し油地獄』『緋縮緬卯月の紅葉』など血なまぐさき脚本の多く季節を此頃にとりたるにつけても自然の人心を圧すること今も昔...