ラボ・エクセルシオ新章Ⅰ
昨日は13日の金曜日でしたが、私としては待ちに待ったコンサートを聴いてきました。圧巻の「ラボ・エクセルシオ」新章。
私がクァルテット・エクセルシオを初めて体験したのは、当時晴海(第一生命ホール)で行われていた弦楽四重奏の名物企画「SQW(String Quartet Wednesday)」の一環である「ラボ・エクセルシオ」。
当初のラボは世界巡りシリーズで、第1回の南半球編は聴き逃しましたが、私は第2回の北欧編が初体験。厳寒の2月、シベリウスの名演に心が熱くなったことを思い出します。決定的だったのは第3回のアジア編、これを聴くに及んで私のエク信奉が始まったのでした。
第一生命側の“もっと客の集まる企画を” という理由でラボが中止(いや、中断か)になったときは企画者の無知に怒りを覚えましたが、さすがはエク、この度「新章」と装いを改めることになったのは真に慶事です。
私がここでゴタゴタ述べることでもありませんが、音楽は時代と共にあるもの。過去の名曲に頼るだけの安易な姿勢は、却って音楽の不毛を冗長するだけと考えます。エクの姿勢については当コンサートのチラシに書かれたエク・プロ理事長の名文に譲るとして、再開された記念すべき「ラボエク」第1回のプログラムは以下のもの。
スカルソープ/弦楽四重奏曲第8番
西村朗/弦楽四重奏曲第4番「ヌルシンハ」
~休憩~
バルトーク/弦楽四重奏曲第4番
クァルテット・エクセルシオ
新たに会場として選ばれたのは、代々木上原にある室内楽サロンのムジカーザ。ずっと以前にピアノを聴いた会場ですが、昔の記憶を頼りに代々木上原に向かいます。
いろいろな行き方があって迷いましたが、JRで新橋に出、地下鉄銀座線の表参道で同千代田線に乗り換え、三つ目の代々木上原下車というルートを選びました。小1時間で無事に辿り着きます。
プレトークが始まる6時半に会場に入ると既に熱心なファンが集っており、何とか1階の前方に席を取りました。
プレトークは音楽ライター・渡辺和氏が聞き手を務めるはずでしたが、体調不良ということでセカンドの山田百子氏がピンチヒッター。“体調不良になったこと無いんですよ”と第一声を発した西村朗氏が「弦楽四重奏の現代から未来」というテーマで肩の凝らないトークが進められます。
実はこのコンサート、事前にいつもの奥沢で試演会も行われており(4月8日、正に復活祭当日)、その際にも西村氏が参加されていました。試演会では演奏に先立って氏自ら作品の内容についての解説があり、演奏の途中で“このヴィオラがヌルシンハですゥ~ッ”という飛び入り指摘もあったりして、両方を聴いたファンには真に贅沢な時間を共用したものです。
取り上げられた3曲を簡単に紹介しておくと、
冒頭のスカルソープはオーストラリア人。エクにとってはメルボルン・コンクールの課題曲(第15番)以来の懐かしい作曲家だそうですが、私は試演会で初めて接した作品。
何の予備知識もなく聴いたのですが、音楽は如何にもバリ島の音楽の影響が感じられるもので、乗りの良いリズムには直ぐに親しみを感じます。これは第2楽章ですが、中間部に出るメロディーが日本民謡そっくりなのにも一驚。プログラムの解説(渡辺和氏)によると、スカルソープは「豪州はアジア太平洋地域の一部であるという認識を持った」作曲家とのこと。試演会の印象を本番で再確認して納得しました。
全5楽章で全曲の中心を成すのが第3楽章であること、それを取り囲む前後の楽章がアーチ形に構成されていること、鳥の鳴き声が描写されていることもメインのバルトークの姉妹編であることに気が付きます。
前半の最後は、この日の目玉とも言える西村作品。エクは前章のラボで氏の2番を取り上げていますが、今回はそれに次ぐもの。2番とはコンセプトが全く異なる、ヌルシンハ(人獅子)を題材とするストーリー性を備えた作品です。
西村氏が試演会でも述べられたように、そのストーリーを知らずに聴くのは「危険」な作品。全体は一気に演奏される4楽章から成り、ファーストは魔神、チェロがその息子、ヴィオラがヌルシンハと役柄が決められた個所もありました。
エクの演奏は超絶的名演と評して良いでしょう。確かに試演会の時点では仕上がり途上でしたが、本番までの間に作曲者のアドバイスを参考に細部を練り上げ、パワー配分にも熟慮した熱演は圧巻そのもの。
室内楽には理想的な空間を持つムジカーザは、演奏者と聴衆が床を同じくしているため、例えばチェロが強力な低音を奏でれば、音だけでなく楽器の振動も聴き手の足の裏から直に伝わってくるという具合。何時にも増して真剣そのもののエクの表情と相俟って、その格闘技に思わず仰け反ってしまう貴重な時間でした。
最後はバルトーク。理事長によれば「エクと言えばバルトーク」、「バルトークと言えばエク」という時代もあったそうですが、私はエクのバルトークは初体験。恐らく東京でバルトークを弾くのは久し振りだと思われます。
西村作品の強烈な印象の後でバルトークを聴くのは、最早古典の仲間入りを果たしたこの作品が陳腐に聴こえるのではないかと懸念しましたが、全くそういうことが無いのは流石にエク。現在聴いても斬新さが色褪せないのは流石にバルトークということでもあります。
ここはもう弦楽四重奏の真剣勝負、アーチ形構造を如何に聴き手に説得力豊かに伝えるか、技巧上の難しさを感じさせることなく音楽のバランスを取るか。どの面からみても第一級の、それでいて新たな発見に満ちた快演だったと申せましょう。
全曲を聴き終えて残るのは、心地良い疲労感。同時代の音楽を聴いた喜びと火照りは、降り出した雨も気にならないほどでした。
振り返れば、最初と最後にアーチ形の作品が並べられ、中央に同じ民族の作品を聴く。このプログラム構成もアーチ構造そのもの。プログラミングのバランスの良さも、この充実感に与っていたのではないでしょうか。
プレトークでバルトークの「6」は現代の作曲家にとって意味ある数字と語っていた西村先生、現在クァルテットは4番までだそうですが、あと2曲はエクのために書くしかないでしょう。エクも“私たちが初演します”と公言していましたからね。
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