サルビアホール 第59回クァルテット・シリーズ

5月の連休中は何の予定も無く家で大人しくしていましたが、漸く民族大移動の混乱も治まったようで、6日は鶴見のサルビアホールに出掛けてきました。5月最初の演奏会通いです。
59回目を迎えたクァルテット・シリーズは、今回が鶴見2度目の登場となるドイツの本格派ヘンシェル。チラシによれば急遽来日決定ということで、最初に発表されたシリーズ18には名前が挙がっていなかったと思います。

今回のプログラムは、やはりドイツの王道を行く選曲で、以下のもの。

ハイドン/弦楽四重奏曲第60番ト長調 作品76-1
ヒナステラ/弦楽四重奏曲第1番 作品20
     ~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第9番ハ長調 作品59-3「ラズモフスキー第3」
 ヘンシェル・クァルテット

今年が結成21年目となるヘンシェル、メンバーは替らず、前回のレポートを参照してください。

サルビアホール 第37回クァルテット・シリーズ

今回の来日は、鶴見のあと藝大でマスター・クラスが開催される他には福岡公演がある程度で、東京で私的なサロン・コンサートが一つ予定されているだけとか。
結成がほぼ同じ時期になるクァルテット・エクセルシオのファンはご存知でしょうが、ヘンシェルは毎年6月の終わりから7月初めに掛けて地元ドイツのゼーリゲンシュタットで極めて小さい音楽祭を開催しています。
今年も6月29日から7月1日までの3日間、現地の修道院を舞台に開催されますが、今回は我がエクセルシオがゲストに招かれているのですね。

隠すことでもないので書いちゃいますが、私共も彼等の演奏会を聴くべく現地入りする予定。従って今回はエクとの打ち合わせも兼ねているのかなと勝手に想像しましたが、この日来場されていたエク・メンバーの一人に伺った所では、合わせの時間もないほどお互いに忙しいとのこと。特にエク・ドイツ楽旅とは無関係なツアーだったようです。
この日のプログラムに含まれているヒナステラは、彼等の「小さな弦楽音楽祭」でも演奏されることになっており、絶好の予習ともなりました。もちろん生誕100年という意味もありましょうが、ヒナステラはヘンシェルが以前に録音している得意レパートリーでもあります。

前回と同じように意表を衝いて上手から登場したヘンシェル、ハイドンの傑作エルデーディ・シリーズの第1作から弾き始めます。
ややザラッとした触感のある音色、時にファーストが掠れるような個所もありましたが、譜面を追うのでは無く、音楽を曳き出して行く独特なスタイルに前回のヘンシェルを思い出しました。
特に第2楽章、ファーストの高音での細かいパッセージはテンペラメンタルな味わいがあり、如何にも手作り感に満ちたハイドン。第3楽章トリオ部でのファーストの遊びも、同じ興趣でしょう。

何となく居心地の悪さもあったハイドンでしたが、次のヒナステラは文句無しの名演。民族的な性格の強い作品を一気呵成に弾き切りました。ヘンシェルの現代モノをもっと聴きたい、といのは前回のシュールホフでも感じたこと。
ヒナステラのクァルテットは3曲ありますが、夫々性格は全く異なります。12音風の2番、声楽が入る3番に比べれば、この1番は最も聴き易いと言えそう。4楽章構成ですが、前半2楽章は特に民族的な印象で、第2楽章コル・レーニョ奏法が刺激的。
第3楽章は夜の音楽でしょうか、神秘的な和音が最初と最後に登場します。終楽章は何処となくバルトークを連想させるもので、ピチカートやスル・ポンティ・チェロが目まぐるしく後退し、見て楽しむ一品でもあります。アルゼンチンの自然を肌で感ずるような四重奏でしょうか。

ところで第1番にはアルゼンチンの団体シモン・ボリヴァールQによる名盤もありますが、これなど同じ譜面を演奏しているのにも拘わらず、遥かに南米を感じさせる民族性が表に出てきます。
しかしヘンシェルで聴くと、このフォークロアな印象がもっと洗練された、というか都会的なセンスに包まれていくのが不思議。知性的、と言うと表現としては不適切かもしれませんが、演奏者の国籍がこの辺りにも出てくる所に、クラシック音楽の多様性が生まれてくるのでしょう。

休憩を挟んでベートーヴェンのラズモフスキー3番。ヘンシェルは現代の団体とは言え、技巧の冴え以上にドイツ的な伝統である精神の高揚が表に出てくる演奏に仕上がっていくのでした。
刻みの、力任せではない強さ。時折音が飛んだり掠れたりするのですが、それを補って余りあるパワフルな表現。第1楽章主部のテーマも、ファースト/クリストフは独特のフレージングで歌うのですが、これをヴィオラとチェロが鋼の様な剛直さとしなやかさで支えて行く。
圧巻は第2楽章のコーダ。クレッシェンドが始まり、チェロが最低音にまで下降してフォルテに至る瞬間の凄かったこと。ベートーヴェンの形相が一気に険しくなったような錯覚をさえ覚えました。

前回はベートーヴェンの作品132で締めたこともあってアンコールはありませんでしたが、今回は130のカヴァティーナ。静かなる慟哭に終わった後も長い沈黙。
ヘンシェルの演奏を敢えて一言で言えば、彼等は「楽器を弾く」のではなく、「音楽を奏でる」というに尽きるのではないでしょうか。6月に彼等のお膝元で集中的に聴けるのが楽しみです。もちろんエクとの共演も。

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