サルビアホール 第84回クァルテット・シリーズ

今年の10月4日は仲秋の名月。鶴見サルビアホールのクァルテット・シリーズのシーズン25も、早くも第3回目のフィナーレを迎えました。9月はロンドン・ハイドン、べネヴィッツとサルビア初登場の団体が続きましたが、昨日はこれが2回目となるフランスのクァルテット・ドビュッシーを迎えます。今回は中々に味のあるプログラム。

ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏のための「エレジー」
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第11番作品95「セリオーソ」
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第7番作品108
     ~休憩~
ラヴェル/弦楽四重奏曲
 クァルテット・ドビュッシー

彼等の初登場は6年も前、あの東日本大震災が起きた年の10月のことで、シリーズ常連諸氏でも記憶が薄れてしまった方も多かったようです。今回はその時からメンバーが二人交代、ファーストのクリストフ・コレッテ Christophe Collette とヴィオラのヴァンサン・デュプレク Vincent Deprecq とは同じでしたが、セカンドはドリアン・ラモットからマルク・ヴィエーユフォン Marc Vieillefon に、チェロもファブリ・ビアンからセドリック・コンション Cedric Conchon に替わっていました。前回紹介しなかった彼らのホームページはこちらです↓

http://www.quatuordebussy.com/

実は私も「記憶が薄れてしまった」一人ですが、幸いにもその時の感想をブログにアップしていましたので、それを再読してシッカリ思い出してから鶴見に向かった次第。くどくど書くより、そのまま紹介しちゃいましょう。

サルビアホール クァルテット・シリーズ第4回

正直なところ、今回は前回とは印象が全く変わってしまいました。メンバーが二人替わったこともありましょうが、前回は何と言っても震災直後。もちろん復興は未だ途上とは言え、あの時日本を覆っていた暗鬱な雰囲気は相当程度にまで回復している、という心理的な面もあったと思います。
前回のメインがモーツァルトのレクイエム弦楽四重奏版だったのは単なる偶然でしたが、4人の衣裳も黒づくめだったの対し、今回は如何にもフランスのダンディーたちを象徴するように、全員がワイン・カラーというか、赤とロゼの中間のような華やかにして落ち着きのあるジャケットで統一していました。

それ以外にも2011年と異なっていることがあります。
先ずは、全員が立って演奏すること。前回のブログではその点に触れていませんので、普通に椅子に掛けて演奏していたと思いますが、今回はベートーヴェン以外は起立し、しかも暗譜演奏。暗譜についても前回は書いていませんので、その時は普通に譜面台が並んでいたと思います。

冒頭に演奏されたショスタコーヴィチの短い作品は、上記彼らのホームページでもプロモーション・ビデオとして使われており、最近の彼らの登場テーマにもなっているのでしょう。
舞台に椅子が4脚並べられていましたが、4人は座らず、立ったまま。何とチェロもエンドピンを目一杯に伸ばし、全員が並んで演奏します。私は、チェロが立ったままで弾く光景は初めて見ました。

ショスタコーヴィチが終わると、4人は舞台裏に戻ることなく、椅子に座してベートーヴェンに取り組みます。実は最初のショスタコーヴィチはヴィエーユフォンがファーストのパートを惹いたのですが、2曲目以降は本来のコレッテが第1ヴァイオリンに戻りました。
プログラムを見て気付く人は気付いたと思いますが、セリオーソはベートーヴェンの全16曲の弦楽四重奏曲で最も短い作品。そしてショスタコーヴィチの第7番も、前15曲の中では最短の作品なんですね。つまり二人の巨匠のエッセンスがコンパクトに詰まった2曲を並べるというプログラミング。最初の3曲を演奏した後に休憩が入るというコンサートの組み立ても、恐らくこの点を意識したのではないでしょうか。

一気呵成にセリオーソを弾き切った後(第1・2楽章の間は休みを入れなかった)、舞台係が出てきてチェロ以外の椅子を片付けてしまい、ショスタコーヴィチの第7番はチェロだけが座って演奏することが判ります。
7番も3楽章が全てアタッカで切れ目なく演奏される作品で、第1楽章の主題が最後にも取り扱われる循環形式。

この形は後半のラヴェルにも共通することで、Qドビュッシーのプログラミングにかける凝りようが判ろうというもの。ラヴェルもヴァイオリンとヴィオラは立っての演奏でしたが、チェロは前半では使わなかった演奏台に乗っていたので、これは恐らく楽器をより大きく響かせるためなのでしょう。4曲全ての演奏風景が違っているというのも、この日の見ものでした。

演奏は文句なく素晴らしい。前回の感想でも「ビロードの手触り」と彼らの音色を表現しましたが、今回も全く変わっていません。私の耳には、ドイツの団体ともチェコのグループとも違う艶やかで、均一の魅惑的な減の響きと聞こえるのです。前回のハイドンの感想は、そのままベートーヴェンにも当て嵌まりました。

圧巻は、やはりラヴェル。表現は陳腐ですが、これぞお国モノ、としか言いようがありません。4つの楽器が夫々に主張していながら、全体の統一感は失われない。如何にも個人主義的でありながら、ラヴェルの世界は大局的に捉えられていて崩れない。
立って演奏しているため、その運動性が際立ち、例えばピチカート楽章の最後の決めポーズの格好イイこと!!

アンコール。前回のメインで取り上げたモーツァルトのレクイエム・リヒテンタール版から、トゥーバ・ミルム Tuba mirum 。その時の感想分でも触れた個所で、四重奏で聴けばこそ実感できる「魔笛」との類似性も、今回のアンコールでも再度確認してしまいました。

4人が前に出てのカーテンコールでお開き、と思いきや、再度の登場でチェロが弓をヴィオラ氏に預けてしまう。そのチェロが何やら楽器を奏でる素振りで、一言“ジャズ”と呟く。チェロのピチカートに乗って4人が弾き始めたのは、何ともスローで乗りの良いジャズの響き。私はこの方面は疎いのですが、ホワイエで確認すると、グレン・ミラーの代名詞でもある「ムーンライト・セレナーデ」だそうな。
何とファーストとヴィオラが弾きながら舞台を降りて客席に。常連紳士淑女諸氏も満面の笑みでリズムに合わせてのスイング。
前回の印象とは全く逆の面を見せてくれたクァルテット・ドビュッシーでしたが、多分今回が彼らの本性でしょうね。いや、驚きましたよ、彼らの全身音楽に。

大満足で鶴見駅、電車を待ちながら空を見上げて気が付きました。今日は十五夜、雲間に満月が顔を出すのを見れば、何故アンコールが「ムーンライト・セレナーデ」だったのかが。
いや、それは勘繰り過ぎで単なる偶然でしょ、と言われる方もいそうですが、これは確信犯でしょ。やっぱりフランスのダンディズムには敵いませんな。

 

 

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