京都市交響楽団・東京公演2019

いろいろ迷走し、結局は東京で聴くことになりました。6月の京響です。
年間スケジュールが発表された今年の初め、カレンダーにマル印を付けて遠征を予定していたのが、6月21日に行われる広上淳一指揮京都市交響楽団の定期。ところがほぼ同じ内容のプログラムが東京公演として開催されることが発表され、気持ちが揺らいだのでした。それならコストもかかる京都に行くより、東京で聴けばいいじゃん。こんなプログラムです。

ブラームス/悲劇的序曲
コルンゴルト/ヴァイオリン協奏曲
     ~休憩~
ラフマニノフ/交響的舞曲
 指揮/広上淳一
 ヴァイオリン/五嶋龍
 コンサートマスター/寺田史人(ゲスト)

ということで、サントリーホール公演のチケット一般発売日に一番で電話しましたが、例によって「大変電話が込み合っています」。それでも1時間ほどで繋がりましたが、何とS券は完売しました、との答え。一瞬躊躇いましたが、とりあえず席だけは確保しておこうとゲットしたのが1回の最後方席。仕方ない、京都にもチャレンジしてみようかと6月23日のカレンダーにも「17時サントリーホール、京響」とマークしておきました。
サントリーホール会員向けには1週間前に先行発売がありますが、多分そこで良い席はあらかた埋まってしまったのでしょうか。それにしても1時間ほどでS席完売とは、広上/京響というよりは五嶋龍人気なのでしょうね。恐ろしや五嶋龍。

で、京響6月定期のチケット発売日。東京も確保したので、ここはゆるゆると電車や宿の状況を見てから、と思っていると、何と何と京都も1時間ほどで完売したとのこと。全席完売ですよ! 京都は諦めて、ということは余分な出費は抑えられたのですが、何とも釈然としないうちに6月23日を迎えました。その内に東京公演も全席完売したとのニュースが入り、京響を聴くのにこんなに苦労するとは、隔世の感がありますな。

梅雨真っ最中の首都圏、すっきりしない空模様の中赤坂に着くと、確かに長い開場待ちの列が目に入ってきます。開幕オルゴールにスマホを向ける人たちがいつもより多いと感じましたが、普段は音楽会などには出掛けない方々も来られているのでしょうか。
列に並んでホワイエに入ると、そこは京都に乗っ取られたかのよう。着物姿の京都市長・門川大作氏が出迎えに立たれています。それを横目に、特別に先行発売されるという前回の京響・東京公演時のライヴ盤CDをゲット。同時に並べられている五嶋龍のCDは飛ぶように売れていました。一時に3枚も買い込む女性ファンも続々。演奏終了後には五嶋のサイン会も行われるとのことで、明らかにこの日一番の目玉なんでしょう。

ホールに入って最後列から客席を見渡すと、新聞テレビやネットで良く見受けられる顔・顔・顔。私が通っているオーケストラの定期公演では見かけない方々で、やはりこれは特別にセットされた公演だということが判ります。チケットの入手が困難なわけだ。ま、今回は後ろから客席の反応を観察することに決め込みました。
オケのメンバーが登場すると客席から温かい拍手。京都からの賓客を迎えてのコンサートという実感が湧きます。続いて広上と京都市長が連れ立って登場し、市長から東京のファンへの挨拶。これが終わってからチューニングが行われ、改めて指揮者の再登場。

上記のプログラム、京都での第635回定期とは冒頭の序曲が入れ替えられていて、京都ではヴェルディの歌劇「シチリア島の夕べの祈り」が演奏されました。ブラームスは京響名古屋公演でも聴きましたから、個人的にはヴェルディも聴きたかったかな。
この3曲、定期のプレトークで広上が何を語ったのかは分かりませんが、個人的に敢えてこじつければ、「遅れてきた19世紀」プログラムでしょうか。それとも「19世紀の残照」。

ブラームスが亡くなったのは、19世紀も残り僅かの1897年。ニ短調の悲痛な和音でコンサートが始まります。広上と京響が紡ぐ黄昏のウィーン。
続いて多くのファンが待ち受ける五嶋龍が登場し、今や天下の名作として脚光を浴びるコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。五嶋みどりは何度も聴いていますが、弟の龍は、私にとっては遅れ馳せながら初体験。スラリと背が高く、背筋も伸びて舞台映えのする立ち姿が印象的です。ヴァイオリンもホールの後ろまで良く通り、人気と実力を兼ね備えたアーティストであることを確認しました。

ブラームスが亡くなってから僅か8週後、5月29日に生まれたのが、天才と呼ばれたコルンゴルト。父親は音楽評論家のユリウス・コルンゴルトで、息子の才能を予感するところがあったのでしょうか、エーリッヒ・ヴォルフガングと名付けます。敢えて「ヴォルフガング」と付けたのは、もちろん天才ヴォルフガングを意識したからでしょう。
しかしユダヤ人のコルンゴルトに、時代は冷酷でした。ナチスの手から逃れたコルンゴルトは、アメリカのハリウッドで映画音楽の作曲として活動、1943年にはアメリカの市民権を獲得します。

第二次世界大戦の終了が、コルンゴルトの運命を再び変えます。1946年に故郷ウィーンに戻ったコルンゴルトを迎えたのは、映画音楽作曲家に対する偏見と、「時代遅れ」の作曲スタイルへの冷淡さでした。ヴァイオリン協奏曲は、その翌年ハイフェッツによって2月15日に初演されましたが、何と献呈されたのはアルマ・マーラーでした。
少なくとも20年前、コルンゴルトを知る音楽ファンはごく一部でした。その音楽は「時代遅れ」という評価から大きく揺り戻し、今や20世紀に書かれたヴァイオリン協奏曲の名曲として定着。ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーと同じニ長調で輝かしく響くこともあって、これまでコルンゴルトが閑却されてきたことが実に不当であったのか、今回の五嶋/広上/京響の豪華な名演でも証明されたと思います。

鳴り止まぬ拍手に応えて五嶋のアンコールは、クライスラーの無伴奏ヴァイオリン作品、レチタティーヴォとスケルツォ・カプリース作品6。1722年製ストラディヴァリウス「ジュピター」の音色と華麗なテクニックで満席のホールを魅了しました。
ところでクライスラー、ウィーン生まれのユダヤ人、アメリカに亡命したという点でコルンゴルトとの共通点もあります。コルンゴルトより22歳ほど年上ですが、世代的にはほぼ同じ。コルンゴルトの歌劇「死の都」にある一節「ピエロの踊りの歌」をヴァイオリン用にアレンジしてもいます。コルンゴルトで白熱した耳を、更に熱狂させるに相応しいアンコールでした。

後半は、広上が得意とするラフマニノフ。前回は第2交響曲でしたが、今回はラフマニノフがアメリカに移住してからの作品である交響的舞曲。1941年1月3日に初演されたラフマニノフ最後の大作で、やはり評価は「時代遅れ」というものでした。
広上は以前日本フィルの正指揮者時代にもこれを取り上げたことがあり、その際のマエストロサロンで “素晴らしい曲なんだけど、誰も知らないんだよなぁ~。この機会に聴いてもらいたいんだけど、お客さん来るかなぁ~” と心配されていたものです。
これが20年前、コルンゴルト同様、あの時点では今回のようなプログラムは考えられませんでした。それが完売するとも・・・。ここでも隔世の感を抱いてしまいます。

第2楽章、不気味な開始部について、「悪魔が顔を捩らせて登場する」と表現したのは、ラザレフだったか広上だったか・・・。何れにしても「遅れてきた19世紀の名作」は、斬新で最先端を行く20世紀の作品より多くの聴衆の喝采を浴びているのではないでしょうか。復活の立役者の一人である広上淳一の指揮。踊るがごとく、煽るが如く、京響をドライヴしてラフマニノフの魅力を隅々まで引き出して聴かせてくれました。

オケのアンコール、これも「時代遅れ」と評されることが多かったエルガーのエニグマ変奏曲から「ニムロッド」。これまた広上得意のアンコールで、私は京都でも名古屋でも楽しんだ一品です。
それにしても、もっと良い席で聴きたかったなぁ~、京響公演。
演奏会終了後、予想通りホワイエには五嶋龍のサインを求める長い列が続いていました。オーケストラのアンコールも聴かずにホールを飛び出した人たちは、多分CDを買ってサイン会に並ぶためだったんでしょうね。

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