読売日響・定期聴きどころ~09年2月

2月の定期はロシアの大物、シナイスキー登場です。聴きどころに入る前に簡単なプロフィールを。私が別のコミュニティに書いたものからの転載です。

シナイスキーの初来日は、1976年1月のモスクワ国立フィルハーモニー・アカデミー交響楽団の来日公演で、アルヴィート・ヤンソンスと共に日本全国を回りました。

Vassily Sinaisky (1947.4.20- ) はレニングラード(現在のサンクト・ペテルブルグ)生まれのロシアの指揮者、ピアニスト。
レニングラード音楽院でイリア・ムーシンに学び、モスクワ・フィルでキリル・コンドラシンの副指揮者として研鑽を積みます。
1973年、有名なベルリンのカラヤン指揮者コンクールで優勝し、脚光を浴びます。
日本への何度かの来日はこの頃のことですが、大きなポストに就いたのは、1991年から1996年にかけてモスクワ・フィルの音楽監督兼首席指揮者を務めたのが最初でしょう。

その他にラトヴィア交響楽団の首席指揮者、ネーデルランドフィルの首席客演指揮者にも就任していますが、詳しい年次は判りません。
またこれも何年からかは不明ですが、ロシア国立管弦楽団(前身はスヴェトラノフのUSSR国立交響楽団)の音楽監督を2002年まで務めていました。

1996年からはBBCフィルハーモニックの首席客演指揮者に就任し、毎年のようにプロムスに登場しておりました。
2007年の1月からはスウェーデンのマルメ交響楽団の首席指揮者に着任し、今後の活躍が期待されています。

シナイスキーはオペラにも活動の場を広げ、ボリショイ劇場の首席客演指揮者でもあります。ウェールズ・ナショナル・オペラではチャイコフスキーの「イオランタ」、ベルリン・コミツシェ・オパーでの「ムツェンスクのマクベス夫人」、イングリッシュ・ナショナル・オペラでの「カルメン」と「薔薇の騎士」などが話題を集めていました。

世界各地のオーケストラへの客演も盛んで、ロスアンジェルス・フィル、ベルリン放送交響楽団、BBC交響楽団、コンセルトへボウ管弦楽団、チェコ・フィル、ピッツバーグ交響楽団、セントルイス交響楽団などなど、枚挙に暇がありません。

録音も活発で、シャンドスにはBBCフィルとシマノフスキー、シチェドリン、バラキレフ、シュレーカー、ショスタコーヴィチの映画音楽シリーズなどのリリースがあり、首席に就任したばかりのマルメ交響楽団とは、ナクソスにフランツ・シュミットの交響曲全集をレコーディングする予定と聞いております。

さて、そのシナイスキーが振る2月定期はハチャトゥリアンとラフマニノフの二本立て。どちらも大曲ですから覚悟して臨みましょう。

まずハチャトゥリアンですが、ハチャトゥリアンと言えば読売日響を連想される方が多いのじゃないでしょうか。私もその一人です。
読響が創設されて間もない頃、ハチャトゥリアン本人が来日して指揮台に立ちました。1963年のことです。
ハチャトゥリアンの会は定期演奏会ではなく、特別演奏会。その模様は日本テレビで何度も放送され、私も放送観戦した口です。確か今回演奏されるヴァイオリン協奏曲もあったと思います。ソロはレオニード・コーガンだったと記憶しますが、自信がありません。ご存知の方がおられましたら、是非コメントをお願いしたいと思います。

ということで読響のハチャトゥリアンは「ブランド」。大いに期待が高まります。もちろん当時の楽員は全て入れ替わっていると思いますが・・・。

私が確認できたヴァイオリン協奏曲の初演奏記録は、

1955年5月26日 朝日会館(大阪) ヴァイオリン/遠藤磨里、宮本政雄指揮・関西交響楽団(現大阪フィルハーモニー交響楽団)第81回定期演奏会。

ソリストも指揮者も存じ上げない方です。申し訳ありません。こちらも情報をお持ちの方は是非。
ところでこの回のメインは、何とラフマニノフの交響曲第2番。今回と全く同じ組み合わせであることに驚きます。それだけではなく、この時は最初にグラズノフのバレエ音楽「レイモンダ」も演奏されていますから、何とも盛りだくさんなプログラムでした。

オーケストラ編成、ヴァイオリン・ソロの他には、

ピッコロ、フルート2、オーボエ2、イングリッシュ・ホルン、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、打楽器3人、ハープ、弦5部。打楽器は、タンバリン、小太鼓、サスペンデッド・シンバル、大太鼓です。

ハチャトゥリアンは晩学の人、19歳まで音楽には全く関心が無かったというから驚きです。26歳で漸くモスクワ音楽院に入学しますが、31歳で学校を卒業してからの出世は早かったですね。
ヴァイオリン協奏曲は37歳の時の作品、ロシアを代表する協奏曲です。
ハチャトゥリアンはアルメニア出身ですから、どうしても民族的な雰囲気の強い作品です。ただし特定の民謡の引用はないようです。

作品は3楽章。第1楽章はオーケストラに続いてヴァイオリン・ソロが特徴的な第1主題を出します。これと暫くして登場する民謡風の第2主題を良く覚えておくと、この曲のシンフォニックな構造が即座に理解できるでしょう。
というのは、第3楽章のロンドでも第2主題、というか副次主題は、良く聴いてみると第1楽章の民謡主題と同じものなのです。また第3楽章がコーダに入ったとき、第1楽章の第1主題が拍子を変えて再登場することにも気が付かれるでしょう。こうしてハチャトゥリアンは協奏曲に統一を与えているのですね。

第3楽章のロンド主題にも一言。3拍子の馴染みやすいメロディーで4小節を一単位としていますが、次に登場する時には1小節の余分が付き、あたかも5拍子のような騙しのテクニックが使われているのが面白いところ。私は行ったことがないので判りませんが、この辺りにアルメニアを感じてしまいます。

協奏曲ですから華やかなカデンツァがありますが、それは第1楽章の再現部の前。最初はクラリネットと絡むのが特徴です。

プログラムの後半はラフマニノフの交響曲第2番です。まず日本で最初の演奏記録と思われるものは、

1953年6月18日 日比谷公会堂 森正指揮・東京交響楽団・第55回定期演奏会。

ハチャトゥリアンで紹介した関西交響楽団による演奏は、この曲の二度目の演奏。時代から推察して、これらの演奏がカット版によって行われたことが想像されます。

次にオーケストラ編成。

フルート3(3番奏者ピッコロ持替)、オーボエ3(3番奏者イングリッシュ・ホルン持替)、クラリネット2、バス・クラリネット、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、打楽器3人、弦5部。打楽器は大太鼓、シンバル、小太鼓、グロッケンシュピールです。

ラフマニノフの第2交響曲は慣習的にカットが行われてきた作品で、フライシャーという楽譜出版社のコレクションでは、カット版のパート譜が揃えられているほどです。
そのカット、現在ではラフマニノフが書いた音符を全て演奏するのが常識ですが、そこに到る経緯には日本も関係しているのです。そのことを少し。

第2の全曲演奏の流れを作ったのは、アンドレ・プレヴィンとロンドン交響楽団でした。
プレヴィンを音楽監督に迎えたロンドン響は、1971年の春にソ連と極東へのツアーを行います。そこでメインに取り上げたのがこの作品。
実はツアーに出る直前、ロンドンで行われた定期演奏会では、終楽章の一部をカットした演奏でした。続いて行われたツアーの中で繰り返しこの今日を演奏する中で、指揮者とオーケストラはこの作品はカットせずに演奏すべきだという確信に到達した由。

因みに日本では大阪、名古屋、東京でラフマニノフを演奏しています。1971年4月27日が大阪のフェスティヴァル・ホール、4月29日に名古屋の愛知県文化会館講堂、4月30日には東京の日比谷公会堂で。
従って、完全版第2の日本初演は4月の大阪だったと思われます。

ツアー終了から2年、プレヴィンとロンドン交響楽団は完全版として初録音を果たします。それが批評家からも絶賛、セールスとしても大成功して今日の流れを決定付けたのでした。

敢えて聴きどころを特定する必要はないでしょう。全編これラフマニノフ。ロシアの自然と大地無しには生まれなかった音楽であり、ラフマニノフ特有の憂鬱と憧れに満ちた諧調をタップリと味わいましょう。
アンチ・ラフマニノフの諸兄には難行苦行かも知れませんが・・・。

 

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4件のフィードバック

  1. 栗本治 より:

    始めまして、阪神間に住んでいる栗本というものです。
    ハチャトウリャンのVn協奏曲の日本初演をされている遠藤磨里先生についてですが、戦前関西で活躍されたヴァイオリニストの遠藤和一先生のお嬢様です。
    和一先生は山田耕作先生の曲の初演などもされておられたようですので、当時の日本のヴァイオリニストとしては一定の評価を受けておられたのだと思います。
    麻里先生は毎日新聞主催のコンクールの1位なしの2位に入賞されています。
    また、当時は辻久子先生、巌本真理先生と並んで、ヴァイオリン界の3人娘ともいわれたそうです。
    ただ、20台に結核のためにブランクがあって、演奏家としては、他の方たちよりも出遅れたと聞いています。
    以上は、遠藤和一先生の弟子であった私の母の俊子からの伝聞です。

  2. メリーウイロウ より:

    栗本様
    貴重な情報をお寄せ頂き、ありがとうございます。関西音楽界に疎いもので、失礼致しました。
    手元の資料によりますと、遠藤磨里さんはハチャトゥリアンを共演した宮本政雄氏とはサン=サーンスの3番(1954年5月)、ヴィヴァルディの四季(1956年10月)を、斉藤秀雄氏とベートーヴェン(1952年11月)、朝比奈隆氏とはラロのスペイン交響曲(1952年1月)とシベリウス(1955年11月)を演奏されているようです。
    どれも難曲ですから、1950年代の関西を代表するヴァイオリニストだったことが判ります。

  3. 栗本治 より:

    私は1950年生まれなのですが、ごく小さい頃に母が磨里先生の演奏会に行くといって出て行ったのをかすかに記憶しているような気がします。
    でも、母が行った音楽会は戦前のシゲッティとかティボーあたりから、4年前に亡くなる直前の樫本大進さんや神尾真由子さんあたりまで、ほとんどプログラムがあるのですが、磨里先生の出ておられたプログラムはないようです。
    私が、小学校から中学校に上がる頃から、我が家の引越しなどもあって、遠藤先生親子のご消息が入ってこなくなったようです。

  4. 小野寺昭爾 より:

    古い書き込みですうがハチャトウリアンのヴァイオリン協奏曲の演奏につき関西交響楽団のプログラムがあります。この演奏は関西初演であったようです。詳細、資料につき興味があればお送りします。当方大阪フィルの顧問です。

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