カテゴリー: 白柳秀湖

強者弱者(160)

駒込富士  駒込富士神社のまつりは、北東京の夏の夜に忘れ得ぬ興楽の一つなり。本郷追分あたりより、絡駅として日光街道にあふるゝ人足、カンテラの光、提灯の光、花やかに街頭にみちたれど、歩は一歩より町幅狭く、進むに随ひて人の風俗、鄙びたるもをかし...

強者弱者(159)

銀座と日本橋  アイスクリーム、曹達水を売る店の銀座に在りて萬事洋式を追ひて足らざるを恐るゝが如きものあるに引きかへ、日本橋に於いて赤き小田原提灯にアイスクリームと染め抜きたる店の多き、客種の相異といふこともあるべけれど、橋一つ距てたる風俗...

強者弱者(158)

暑中劇場  此月、大暑とありて各劇場とも大抵休業。但し二流以下の俳優相互して涼み芝居といふものを催す。脚本には雨中の決闘などすべて小気味よきものを選ぶを常とす。而も場内は依然として焦熱地獄なり。唯、歓楽の前の苦痛を忍ぶ人の力、寧ろ驚くに堪へ...

強者弱者(157)

霧  七月より八月にかけて快晴の日は市に朝霧深し。両国、永代のほとり、塔影檣頭を模糊たる朝霧の裡に望む処、汽笛の声、遠く水面に迷うて船体の奈辺に在るを知らず、近く櫓声を脚下に聴いて、舟人の影墨絵の如きを見る。『ロンドンの朝霧』などいふ事思ひ...

強者弱者(156)

芝雑魚  鮎漸くさびて、鯔、すずき、このしろなど所謂芝雑魚味よし。洗ひには鯉、こちなど酒に適す。土用の丑の日には各戸皆鰻の蒲焼を食ふ。鰻は大川、高輪の産をよしとす。市内の蒲焼近年多く浜名養魚場の鰻を用ふ。其味最も下卑たり。蒲焼にて名あるは神...

強者弱者(155)

夏祭  十五日、深川八幡を初めとして市内各八幡の大祭。伊皿子の八幡神社は家康の開府以前より存したりと伝へらる。口碑に、家康入府の日、偶其祭典を見、氏子に問うて神体の八幡大菩薩なることを知り、幸先よしとて直に粢を給へりと。深川八幡に就いては『...

強者弱者(154)

果物  果ものには葡萄、水密桃、西瓜、甜瓜、梨など累々として水菓子屋の店頭に堆きを見る。葡萄は甲州の産を以て第一となす。葡萄は皮と肉との間に湛へたる露を絞りて吸うをよしとす。西瓜は井戸につけ輪に切り食鹽などつけて食ふを常とすれど贅沢にすれば...

強者弱者(153)

鰌  市に鰌を売る声しきりなり。鰌は下総より来るもの多し。初夏の頃、夜に入りて逆井橋を千葉に向つて東する人は、沿道の水田に鰌を捕る灯の点々として星の如きを見る可し。また一奇観たるを失はず。鰌は柳川にしつらへ、夏季の食物として下層にもてはやさ...

強者弱者(152)

桜の下葉  立秋の頃より桜の下葉色づき初む。落葉の最も早きものは梅と桜となり。梅は土用半ばにして其葉の大半を揺落し、桜は寒蝉の声につれて、一葉二葉夕日に散る。           ********** 個人的なことながら、今年も立秋に合わせ...

強者弱者(151)

立秋  立秋。『秋来ぬと眼にはさやかに見えねども、風の音にぞ驚かれぬる』炎暑依然として煩溽尚昨に異らずと雖も、智者は風の音、雲の色にさとく秋のこゝろを見る可し。  毎年此日より寒蝉鳴く。生あるものゝ季を知るにさとき、もとより天の理なりといへ...

強者弱者(150)

驟雨  秋海棠の花咲く。さみしき色其名にふさへり。  驟雨しばしば到る。本郷に雨ふらずして芝に下水のあふるゝことあり。麻布に落雷して深川に事なき日あり。晴れては降り、降りては晴るゝ日あり。下婢の洗濯ものを取入るゝひまなきもをかし。夏の雨は比...

強者弱者(149)

入谷の朝顔  旧暦の盂蘭盆。日の暮るゝを待ちて、軒に岐阜提灯をともし、縁台を前庭に据ゑて一家共に語る。いたいけなる妹の梧桐の葉越に照る月の光を浴びて唱歌などうたひ出でたるもうれし。  朝顔の花咲く。入谷の朝顔は名のみにして、客を待つの趣向、...