カテゴリー: 白柳秀湖

強者弱者(124)

月見草  総武鉄道の沿線、相模の海岸に月見草多し。画家の、名に拘みて此草に必ず月を添ふるは以て愚の極となすべし。月見草は宵暗に咲きて匂ひあり。其色黄白にして純なり。花萎みて赤味を添へ、褐色に変ず。  月見草に二種あり。葉の細くして茎の華奢な...

強者弱者(123)

鮎  新茶のかをりゆかし。多摩川の鮎漁始まる。風月の二階など、我も人も型のやうに鮎のフライを呼ぶは此頃なり。東京に集まる鮎は多摩川、荒川、相模川、酒匂川より来るもの多し。中、多摩川を以って最上とし、荒川之に次ぐ、酒匂川の鮎には一種の臭味あり...

強者弱者(122)

手古舞  十五日山王の祭、手古舞は其昔大江戸の花とぞ聞えし。ふと知りあへる人を町に訪ねて、強飯に煮しめなどふるまはれたるもうれし。今日を晴れと着かざりたる町の子を二階の窓の簾越しに見たるもよし。幼き頃、人にかくれて読みたる本に、手古舞より帰...

強者弱者(121)

栗の花  梅雨期の空にふさはしきは栗の花なり。たまたま五月雨の晴れて薄暑身にせまる日、渋谷、目黒あたりの岡に此花の白く碧空に浮き出でたる、色彩まづしけれどまた自らなる趣あり。或る時、栗林を穿つ郊外の道、柴戸のほとりに散りしきたる栗の花を掃き...

強者弱者(120)

金魚  金魚売の声、苗売りの声ともに初夏の街頭にすずし。金魚の狭き器に不自由を忍べるはなほよしとするも、無残なるは亀と蟹とが宙に吊されてあがきたる態なり。田舎の子は己が知恵と力によりて殺生を行へど、都会の子は他の知恵と金の力とによりて之を行...

強者弱者(119)

蟲籠  更闌け人定まりて後大路を行くに、門の戸かたく鎖したる家の奥より、縁日にて買ひたりとおぼしき鈴蟲の声をかぎりに鳴きしきりたる、蟲籠の華奢なるを枕頭に侍らせて、短き夏の夜の夢に入りたるよき人を偲ばしむ。  若き婢の不注意にて昼の間とりに...

強者弱者(118)

虫売  市に蟲をひさぐもの蛍を集めて売る。初めの程は一疋一銭に当る。松蟲、鈴蟲、きりぎりす、轡蟲の類は卵を孵化して飼育したるもの多し。松蟲、鉦たゝきは価最も貴し。鈴蟲之に次ぎ、轡蟲、きりぎりすは最も廉なり。           ******...

強者弱者(117)

蛍  雨歇みて暑気遽に加はりし日の夕、市に蛍を見る。蛍は年によりて、外壕、内壕に夥しく生ずることあり。郊外といはず、熱閙のただなかにこの光を見る。東京は流石に新しく打ち建てられし都なり。           ********** 「歇む」は...

強者弱者(116)

入梅  入梅、陰雨連日、人の頭脳を圧すること甚し。たまたま晴れて暑気遽に上昇したる日など、殆ど堪え難き心地す。一年の中にて最も不愉快なる日を挙げんか二月の初旬と六月の中旬とを推すべし。  卯の花咲く、青梅街道、甲州街道など籬に沿うて至る処に...

強者弱者(115)

桐の花  麦の畑の緩慢なる傾斜に沿ひて立ち並べる桐の梢にうす紫の花美しきを見るも此頃なり。巣鴨監獄の冷めたき煉瓦塀に沿ひて、桐の花咲けり。暮るゝ光、明くる日を待ち侘びて満期放免を指をり数ふる囚人の眼にうつる唯一の色彩、鉄窓の外はかくして春将...

強者弱者(114)

蓴菜  蓴菜膳に上る。東京の茶屋にて用ふるものは利根地方の沼沢に生ずるもの多し。蓴菜を噛みて菖蒲のをどりを見たるもうれし。『花を一もと忘れて来たがあとで咲くやら開くやら』余情綿々として尽きず。           ********** 「蓴...

強者弱者(113)

野生の菖蒲  菖蒲の花斂まる。此頃下総の野に野生の菖蒲を見るべし。習志野あたり、眞菰まじりに咲くゆかりの花、軍馬の蹂躙に任せたり。『潮来出洲』の俗謡はやがて下総一円の印象記なり。箱根の仙石原に野生するものは七月に入りて花咲く。       ...